北山さん

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北山さんは、元交流サロンしんせい職員で、仮設住宅を回って障がいをお持ちの方がいないか交流しながら情報をえたり、県内から授産製品を集めて販売してくれたり、されていた方です。
仮設回りや、販売会などの話が来た時も頑張ってくれていました。ありがとう、北山さん!

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JDF「被災地障がい者支援センターふくしま」は、東日本大震災後、すぐの2011年3月19日に福島県の障がい者団体が立ち上げ、被災障がい者の所在確認をして、個別支援に結び付けていきたいというところから活動を開始されました。

私がJDF被災地障がい者支援センターの交流サロンしんせいの一員として、お手伝いすることになったのは、震災7か月後の2011年10月からです。福島県の場合、地震、津波、そして、東京電力の福島第1原発の事故と災害が幾重にも重なり、多くの人たちが避難を余儀なくされました。原発から20キロ圏内の警戒区域の相双地区の人たちは、理由も知らされないまま、2~3日ですぐ帰れると思って避難のバスに乗った人もいたと聞いております。

東日本大震災で、福島県には日本全国のいろいろな所からさまざまな支援や応援をいただきました。それは直接、現地でのボランテァであったり、物としての支援品であったり、また、その支援品を遠くから運んで届けてくれた人、等々多くの人たちに震災
の支援、援助をいただきました。

JDF被災地障がい者支援センター交流サロンしんせいでは、全国からのさまざまな支援や援助を、人と人をつなぎ、支援品を人と施設とにつなぐ等、「つなぐ」ことが仕事の一環となりました。私が担当し関わったのはその中のほんの一部ですが、①重度の身体障がい者の方や、障がいをお持ちの方がどこに避難しているのかをさがすことでした。その為、仮設住宅の集会所でお茶会を開き、困ったことがないか、障がいをお持ちの方が住まわれていないかをお聞きして、相談支援にお繋ぎすることでした。  ②南相馬市の6つの事業所の震災復興プロジェクト、南相馬ファクトリーの、カンバッジ、Tシャツの紹介と販売 ③障がい者施設の授産商品の紹介と販売  ④原発のため浪江町から福祉施設を二本松市に移し事業を再開した「コーヒータイム」さんと「アクセスホームさくら」さんへの後方支援等です。

印象深いことをあげてみますと、震災から1年目の郡山市で行われたイベントの時に駅前で全国から来られた人に南相馬フェクトリーのカンバッジの販売をしました。「福島応援隊」や滝沢くるみさんのデザインのものもすすめて喜ばれました。
授産商品の販売に全国の作業療法士会を紹介して下さった方いて、伊豆や東京、山形からなど、受注をいただいたことです。授産商品は、注文に対して数量を集めるのが大変で、苦労致しましたが、各施設に納期まで間に合わせていただいて、納品することが
出来、本当によかった。それぞれのところからも、喜ばれ、完売されたとの連絡をいただきました。

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又、震災後、二本松市に移って、8月に新しい事業(ラスク販売)を立ち上げた、「アクセスホームさくら」さんのラスク販売も、あらゆる機会を捉えて宣伝し、仮設住宅めぐりの中でも販売し、少しずつ売り上げを伸ばすことが出来ました。微力ですが、販売に協力出来て、本当によかったと感じています。

7月、田村市の仮設住宅をまわっている時に「チョビ」という名の犬に出会いました。すぐに滝沢くるみさんのデザインのカンバッジに「チョビ」があったと思い出しました。チョビは震災時に家族と離れ離れになり、保護されて別の名前をつけられていたそうですが、何ヶ月か後に家族と再会したそうです。次に仮設住宅に行った時にチョビに、カンバッジをプレゼントしました。
仮設住宅は郡山市、田村市の6か所を廻って、重度の身体障がい者さんはおりませんでした。しかし原発事故で避難している多くのひとのお話を聞く機会がありました。目の不自由な人が避難所を何カ所も廻って、大変な思いをされたこと、高齢者の方が多く、自宅にいれば、畑や田んぼで仕事ができるのに、狭い仮設住宅で日がな一日、過ごす苦痛など、また、狭い仮設住宅で要介護5の母親を介護して一緒に住んでいる方もおり、さまざまな思いで、生活しておりました。
お茶会を通して、仮設住宅で生活している人たちと、コーヒーを飲みながら、支援品を持参し、一緒に輪投げをしたり、お菓子を食べたりしました。原発事故の避難時の様子、故郷への思い、家族のこと、一時帰宅の自宅の様子などを聞き、原発事故が、平穏で幸福な市民生活を一瞬のうちにうばってしまったと強い憤りを感じます。

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(朝日新聞H25年5月8日付)「原発20キロ圏を一律に立ち入り禁止にした警戒区域を、放射線量に応じた3区域に見直される。帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除区域、に再編することを政府が決定した。
避難を余儀なくされた9市町村の約7万7千人のうち、約5万1千人は日中の立ち入りが可能になり、一方、2万5千人余りの立ち入り禁止が続く」と。

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福島県の平穏で幸福な市民生活、きれいな土、水、空気、はいつになったら戻るのでしょうか?
全国のみなさんのさまざまな形の支援、援助が、厳しい現実のなかで、喪失感と途方に暮れていた多くの人たちの、心のささえとなると思います。
「つなぐ」という新しい繋がりが、明日への勇気と希望になり、再生と未来への新生を生み出し、この未曾有の大震災を、乗り越える原動力となるのではないでしょうか。
「つなぐ」その中に、ほんの少し身を置くことが出来て、さまざまなことを学ぶ、良い機会となりました。本当にありがとうございました。

北山 亮子