ぴーなっつの石田さん


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南相馬の「ぴーなっつ」の石田さんの手記を紹介するね。
「ぴーなっつ」は、生活介護の事業所よ。
全国から入ったボランティアさんは、ここで寝泊まりしのよ。
石田さんって、マイペースで、ハートがある人ね!
男性のボラさんさんにもモテモテよ!

 

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 震災後の原発事故により、南相馬市の住民が新潟に避難することなった最後の便を見送った後、無人化した鹿島の街を通って、自分も北へ避難するつもりでした。
鹿島橋を通って街へ入った時、家に入ろうとする腰を曲げたお年寄りが目に入りました。 

「お年寄りを置いて、自分だけ逃げていいのか」
自問しました。 自分には、一緒に避難する両親や妻子もいず、このまま残って最後に出て行こうと決心しました。

 3月末、消防団で活動している時、ぴーなっつから再開に向けて活動するので来てくれと連絡があり、行ってみると、神奈川きょうされんの方がドラム缶や携缶でガソリンを持ってきてくれていました。当時は、首都圏でもガソリン不足で、南相馬ではガソリンスタンドも並ばないと買えない時期で本当にありがたかったです。それからきょうされんから物資や人的ボランティアなど支援を現在まで継続して受けています。

 4月22日にぴーなっつは支援のおかげで再開できました。その後、ぴーなっつは、きょうされんが参加しているJDF(全国的な障がい者の団体)が行なった「南相馬市の障がいを持った方の避難の状況の調査」の拠点となりました。
私が避難を思いとどまった老人の方のように、体が不自由で避難できない方、避難できたとしても避難所ではとても生活できないから避難しないという方などが、調査で出てきました。

 その時、3月下旬に塙町に、ある家族の避難をさせるため、市役所の福祉課に相談しに行ったとき、避難所で身体が弱い方を避難させたいがどうしようもできないと職員の方々が真剣に悩んでいたのを思い出しました。実際、ぴーなっつで再開前に避難所に避難している身障の方の入浴支援をしており、本来保護されなければならない方々が残ってしまった現実を肌で感じていました。

 震災後、お店屋さんがどこも開いておらず、開いても長蛇の列でした。ライフラインが分断された状況で、障がいをもっている方の苦労は計りしれないものだったと思います。障がいをもっていない方でも当時、小麦粉を手に入れるにやっとで、手に入れて久しぶりの天麩羅を食べた時は、涙が出て止まらなかったということでした。仙台ではガス配給がままならず、コンロや風呂が使えないところが多数あったようです。

 南相馬市では、残っていても困難な生活、避難しても困難な生活ということで、住民は大きな決断をしなければなりませんでした。どの選択をしても心の安住はありません。南相馬の住民はこれから過去と対話をしながら未来にむかっていかなければなりません。
私たち南相馬の住民は、悲しみや悔しさを背負いつつも、前を向いて進んで行かなくてはならなかったのです。そして、私たちも、障がいをもった仲間のための居場所を再開することとしました。

 南相馬市の利用者の大半が避難していましたので、ぴーなっつは当初、避難できず自宅でいる方もしくは北の相馬市・新地町の人が利用していました。職員も大半が避難しており、人数を制限して、時間を短縮にしての再開となりました。大変な時期だったので、利用者の方に安心してもらえるように楽しい雰囲気を出そうと努力しました。そんな時、JDFから派遣された支援員の方が、みんなを励ますための催し物を開いてくれました。手品や一発芸、歌など披露してくれました。それが今日まで定例となり、毎回お楽しみ会として、さぽーとセンターぴあの3事業所、ぴーなっつ・えんどう豆・ビーンズのみんなが集まる場となりました。みんな毎回楽しみにしています。

ゴールデンウィークを過ぎると、ぼちぼちですが、店屋さんも開いてきて、ガソリンも通常に手に入るようになりました。JDFの方は、南相馬の「あじくら」という中華屋さんが好みでよく行くようになったのもこのころからです。後に、ぴーなっつの近くの「円満」というラーメン屋が再開するとそこも行くようになりました。しかし、どのお店も閉まるのが早く、今現在(H24.2.29)以前の営業時間に戻っている店は2割もない状態です。
 
 夏になるころには、かなりの方が戻ってきました。サービス提供の面で、入浴サービスが調整となり、震災以前は希望通り入浴できていたのに、半分ぐらいの入浴となりました。
現在も調整が続いており、本当に利用者の方には申し訳ないと感じています。また、活動面では、以前は散歩や野外活動があったのですが、原発事故の為にできなくなりました。草むしりが好きな利用者は、長靴とごみ袋でアピールするのですが、聞き届けてもらうのに謝るしかありませんでした。一度ドライブに行ったのですが、美しい向日葵畑の中、車を止めて、外に利用者さんを出すため、放射線測定をするとあまりの高さに、いそいでドアを閉め車を走らせました。

 そのような状況なので、当地で行われる相馬野馬追いは、縮小した形になり、30キロ圏で行えず、地元住民としては悔しい思いをしました。毎年利用者の方も楽しみにしていたのに残念です。送迎で、野馬追いの祭事場の「雲雀ヶ原」を通るたびに荒れた様子をみるにしのびなかったです。広大な敷地を除染して今年は開催するとの話ですが、まだ行ってはいません。
秋になり、職員から、暗い気分を一掃しようということで、お昼ご飯の前に、みんなで歌を歌うようにしました。坂本九さんの「上を向いて歩こう」を復興に向けて元気に歌っています。外に出られない分、体操を以前より、大目に取り入れました。みんな積極的に取り組んでいます。JDFの方へのお土産に福島の人が考案した「やきとりじいさん体操」のDVDを差し上げているのですが、ぴーなっつでは見た目よりハードな体操なのでやっておらず、全国的普及はJDF支援員の皆様に託されています。

 今年も、南相馬では作付けができず、米を作ることができません。うちでは柚子ができるのですが、放射能の為、収穫しませんでした。支援等お世話になった方へ本当は送りたかったのですができません。支援ばかり受けて何も返すことができない自分に嫌な気分になるときがありますが、いつか返すときまでと思い、今は利用者の方へと気持ちを切り替えするほかありません。

 まだ何も見通しが立っていませんが、広島・長崎そして戦後の日本を再生した先人の方たちが出来たことを少しでも近づけるよう努力していくしかありません。震災後直ぐに、消防活動で沿岸部を捜索している時、戦後の焼け野原を思わせる光景を見ました。原発事故で、無人化した街も見ました。

 心が折れそうな時、万葉集の歌を見ました。「かにかくに 人はとやかく 言うけれど 我は織らなむ真白の布を」という歌です。「いろいろとやかく人は言うけれど、自分が出来ることをただひたすらするだけ、心を正直に持って」という歌です。

 震災から一年、自立して自分たちでやっていかなければと思いつつ、支援に頼る日々が続いています。震災や原発事故の経験を風化させず、昇華して、いつか支援なされた方々に恩返しができるよう微力ですが頑張っていきます。

 障がいを持った方が、活き活きと生活できる南相馬、復興へ向けて活動をしていきたと思っています。今後もどうか、ご協力お願い致します。
全国から温かい支援をいただきました。ありがとうございました。また、中通り、会津地方の方にはいろいろ受け入れいただき言葉もありません。
大変な状況ですが、乗り越えていき、皆様へ恩がえしできるよう邁進していきます。

特定非営利活動法人さぽーとセンターぴあ
    デイさぽーと ぴーなっつ
主任 石田宏之