みやぎの伝え

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アズで〜す。
宮城の「あの時」を、鷲見さんに、伝えてもらいます。
宮城は津波で一番、被害のあった県です。
3.11を、明日のために、みんなに伝えていきますね。

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僕の3月11日

1、震災当日僕は・・・
僕の住んでいる所は、築30年くらい経過した鉄筋コンクリート10階建ての2階です。僕は起床・就寝時の身体介護と週4回の家事援助を受けながら一人暮らしをしています。その日は家にいてお昼の家事援助を終え、出かける準備をしているところでした。そして14時46分ころ、突然強いゆれを感じたのです。最近地震が続いていたので最初のうちは、また来たかという感じでいたのですが、なかなか揺れがおさず、逆にだんだん揺れが激しく。これまでに感じたことのない強い揺れが襲ってきたのです。部屋は強烈に揺れ壁にどんどん亀裂が入っていくのを目撃したときには心底ヤバイと感じました。5分位して最初の揺れが収まったころに、全障研事務局の新井田さんから「東京もかなりゆれたけど仙台は大丈夫かな?」と電話をもらい話している最中につよい余震、そして停電になってしまったのです。大体15時くらいだったと思います。それからは携帯電話やメールはっつながりににくくなっていきました。停電でんそれ以降の情報はまったく入ってきませんでした。その夜は、余震と寒さと暗闇とのお付き合いでした。そうした中で、同じ建物に住んでいる方が、安否確認に来てくれて散らかっていた部屋を車椅子で通りやすくしていただいたり、歌声の店バラライカの方がおにぎりと海中電灯をさしいれにわわざわざ来てくれました。その夜は普段なら就寝介助に来るへルパーさんも来訪できず、何回となく起こる余震に怯えながら夜が明けるのを待つしかありませんでした。

2、取り残されてしまった僕
 安否確認に来たヘルパーさんから、僕の住んでいるところは、倒壊のおそれがあるので非難命令が出ていることを知らされびっくり仰天。初めて通り残されたことを知ったのです。

3、2時間余りの避難所生活
それでそのヘルパーさんにお願いして避難所までつれていってもらいました。とりあえず倒壊の恐れがあるところから脱出できたのです。もし火災でもおきていたらと思う宇土ぞっとします。そしてほっとしたのもつかの間、連れてきてもらったヘルパーさんは次のところに行かなければならず。そこでお別れです。回りは見知らぬ人ばかりだし、避難所に来て始めて大津波の被害や今回の地震による被害の甚大さを知ったのです。そして避難所の介助体制・トイレはどうなっているのだろう?ヘルパーは避難所に来てくれるのだろうか?いろんな不安が頭をよぎってしまいました。そういった緊急のときの障害者に対するケアについてまったくといっていいほど無知だったことを思い知らされました。

4,その2か月余り実家等での恵まれた避難生活が始まる

僕はその後、妹夫婦が迎えに来てくれたので、避難所での滞在は一時間位ですみました。その妹夫婦の家も津波警報で非難していてとてもすぐ来れる状況ではなく、翌朝僕のところに来てくれたのです。そこは停電だけだったので、日中はあまり不便を感じませんでしたが、夜は暗くなる6時から7時ころには就寝。でも余震似る津波が心配ですぐに避難できるような服装で横になっていました。余震と津波に怯える日が続きました。そういう状態を心配してくれた二人の弟の家に、妹家族と非難しました。避難先での、僕の介助は一緒に行ってくれた甥っ子が主にやってくれたので、何不自由なく避難生活を送ることが出来ました。兄弟家族で僕を支えてくれて本当に助かりました。倒壊の恐れがあった僕の住んでいたところも、検査の結果大丈夫と分かったのでライフラインが回復して5月の連休明けにようやく自宅にもどりました。

5、教訓を生かそう
今回まさか自分が世界最大級の地震被害の当事者になるとは思ってもいませんでした。たくさんの命と幸せを奪い去った、いくら憎んでも憎み足りない地震と津波。そして原発被害への恐怖、将来への不安は増幅するばかりです。でも、そこで立ち止まっているわけには行きません。沢山の方々から頂いた、「励まし・優しい心」を、大きな楯にして、またいつどこでおこるかわからない災害対策・災害弱者への備えや支援体制の構築など、今回の教訓を生かしながら取り組んで行きたいとおもっています。そして普通の生活・笑顔・微笑みをとりもどしことができるよう、ちいさな一歩をみんなと一緒に踏み出して行きたいと思っています。

当日のことを詩にし曲をつけてもらいました。

「僕の3月11日」
1、突然襲った これまでに感じたことのない恐ろしい程の揺れ
   何度も何度も容赦なく揺れは続く まるで僕の恐怖をあざ笑うかのように
   そして僕は灯りを奪われ 暗闇の世界に追いやられた
   とても心細く 寒さと不安は増大 膨らむばかり 
   外は黒い空に覆われ雪が落ちてきた
 なにも見えない、なにも分らない なにも知らない 

僕のいる建物が倒壊のおそれがあるので避難命令が出て みんな避難していることを僕は知らなかった

2、大津波で想像を絶する悲劇が生まれていることなどしいるよしもない
何度も繰り返す余震に怯えながら 時間の経つのを待つ 
友が届けてくれたおにぎり 空腹を満たす 
  やっと繋がる携帯 家族 兄弟 友人たちの声 みんなの顔が頭の中を交差する
  僕は一人ぼっちではないと実感した

 翌朝、僕は初めて、沢山の命、笑顔、幸せを奪い去っていった津波を知った
 過日、津波で高校のクラスメートが亡くなっていた事を知った 
 とてもやるせなく 悲しい思い いくら願っても もう二度と会うことも 
声を聞くことすら叶うことはない 僕の3月11日

すみとしお