エル・ファロ 自由空間

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いわき市は、福島県の浜通りの南方にあり、津波の被害が大きかった地域だ。今、復活してきた「自由空間」のなかまは、輝いてる。大変な時期を乗り越えてきたから、今、生きることが大事ってことがわかるんだなぁ。それにしても、みんな、いい表情してるなぁ。

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社会福祉法人 エル・ファロ 自由空間はいわき市植田町にあります。以前は勿来保健所として使われていましたが、現在は自由空間(生活介護・生活訓練)として、なかまが笑いあって、ぶつかりあって、一緒に喜び、いろんな活動をして、日々楽しくなかまひとりひとりの大切な居場所となっています。

エル・ファロ自由空間01

最近は震災後初の旅行に会津まで行ってきました。あいにくの雨でしたが、久々の旅行になかまは興奮して、落ち着かないなかまやバスの移動で盛り上がりすぎて疲れてしまったなかまなど、スタッフも含めてみんな一日夢のような時間を過ごしていました。記念撮影もしていい思い出を作ることもできました。

エル・ファロ自由空間のなかま02

このように、自由空間が全員今日まで過ごせてきたのは、何のことないきょうされんはじめ、全国から多くの人的物的支援が続いているからこそなのだと実感します。

2011年3月11日・・・
あの時私たちは、なかまの送迎が始まる時でした。いきなり、体験した時のない揺れが襲い、どこからともなく悲鳴の声が聞こえ、みんな戸惑い、なんともいえない大きな恐怖で身動きひとつできませんでした。ブロック塀は崩壊し、水道管は破裂し、電柱は傾き、現実に起きているようには思えない現実でした。地震がおさまった後、なかまを安全な場所に避難する為、2階に誘導しました。近くの川の逆流している状況を知って、高いところに避難しようと近所の人や海の方から車で逃げてきた人も自由空間に駆け込んできました。幸い、津波は玄関の前までで施設内には影響がなく、全員無事でした。

それから、なかまやスタッフ、近所の人たちで炊き出しをして、一晩泊り込みました。水は自動販売機の水を買えるだけ買い込み、食糧は弁当を作っている「わが家」の食材を使いました。
一泊した後は、みんな自分たちの家に戻り、水道が出るまで施設閉鎖となりました。
それからは、身寄りのないグループホームやケアホームの人たちと数人のスタッフで茅ヶ崎まで避難したり、支援物資の配布があったら、みんなで取りに行ったりと一日でも早く再開できるようスタッフは動き回っていました。その中で、今でも忘れられないのは、支部の会津勢からガソリンがいわきに届けられたことです。移動に関してはいわきは車がないと不便な土地です。ガソリンがないというのは、水と同じくらい重要なことで、当時ガソリンの確保はどうすればいいのかと頭を悩ませていたところにいち早く届けていただいて、私たちは本当に救われ、涙がこぼれる想いでした。
その4,5日後に水道は回復、4月1日には開所することができました。

エル・ファロ創造空間03

あれから私たちは約2年と3ヶ月の月日が経ち、助成金や支援物資、県外から応援してくださる人たちに支えられ、多くの人たちからいろんなことを学ばせていただきました。きょうされんの支援があればこそ、自由空間はここまで来ることができたといっても過言ではありません。
本当に支部の方々ありがとうございます。

エル・ファロ創造空間のなかま04

これからはこの全国大会に向けて、自由空間のラテンパーカッション部隊は日々、「風になりたい」を練習して、大会の成功させたいと思います。私たち自由空間にとって、この全国大会が「はじまり」であり、大きな一歩となります。これまで支援していただいた人たちに対しての感謝を全国大会で伝えていきます。

                                自由空間 佐藤見地