つなぎ

南相馬へ3度入って

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「おかえり!」と言われたほど、福島になじんでしまった松川さん。
震災で大変な事も多かったけど、貴重な出会いがいっぱいあります。
支援に来て、支援に来た人が「ありがとう」と言って帰ります。
モノじゃない、お金じゃない、人と人とのつながりの大切さ。

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南相馬へ3度入って
 きょうされん、JDFの活動を通して南相馬へ行かせてもらいました。この活動がなかったら被災地へ行くことはなかったんじゃないかと思います。テレビや新聞だけじゃなく、自分の目で見て感じることが出来て本当によかったです。
 はじめは職員の不足や忙しさを感じては何も出来ない思いで一週間を終えていました。今は職員が充実しつつあり、この活動が3月までで終わる事を実感しました。
 ぴーなっつを拠点として、それぞれの施設に入りますが私はすべて、えんどう豆に行くことが出来ました。えんどう豆の雰囲気はとても暖かく、仕事と楽しさ、両方ある所で理想的な施設でした。そんな所に支援に入る事が出来て嬉しかったです。今は頼もしい職員さん達が揃い、安心と支援が終わる寂しい気持ちです。
 いつも受け入れてくれた南相馬のなかまや職員の方達と会えるのが楽しみで、そういう気持ちで行ってはいけないんじゃないかと思う事もありました。でも、私にとって皆さんと会えた事が本当に嬉しくて、大好きで、また会いたいと思うのです。私も地元、大分が好きです。南相馬に住んでいる皆さんと同じだと思います。だから離れていても繋がっていたいです。これからも一員としてよろしくお願いします。
大分 べっぷ優ゆう 松川仁美

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藤江さん

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藤江さんは、もともと福島県人です!
今は、東京に住んでるけど、福島への思いが強い!
ロック好きで、生き方もロックな人!文章もロックな感じがするなぁ。
そして、支援に来て、くるりの岸田くんに会えたラッキーな人!

ふじえ

 
20年前、原町の出張先で、お昼にうな重を出された。
役所の人は満面の笑みで「立派でしょう、このうなぎ。原発の熱で養殖したんですよ。」と加えた。
もともとうなぎを食べない私だが、その自慢にとても違和感を覚え、時間がないことを理由に丁重にお断りした。
その違和感が今、簡単にお断りできない事態となってここにある。

ひばりがさえずり、つぐみが遊ぶ、そんなのどかな風景の中でえんどう豆は活動している。
缶バッヂ、さをり織りなどの作業や、歌を歌ったり、近隣の事業所や食事会に出かけたりと、こじんまりした「さや」にメニューがたくさん詰まっている。
みんなでテーブルを囲むお茶の時間、食事時は、自然な一区切り。温かいものが出されて、会話も弾む。
掃除もみんなで。板張りの床をぞうきんがけなんて、何年振りだろう。
働いたり、笑ったり、それぞれができることをして、そうだ、これがヒト本来の暮らしなんだと思い出す。
簡単なようでいて、その自然な流れを、スタッフが利用者と時計とを交互に見ながらやりくりしている。
日頃、A型事業所に居る私には、作業の進め方は考えられても、仕事を含めた生活の愉しみ方を考えるのは至難の業で、
えんどう豆に来ためぐり合わせの意味を痛感する。

いわゆる障がいをハンデと括ることはあっても、個性と捉える場はまだまだ稀である。
むしろ、自分たちの方で線引きしてしまって、福祉の側が閉じ込めているのではと感じることもある、複雑な世界である。
そんな様々なハンデを持ちながら生きるのはただでさえ大変だが、福島・南相馬は震災以降、もっともっと大きなものを背負った。
それでも生きていく。そこで生まれたから、そこが好きだから。
そうせざるを得ないからであっても、そこで生きていく。
だから突き抜けたように、みんな元気で明るい。
でも、波が寄せては返すように、それはいつまでもは続かないだろう。
ふっと悲しくなる瞬間は、波のようにやってくる、しばらくしてから、或いは1日に何度も。
悲しみは忘れることはできない。だから忘れなくてもいいと思う。
でも1日に何度か、何日に1度か、それを考えない時間があっていい。
あった方がいい。
考えなくて済む時間が増えたら、もっといい。

南相馬で、私はたくさんのヒーローに出会った。
ヒーローはかっこいいばかりじゃなくて、立ち止まって悩むこともある、でもいつか前を向いて歩き出す。
ひとりでは泣いているのかもしれないけれど、みんなの前では明るい。
何かしらお役に立てればなんて驕った考えで伺うが、こっちが元気をもらってしまう、やっぱりヒーローだ。
でもヒーローは自分の活躍をひけらかさないので、その活動が知られることは少ない。
たった数日で何ができるでもなく、今回私は南相馬の活動、状況を知ることを目標にやってきた。
できることがあるとすれば、これからだ。
だから、知った私たちが広めていこう、広げていこう、小さくとも、いつまでも。
だって福島で、南相馬でずっと生きていく人が居るから。

『残った力を少しずつ出し合って原動力にしている、そんな活動を学び、活かしませんか~。』
『さをり織りの絶妙の配色。缶バッヂは買った後もひまわりの種を蒔く繋がりが続く。
知らない人が居るなんてもったいない、素敵な作品がたくさんありますよ~。』
「拡散」とやらは、こんな時にこそ使った方がいいのでは。
それでヒーローが少し笑顔になれるなら、ちょっと嬉しい。

生きるとは、瞬間・瞬間の繋がり、人と人の繋がりの中にあって、
すべてはあの日と繋がっている。
繋がる空の下、これからもこの糸の先に生きる人たちを忘れずに居たい。

藤江令子
JDF被災地障がい者支援センターより派遣
2013年2月12日~15日、えんどう豆にて活動

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長崎から使者

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牛嶌さんは、長崎からやってきた。福島への思いが強い人っす。
何度もやってきて、ぴーなっつで泊まって、南相馬を応援してくれている。
聞いたら、8度目? ほんと、ありがとう。熱い人っす!
(上の段の左から3番目が、牛嶌さんっす!)

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長崎の牛嶌です。福島の支援に入ったのは2011年の8月が最初でした。
長崎といえば・・・ほとんどの人が「原爆」と答えます。自分自身、長崎を説明するとき、原爆を外すことはできません。8月9日は夏休みの期間中でも登校日となり、原爆の日として、小さいころから平和についての教育を受けてきました。その中で、長崎が最後の被ばくの地となることを願ってきたはずでした・・・。震災直後から何か支援ができないかと考えていましたが、福島県の原発事故による放射線被ばくの情報を耳にしたとき、長崎県民として福島を支援していきたいという方向性が見えてきました。はじめて支援に入った8月。地元長崎では夏休みを元気に過ごす子どもたちの笑顔で溢れていました。しかし、南相馬では街に子どもの笑顔どころか、街を歩く人の姿もほとんど目にしない情景が今でも鮮明に脳裏に焼きついています。これが放射線がもたらした現実なんだと実感しました。そして、そのような状況の中で懸命に暮らしている障害のあるなかまと、彼らを支えるスタッフのみなさんの支援を続けていきたいと改めて思いました。その思いは今でも続いています。この原稿も7回目の支援の期間中に、一緒に入ったチームのメンバーと酒を酌み交わした後、書いているところです・・・ごめんなさい。

 

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去る2月9日(土)・10日(日)、きょうされん九州ブロック学習交流会長崎大会が長崎市内において開催されました。その大会に南相馬「ぴーなっつ」の青田理事長と石田主任にも参加していただき、被爆地長崎を生きる被爆2世の方や、核兵器の廃絶を世界に訴え続けている高校生平和大使のみなさんと、「原爆と原発」というテーマで交流する場を設定しました。お二人が参加されるということで、九州各地から当初の想定を越えた、九州大会過去最高の参加者が一堂に会しました。改めて青田人気、石田人気の高さを感じましたが、それと同時にこれまで一緒に支援に入った方々と再会する場ともなりました。夜の懇親会では青田さんや石田さんと一緒に、支援を通してつながった九州のみなさんと思い出話に花が咲き、大いに盛り上がりました。

 支援に入ったことで、自分自身が福島と、南相馬とつながることができたことは間違いありません。そして全国の支援者同士がつながったことも間違いありません。「被災地のなかまを支援する」ただその目的だけでこれだけの人たちがつながっていることに、大きな感動を覚えます。もし自分たちに何かがあったときは、きっとみんながつながってくれる・・・そう思うと、大きな勇気が湧いてきます。福島・南相馬を中心とした大きなつながりを、いつまでも大切にしていきたいと思います。福島大会の会場で、また、この大きなつながりを確かめ合いましょう!

ここからつなぐ

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金子くんは、いい奴だぜ。福島に何度も来てくれて、クールな仕事をしてくれてる。彼にコメントをもらったので、読んでくれ!彼は、福島に何度も来てくれるのは、なぜなのか?みんなに、感じてほしいな。
 

 
jkaneko
 

神奈川から2013年1月7日から2月5日まで神奈川から支援に入っていた金子純之介と申します。
私は2011年の11月に初めて南相馬市の事業所支援に入らせていただきました。その頃は震災から8ヶ月。放射能の事についての番組とかが良くテレビで放送されていた時期です。当初、私は福島に行くのは放射能汚染がひどいので、プライベートで行く事は無いだろうと思っていました。仕事で福島に支援に行ってくれないかと言われた時、行く事を相当迷ったのを覚えています。しかし、南相馬の現状を聞くと行かない訳にはいかないと決心し、覚悟をして地元を出てきたのを覚えています。

南相馬の事業所支援に入ってみると、まだ暗い顔をしたなかまの皆さんもいましたが、段々と前の日常に戻って来ているのかな?という印象を受けました。なかまは元気になって来ているが、その分職員さんが段々と精神的に落ち込んできているなという印象でした。

2回目に支援に入ったのは、2012年2月。その頃は人材不足が深刻で、求人を出しても1ヶ月何の音沙汰もないような状況でした。事業所は暗い顔のなかまもだいぶ少なくなって、着々と笑顔が増えていました。着実に復興していっている街中でしたが、職員さんの心の復興はまだまだな状況でした。

3回目は2012年5月終から6月頭にかけて。この頃になると暗い顔をしているなかまはいませんでした。事業所にいるなかま同士、笑顔で冗談を言い合いながら仕事をする様子が見られ、とても和気あいあいと仕事をしていました。しかしそれに反比例して、先が見えない状況で職員さんの精神的な余裕は無く、ギリギリで爆発寸前にまで追い込まれている状況でした。(その後慰安旅行があったりリフレッシュ休暇を貰えたりして、少し持ち直していたようです。)

4回目の現地支援。2012年10月終わりから11月頭にかけて。初めての事業所支援から1年たちました。この頃になると現地の職員さんの採用もあり、新しい職員さんが入ってきていました。新しい職員さんが来て、以前からいた職員さんは心に大分余裕が生まれ、以前人が居なくて見られなかったような、細かい所も支援の手が届いていました。JDF職員は最後の仕上げとして、新しく入った職員さんが自発的に動けるような状況作りをする事がとても重要だとこの頃思いました。

そして2013年1月からマッチング事業で、1月26日南相馬で行う説明会・相談会2月2日にいわきで行う説明会・相談会を行うにあたり、相馬・南相馬全体を回り、店頭にポスターを貼ってもらう為、全力で走り回っていました。
マッチング事業の重要性、再確認しました。
マッチング事業を担当している、和田さん、古賀さん、川前さん。良い経験をさせていただきました。感謝しています。もちろん送り出してくれた、自分の施設の方にも感謝をしています。

ふくしま。
日本。いや、世界にとっても、とても意味のある場所だと私は思っています。
東北の方たちは親切で、本当にあたたかい。この気持ち、支援に入った方は誰でも分かると思います。この気持ちを”ここからつなげて”行きたいと強く思っています。
ふくしま大会。全国の力で大成功させていきましょう。

 
金子純之介(きょうされん神奈川支部)