藤江さん

 ナカマンblank
藤江さんは、もともと福島県人です!
今は、東京に住んでるけど、福島への思いが強い!
ロック好きで、生き方もロックな人!文章もロックな感じがするなぁ。
そして、支援に来て、くるりの岸田くんに会えたラッキーな人!

ふじえ

 
20年前、原町の出張先で、お昼にうな重を出された。
役所の人は満面の笑みで「立派でしょう、このうなぎ。原発の熱で養殖したんですよ。」と加えた。
もともとうなぎを食べない私だが、その自慢にとても違和感を覚え、時間がないことを理由に丁重にお断りした。
その違和感が今、簡単にお断りできない事態となってここにある。

ひばりがさえずり、つぐみが遊ぶ、そんなのどかな風景の中でえんどう豆は活動している。
缶バッヂ、さをり織りなどの作業や、歌を歌ったり、近隣の事業所や食事会に出かけたりと、こじんまりした「さや」にメニューがたくさん詰まっている。
みんなでテーブルを囲むお茶の時間、食事時は、自然な一区切り。温かいものが出されて、会話も弾む。
掃除もみんなで。板張りの床をぞうきんがけなんて、何年振りだろう。
働いたり、笑ったり、それぞれができることをして、そうだ、これがヒト本来の暮らしなんだと思い出す。
簡単なようでいて、その自然な流れを、スタッフが利用者と時計とを交互に見ながらやりくりしている。
日頃、A型事業所に居る私には、作業の進め方は考えられても、仕事を含めた生活の愉しみ方を考えるのは至難の業で、
えんどう豆に来ためぐり合わせの意味を痛感する。

いわゆる障がいをハンデと括ることはあっても、個性と捉える場はまだまだ稀である。
むしろ、自分たちの方で線引きしてしまって、福祉の側が閉じ込めているのではと感じることもある、複雑な世界である。
そんな様々なハンデを持ちながら生きるのはただでさえ大変だが、福島・南相馬は震災以降、もっともっと大きなものを背負った。
それでも生きていく。そこで生まれたから、そこが好きだから。
そうせざるを得ないからであっても、そこで生きていく。
だから突き抜けたように、みんな元気で明るい。
でも、波が寄せては返すように、それはいつまでもは続かないだろう。
ふっと悲しくなる瞬間は、波のようにやってくる、しばらくしてから、或いは1日に何度も。
悲しみは忘れることはできない。だから忘れなくてもいいと思う。
でも1日に何度か、何日に1度か、それを考えない時間があっていい。
あった方がいい。
考えなくて済む時間が増えたら、もっといい。

南相馬で、私はたくさんのヒーローに出会った。
ヒーローはかっこいいばかりじゃなくて、立ち止まって悩むこともある、でもいつか前を向いて歩き出す。
ひとりでは泣いているのかもしれないけれど、みんなの前では明るい。
何かしらお役に立てればなんて驕った考えで伺うが、こっちが元気をもらってしまう、やっぱりヒーローだ。
でもヒーローは自分の活躍をひけらかさないので、その活動が知られることは少ない。
たった数日で何ができるでもなく、今回私は南相馬の活動、状況を知ることを目標にやってきた。
できることがあるとすれば、これからだ。
だから、知った私たちが広めていこう、広げていこう、小さくとも、いつまでも。
だって福島で、南相馬でずっと生きていく人が居るから。

『残った力を少しずつ出し合って原動力にしている、そんな活動を学び、活かしませんか~。』
『さをり織りの絶妙の配色。缶バッヂは買った後もひまわりの種を蒔く繋がりが続く。
知らない人が居るなんてもったいない、素敵な作品がたくさんありますよ~。』
「拡散」とやらは、こんな時にこそ使った方がいいのでは。
それでヒーローが少し笑顔になれるなら、ちょっと嬉しい。

生きるとは、瞬間・瞬間の繋がり、人と人の繋がりの中にあって、
すべてはあの日と繋がっている。
繋がる空の下、これからもこの糸の先に生きる人たちを忘れずに居たい。

藤江令子
JDF被災地障がい者支援センターより派遣
2013年2月12日~15日、えんどう豆にて活動

ふじえ2