つなぎ

大会後に全国から寄せられたお手紙紹介 その3

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福祉ネット大和川 たんぽぽわたぼうし(大阪)の、

久田あず紗さんが、

グッズデザインコンクール受賞者で表彰されたっす♪

久田さんは、ご家族4人で大会に来てくれたよ。

奈津紀さん、あず紗さんの絵を送ってくれたので、みんなに紹介するよ。

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大会後に全国から寄せられたお手紙紹介 その2

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お手紙第2弾を紹介するッす!

岩手県陸前高田市の「あすなろホーム アットホームの会」の、熊谷正弘さんから

いただいた手紙を紹介するよ。

熊谷さんは、オープニングで岩手の震災の時のことを話してくれたっす。

ユーストリームで、お話している場面が見れるので、みんな、ぜひ見てみてね!

あすなろホームでのお仕事や活動も、頑張っているっす。

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あすなろホーム10周年記念イベントを開催しました!

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あすなろホームの概要です。

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大会後に全国から寄せられたお手紙紹介 その1

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大会から、もう1ヶ月以上!大会後に全国から寄せられたお手紙をナカマンが、紹介していくっす。

最初は、大分県のべっぷ優ゆう、柳田優太さんからだよ。

柳田優太さんは、南相馬に行きたくて、今回の大会では、1人で視察観光南相馬コースに挑戦したっす!

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また、お手紙を紹介しますからね、お楽しみにしてくださいね。

スワンの家(北海道)

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北海道から、ハマー・アズ・ナカのパペットがやってきた。
作ってくれたのは、スワンの家のユウスケさん。
ふくしまのみんなは、超~盛り上がりました。感謝、感激です!

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北海道の東に位置する別海というところにあるNPO法人スワンの家の紹介をします。就労継続支援B型(27名在籍) 地域活動支援センター(17名在籍)のふたつの事業を行っています。

人口16000人で、牛の数がその10倍はいるといわれる酪農地帯にあります。別海の面積は香川県と同じくらい広く、農村地帯は、隣の家まで行くのに、5キロは歩くのが普通です。広い牧場に牛がたくさん放牧されています。そんな土地柄に、別海町ではじめてできた作業所が、スワンの家です。今年で25年をむかえます。

仕事の内容は大きく4つあります。ひとつ目は、廃油でつくるせっけんです。創立当初から、試行錯誤をしながら作り続け、7年前、地域の方々の寄付金で、本体とは別にせっけん工房を建てました。2つ目はパン・菓子工房で作る製品です。おいしくて、けちってなくて、大人気です。3つめは清掃部門です。公共施設の清掃や環境整備を3か所請け負っています。4つめは「カフェ」の営業です。これは国と町の補助を受け、昨年新築した共生型福祉施設「ふれあいの家」の中にあります。窓越しからお菓子を作っている様子が見え、作る人と、買う人の気持ちのやりもらいもできます。公園に面しているカフェのお客様は、福祉とは縁のなかった方々にも広がり、「カフェで働く利用者さんを見るようになって、一生懸命がんばっていることがわかり、今では障がいに偏見を持っている人の方がおかしいと思うようになった」とおっしゃる方もいらっしゃいます。

仕事以外では、趣味や特技を生かした活動をする方々もたくさんいます。ハマー・アズ・ナカのパペットを作った彼も、スワンのメンバーの一人だし、音楽バンドJUKE*BOXは、音楽を通して自己表現し、そのことで、周りの人たちの感動を呼び、地域のお祭りやイベントにも参加するようになりました。リサイクルをモットーにし、廃品からさまざまな商品紹介のグッズなども手作りしています。

東北の震災のあと、毎朝、みんなで声に出して確認し合っているスワンの心得の中に「一期一会の気持ちであいさつをかわしましょう」というのを加えました。あの時、失った命からも、懸命に生き抜いた命からも、そのことを何よりも学びました。
トラブルは毎日のように起こり、日々の忙しさに追われていると感じることはありますが、かけがえのない一人ひとりが、それぞれの花を咲かせ、その香しい香りや美しさを、周りの仲間みんなであじわえるような作業所でありたいです。

NPO法人スワンの家   今井 真琴

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突然ですが、パペットを作ったユウスケさんにインタビューのコーナー

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思い(全社協の西方さんより)

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全社協の西方さんより、コメントを頂きました。
ちょつと、ウルウルきてます。ありがとうございます。

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つ な ぎ

 全国社会福祉協議会高年障害福祉部の西方といいます。JDFの被災地支援員派遣事業にきょうされんとともに参加した全国社会就労センター(セルプ協)側のコーディネートを担当した事務局員です。実は事務局の川前さんからのブログへの原稿依頼を一度お断りしました。けれども再度依頼があり、お引き受けすることにしました。しかし大変恐縮しておりますし、複雑な気持ちでこの文章を書いています。
恐縮している理由は、私のかかわりがあまりに小さいことです。コーディネートというと専門的なことをしているように思えますが、実際はJDFから届いた人員派遣依頼を会員施設・事業所に送信して、これに応じた申込みを整理してJDFに届けることが主な内容でした。もちろん、書類を右から左に流せば済むというものではありませんでしたが、これまでこのブログに登場された方の活動や寝袋・食料持参で被災地に向われた支援員の方々と比べてあまりにささいな関わりです。
 複雑な気持ちの理由は後ろめたさです。私は生まれも育ちも東京で、福島のみなさんを苦しめている原発は、その東京に電力を送るために作られ、私は何の疑問もなくその恩恵を受けてきました。
 それでもあえてお引き受けしたのは、2年間にわたって被災地支援を行ってきたきょうされんの皆さんに感謝の言葉をお伝えしたかったからです。私がいただいた原稿依頼のテーマは「つなぎ」ですが、たくさんのきょうされんの方々が宮城県や福島県に向われるのをみて、そのお一人お一人の熱い心に感動しました。日本人を、人間を心から信じてみようと改めて思いました。

 私が震災後初めて福島県に行ったのは震災発生から9か月後の12月でした。それまでセルプ協は宮城県に支援員を派遣していましたが、11月で支援員派遣事業が終了ということになりました。その後はセルプ協も福島県に向かうことになり、事前に情報を収集するために当時のセルプ協の役員が南相馬市のぴーなっつを訪問しました。担当事務局員として私も同行したのです。その際、青田理事長から原発事故から始まった南相馬市のできごとをうかがいました。その時うかがったお話は、その後朝日新聞の連載記事になっていました。
 青田理事長のお話は一生忘れることができないものになると思いますが、そのなかで私を勇気づけてくれた印象深い話が下のセブンイレブンです。
当時は原発から同心円状に30㎞以内が立ち入り禁止になっていました。道路は通行止めになっており、そこには警官が立っていました。そして、そこから歩いてわずかな距離にセブンイレブンが営業していました。そのセブンイレブンの店長さんは南相馬市が全市避難を決めてからも営業を続けたそうです。「こういう時だからこそ店の灯を消してはいけない」との理由からです。セブンイレブン本社の方針で商品の補給ができなくなってもどこからか商品を調達して営業を続けたそうです。「今ではちょっとした観光スポットになってますよ」と青田理事長からうかがいました。
あのセブンイレブンは今も営業を続けているのだろうと思います。もう一度行って確かめてみたいのですが、その後何度か南相馬市を訪問することはあったのですが、その機会をつくることができないでいます。

最後になりましたが、このブログは9月21~22日に開催されるきょうされん全国大会 in 福島を盛り上げるために作られたとうかがいました。参加予定者はなんと2000人。災害人員派遣の時と同様その動員力にはただ驚くばかりです。しかも開催地は福島県。原発の再稼働を巡って国民の意見が分かれている今、自分の意見を決めることは今の時代を生きる私たちの義務で、その際に福島県で起こったことを実際肌で感じることは大切なことだと思います。
実は私もセルプ協の大会の開催を目前に控えて事務局として追い込みをかけているところです。準備をされている事務局の方のご苦労やお気持ちはよくわかります。ぜひ全国大会が大成功で終わることを祈念しております。

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浦岡さんの思い

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浦岡さんは、デザイナーで、震災後、ふくしまの支援センターに何度も来て、大事な時にデザインの協力をしてくれている。
「つながり∞ふくしま」の立ち上げの時も、協力してもらい、プロの仕事をしてもらった。きょうされんの全国大会でも、お世話になっている。今、みんなに伝えることが大事で、そこにデザインの力は欠かせない。ありがとう、浦岡さん!

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 生まれも育ちも九州で、大学に入学し、初めて東日本に行った。大学の教養課程の2年間を北海道岩見沢で過ごした。3月、九州は春。桜も咲き暖かくなり、セーターもいらなくなった頃、祖父とふたりで北海道に夜行電車を乗り継いで行った。42時間かけて到着した岩見沢は、真っ白。雪の壁が続く町。そんな風景を見たのは初めてで、「ここで2年間も1人で暮らすのか…」と思うと泣きたくなった。これが僕の東日本との最初の縁。「東は寒い異国の地」というのが僕の中での東日本の印象になってしまった。その後、専門課程に進み、社会人になって東京に住むことになるが、同じ東京に住むにも西側、出張も旅行に行くのも何故か西日本、というほど、東を無意識に敬遠していた。

 しかし、2011年3月以降、その隔たりは崩壊する。当時、日本財団の真心絶品をサポートする真心絶品運営委員会のメンバーとして、大阪で活動するNPO法人トゥギャザーの上月氏と福祉施設商品のクオリティー向上について検討を重ねていた。そして3.11を迎える。上月氏の動きは早かった。「とにかく行く。行かんと何ができるから分からへんやろ。」と、四駆に自転車やミニバイク、ガソリン、テントにシュラフと支援物資を山のように積んで出かけて行った姿を覚えている。その2〜3週間後、僕も東北へ旅立つことになった。日本財団から頼まれた物資を積んで盛岡〜仙台の施設を回り、真心絶品として何かできること、商品を探し出し、販売支援のベースを作ることがその目的だった。7月には、仙台でトゥギャザーの方達と合流し、最終日にJDF被災地障がい者支援センターふくしまを訪ねることになる。その夜、福島と僕を繋ぐ運命的な「つながり」の仕掛けがあるなど思いもしなかったのだが…。

「つながり∞ふくしま」プロジェクト。その象徴でもあるカンバッジがデザインを生業にしている僕のアンテナに引っかかったのだ。JDFの鈴木さんにそのプロジェクトの説明していただき興味を持った僕は、どうしても現物を見たいと思い、「どこに行けば現物を見られますか」と尋ねると、南相馬で作っているから現地に行けば見られると言う。しかも、その夜は福島の施設の若いひと達が集まる勉強会があり、後で鈴木さんも合流するというので、東京に戻る予定を明日に延ばし、郡山から南相馬に向かった。

 現地に到着したのが夕方過ぎ。会場へ行くと鈴木さんから連絡を受けていた「にんじん舎」の和田さんが迎えてくれ、ご多忙にもかかわらず「つながり∞ふくしま」プロジェクトをこんこんと説明してくださった。しかし、資料が複雑すぎて、正直これは難解だと感じた。その後、食事会に。誰も知らない僕には孤独との戦いかなと思っていたが、話題が施設商品やデザインのことになり、本来のデザインの役割、どうすれば消費者に伝わるか、そのためのパッケージはなどの話しを少しさせていただくと、数人の方にから「施設の商品に足らないのはデザイン」とのお声を聞き、福島の施設にはデザインを真剣に求める意識があることを嬉しく感じた。なぜならその思いこそが商品と自分たちを成長させる一歩なのだから。そして、その流れで2次会…。食事会の整然とした状態から一気に無礼講へ。大分お酒も入り、みんなと楽しく熱い時間を過ごさせていただいた。特に和田さんとのお話は深く、これまでの福島と今後の福島のリアルな話しを聞き、何か力になることがあればと心から思った。

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※2次会に差入した石巻祥心会の復興酒「デコとボコ」(日本初の菊芋焼酎)。

 帰京後、「つながり∞ふくしま」プロジェクトをもっと分かりやすく、ひとに説明しやすい資料を作ろうと思い、一つの図を完成させ、ポスターを自主的に制作した。その事がきっかけとなり施設で働く仲間を募集するポスターの4部作を作成、そして今回の「きょうされん全国大会inふくしま」のポスターを作成させていただいた。制作の都度、僕は福島に足を運ぶ。打合せ、撮影、様々な理由を付けては福島に行く。打合せをし、現場に行き、課題を聞き、酒を飲み、雑魚寝をし、少ない時間だがなるべく現場に身を置き、リアルな福島を感じようと思っている。それは、僕の仕事がデザイン、つまり「つたえる」仕事だから。つたえるためには福島と「つながって」いなければならない。

 次の仕事は…、自分の目で見た「ふくしま」を、福島のひとたちの仕事を分かりやすく構成し、他の人に伝えて行く仕事をしたいと思っている。土地を汚染され、去ったものも多い。それでも除染と戦う事を条件にその地に残った人々は、不条理な思いに負けず日々を過ごさなければならない。その試練を超えた時、福島はとてつもなく大きな存在になるだろう。なぜなら、内外の多くの仲間、そして知恵の結集が必要だからだ。その履歴を多くのひとに知って欲しいし、将来的にその中に僕もつながっていたいと思うからだ。

 最後に、特に、若い職員たちに。今の施設の仕事は慢性的な人材不足もあり、本当に大変だと思います。辛いときもあると思います。でも、撮らせていただいた写真の中のみんなの顔はとても輝いていました。その輝きは未来の種です。立ち止まらず、進化してください。明日ではなく、5年10年先を想像してください。そこにあなたたちの笑顔を継続し(つなげる)、持続可能な自分たちの福島を形成するために。

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※人材募集用に撮影したいわきの施設にて。みんなの笑顔が輝いている。

まどか工房 新倉さん

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アズで〜す。横浜にある「夢21」から、たくさんの人が支援に来てくれました。新倉さんも、その1人。笑顔が素敵な人よ!来年の全国大会は横浜であるそうで、その時は、ワタシも行くわ!
それでは、新倉さん、コメントお願いします。

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 東日本大震災から2年2カ月が過ぎました。その間、JDFの災害支援活動に4度参加させていただきました。

支援活動は、救援物資の配達、被災や避難生活の実態把握調査、そして事業所支援です。活動を通じて、災害時に避難できない障害のある方が多数いたということ、障害のある方にとって避難所での生活の困難さ、また、個人情報保護の壁や要援護者リストの重要性など色々と知ることができました。これらを目のあたりにし、社会の危弱性・社会のもろさを感じ、この社会基盤の上では、災害時に障害のある方は常に命の危険性が隣り合わせにあるのだと思いました。それと同時に、『命の大切さ』『日々の暮らし』『地域社会とのつながり』の大切さをあらためて考えました。

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私が事業所支援に参加させていただいた南相馬市では、現段階でも多くの課題があり、課題によっては日に日に深刻になっていくものも多くあると聴いています。原発から20キロ圏内の警戒区域だった同市小高区おいては震災前にあった約500の民間企業などのうち、再開したのは製造業を中心に40事業所程であったり、区外の仮設校舎で授業を続ける4小学校の児童帰還率は27%を切る状況であると聴きました。このように町全体の機能もままならず復興にも時間がかかる状態でした。

このように東日本大震災は、あまりにも多くの犠牲を払い、多くの悲しみを生みました。しかし、それと同時に得たものもありました。無責任かもしれませんが私はそう信じたいです。この震災にも意味があります。だから、この経験を無駄にするようなことはしてはいけないと考えます。

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私は災害支援活動での経験を身近な事業所で生かしていきたいと考えています。そのひとつは、避難計画をたてることです。そのため日々、障害のある方と向き合い理解し利用者個人にあった避難計画を作って行きたいと思います。そして、今回の震災で明確になった問題を整理しそれに対応していけるよう、平時より準備していきたいと思います。このようなことの積み重ねが、想定外と言われる震災を、想定内に変えていき結果、減災に繋がっていくのではないかと考えます。
また、活動を通じて見たもの、感じたことを多くの人に伝えていき、この東日本大震災で起きた様々なことを風化させずにいきたいと考えます。

夢21福祉会 まどか工房 新倉朋矢

北山さん

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北山さんは、元交流サロンしんせい職員で、仮設住宅を回って障がいをお持ちの方がいないか交流しながら情報をえたり、県内から授産製品を集めて販売してくれたり、されていた方です。
仮設回りや、販売会などの話が来た時も頑張ってくれていました。ありがとう、北山さん!

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JDF「被災地障がい者支援センターふくしま」は、東日本大震災後、すぐの2011年3月19日に福島県の障がい者団体が立ち上げ、被災障がい者の所在確認をして、個別支援に結び付けていきたいというところから活動を開始されました。

私がJDF被災地障がい者支援センターの交流サロンしんせいの一員として、お手伝いすることになったのは、震災7か月後の2011年10月からです。福島県の場合、地震、津波、そして、東京電力の福島第1原発の事故と災害が幾重にも重なり、多くの人たちが避難を余儀なくされました。原発から20キロ圏内の警戒区域の相双地区の人たちは、理由も知らされないまま、2~3日ですぐ帰れると思って避難のバスに乗った人もいたと聞いております。

東日本大震災で、福島県には日本全国のいろいろな所からさまざまな支援や応援をいただきました。それは直接、現地でのボランテァであったり、物としての支援品であったり、また、その支援品を遠くから運んで届けてくれた人、等々多くの人たちに震災
の支援、援助をいただきました。

JDF被災地障がい者支援センター交流サロンしんせいでは、全国からのさまざまな支援や援助を、人と人をつなぎ、支援品を人と施設とにつなぐ等、「つなぐ」ことが仕事の一環となりました。私が担当し関わったのはその中のほんの一部ですが、①重度の身体障がい者の方や、障がいをお持ちの方がどこに避難しているのかをさがすことでした。その為、仮設住宅の集会所でお茶会を開き、困ったことがないか、障がいをお持ちの方が住まわれていないかをお聞きして、相談支援にお繋ぎすることでした。  ②南相馬市の6つの事業所の震災復興プロジェクト、南相馬ファクトリーの、カンバッジ、Tシャツの紹介と販売 ③障がい者施設の授産商品の紹介と販売  ④原発のため浪江町から福祉施設を二本松市に移し事業を再開した「コーヒータイム」さんと「アクセスホームさくら」さんへの後方支援等です。

印象深いことをあげてみますと、震災から1年目の郡山市で行われたイベントの時に駅前で全国から来られた人に南相馬フェクトリーのカンバッジの販売をしました。「福島応援隊」や滝沢くるみさんのデザインのものもすすめて喜ばれました。
授産商品の販売に全国の作業療法士会を紹介して下さった方いて、伊豆や東京、山形からなど、受注をいただいたことです。授産商品は、注文に対して数量を集めるのが大変で、苦労致しましたが、各施設に納期まで間に合わせていただいて、納品することが
出来、本当によかった。それぞれのところからも、喜ばれ、完売されたとの連絡をいただきました。

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又、震災後、二本松市に移って、8月に新しい事業(ラスク販売)を立ち上げた、「アクセスホームさくら」さんのラスク販売も、あらゆる機会を捉えて宣伝し、仮設住宅めぐりの中でも販売し、少しずつ売り上げを伸ばすことが出来ました。微力ですが、販売に協力出来て、本当によかったと感じています。

7月、田村市の仮設住宅をまわっている時に「チョビ」という名の犬に出会いました。すぐに滝沢くるみさんのデザインのカンバッジに「チョビ」があったと思い出しました。チョビは震災時に家族と離れ離れになり、保護されて別の名前をつけられていたそうですが、何ヶ月か後に家族と再会したそうです。次に仮設住宅に行った時にチョビに、カンバッジをプレゼントしました。
仮設住宅は郡山市、田村市の6か所を廻って、重度の身体障がい者さんはおりませんでした。しかし原発事故で避難している多くのひとのお話を聞く機会がありました。目の不自由な人が避難所を何カ所も廻って、大変な思いをされたこと、高齢者の方が多く、自宅にいれば、畑や田んぼで仕事ができるのに、狭い仮設住宅で日がな一日、過ごす苦痛など、また、狭い仮設住宅で要介護5の母親を介護して一緒に住んでいる方もおり、さまざまな思いで、生活しておりました。
お茶会を通して、仮設住宅で生活している人たちと、コーヒーを飲みながら、支援品を持参し、一緒に輪投げをしたり、お菓子を食べたりしました。原発事故の避難時の様子、故郷への思い、家族のこと、一時帰宅の自宅の様子などを聞き、原発事故が、平穏で幸福な市民生活を一瞬のうちにうばってしまったと強い憤りを感じます。

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(朝日新聞H25年5月8日付)「原発20キロ圏を一律に立ち入り禁止にした警戒区域を、放射線量に応じた3区域に見直される。帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除区域、に再編することを政府が決定した。
避難を余儀なくされた9市町村の約7万7千人のうち、約5万1千人は日中の立ち入りが可能になり、一方、2万5千人余りの立ち入り禁止が続く」と。

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福島県の平穏で幸福な市民生活、きれいな土、水、空気、はいつになったら戻るのでしょうか?
全国のみなさんのさまざまな形の支援、援助が、厳しい現実のなかで、喪失感と途方に暮れていた多くの人たちの、心のささえとなると思います。
「つなぐ」という新しい繋がりが、明日への勇気と希望になり、再生と未来への新生を生み出し、この未曾有の大震災を、乗り越える原動力となるのではないでしょうか。
「つなぐ」その中に、ほんの少し身を置くことが出来て、さまざまなことを学ぶ、良い機会となりました。本当にありがとうございました。

北山 亮子

沖縄からの使者

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一番遠くから福島に支援に来てくれたのは、沖縄から来た宮城さんかな。
沖縄の空気を、南相馬に届けてくれた。日本は広いけど、それぞれに故郷があって、愛情を感じたよ。
沖縄に、行ってみたくなったさ〜!

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 私が南相馬市の支援活動に参加したのは、2012年6月17日から6月23日の一週間九州ブロックからの派遣で「えんどう豆」の活動支援に参加しました。

 仲間のみなさんは、缶バッジやさおり織りなどの製品製作に集中して取り組んでおり、お互いにコミュニケーションを図りながら支えあう姿、また、職員のみなさんも仲間のペースにあわせ支援を行いながら妥協のない商品管理を行っている姿が印象的でした。

 支援活動で感じたことの一つに、地震、津波に合わせて原発事故による被害はとてつもなく大きな被害だという衝撃をうけました。当時、立ち入りが制限されている小高地区の様子を見学させていただいた時に、震災当時のままの地区の様子に言葉はなく、住み慣れた家、地域に戻れない住人のみなさんの気持ちを思うと胸が痛みました。
 支援活動では、南相馬ファクトリーのそれぞれの事業所も見学させていただきました。
それぞれの事業所が一体となって、事業所の復興、地域での再スタートに向けて取り組んでいる様子に見習う点がたくさんありました。

 支援活動最終日に、青田理事長より震災当時から一年半経過した現在の状況に至るまでの話を聞かせていただきました。話を聞いて、過酷かつ選択が迫られる状況の中で今の自分だったら何ができるのだろうか、行動出来ただろうか、など様々な考えが頭の中を駆け巡りました。話の中で「災害には大小関係なく、災害が起これば必ず同じような(福島のような)状況は起こる。見過ごされてしまえば過酷な状況に陥る。」という言葉を聞いた時には、災害に対する意識、心構え、日々の支援の中での
課題点の検討と改善、そして何よりも日々の支援の取り組みの中での気づきと「働きかけ」が最も重要だということを感じ、支援活動に参加したことで、これまでの「災害」対する意識をもう一度考え、私たちの事業所も災害時における対策をいち早く検
討し行動し始めました。

 今回の支援活動に参加して強く感じたことは、「事業所があるということ」の大きさでした。これまで事業所の存在意義を深く考えたことはありませんでした。しかし、えんどう豆で働いている仲間、職員のみなさんの姿を見て、事業所があるということ、みんなと顔をあわせること、作業に取り組むこと、考えあうこと、「その時」これまでの状況が一変する出来事が起こったときに、行く場所があるという安心感は何よりも支えになり、普段からの体制づくりが備えにつながること、そして事業所で過ごす一日一日がいかに大切であるかということを感じました。
 「つないでいくこと」。支援活動で感じたことを伝えていくことが現場支援に参加した一人としてこれからもつないでいきたいと思います。

きょうされん沖縄支部
サポートセンターあすなろ
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釧路から

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JDF被災地障がい者支援センターふくしまから、南相馬にボランティアに入った人数は500人ほどで、延べ人数3,000人を超える。北海道から沖縄まで、応援してくれた皆さん、本当にありがとう!
今回は、北海道組の仲間からのメッセージだよ。

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私たちは平成24年3月11日から24日までの間に、行き違いの形で1週間づつ北海道釧路市から福島県南相馬市へ支援に入りました。行く前に、積雪が多いと聞いていた私たちは、手荷物に長靴を入れて空港を歩きました。いざ現地に到着するとほとんど雪が残っていなくて、損した気持ちになったことを今でも覚えています。

私たちが支援に入ったとき、日付は震災からちょうど一年。被災地の状況はメディアで放送されていることぐらいしか知らない状態で現地入りしたのですが、いざ自分の目で見てみるとそのときの爪跡が深く残っていました。文字通り、開いた口が塞がらなくなったのを今でも鮮明に覚えています。しかし作業所に入ると、現地の皆さんはとても明るく笑顔いっぱいで迎えてくれました。作業をしている利用者の方々も笑顔いっぱいに作業していました。私たちが少しでも元気を分けて帰れたらなと意気込んでいたのですが、逆に元気をいただくことになりました。しかし、その明るい笑顔に至るまでにはたくさんの困難があり、それを乗り越えて今の元気があることを教えてくれました。皆さんの復興に望む前向きな姿にものすごいパワーを感じ、自分たちも今まで以上に頑張らなくては、と感じました。私たちは「くしろぱんや」という店名でパン屋さんを営業しているのですが、”笑顔を届ける手作りぱん工房”という理念を掲げて日々営業しています。我々の作業所が目指すべき笑顔がそこにあるのではないかと痛感しました。

作業所の仕事が終わってから、グループホームの方にもお邪魔して利用者の方々とお話する機会があったのですが、自分の時間ができると、ふと震災のことを思い出してしまうことがあるようでした。なので、大変な状況の中でも作業所をすぐに再開したことに感謝をしていると話していました。職員は1年経過しても全く人が増えず、JDFの活動に助けられていると聞きました。

平成25年1月19日、釧路で行われたきょうされん道東ブロック職員研修会に、マッチング事業を担当されている和田さん、川前さんをお迎えして講演していただいたときに、震災から二年弱経過した今は、新しい職員が増えてきているがまだまだ人材不足であることを話しておりました。南相馬市に行き、皆さんの笑顔とあたたかさに触れ、釧路でもその雰囲気を広げていけたら良いなと考えています。ふくしまでの全国大会、全国のつながりの力でいい大会になればよいなと思います。

企業組合ウェルフェアグループ
鈴木 達
高橋 和樹

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