長崎から使者

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牛嶌さんは、長崎からやってきた。福島への思いが強い人っす。
何度もやってきて、ぴーなっつで泊まって、南相馬を応援してくれている。
聞いたら、8度目? ほんと、ありがとう。熱い人っす!
(上の段の左から3番目が、牛嶌さんっす!)

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長崎の牛嶌です。福島の支援に入ったのは2011年の8月が最初でした。
長崎といえば・・・ほとんどの人が「原爆」と答えます。自分自身、長崎を説明するとき、原爆を外すことはできません。8月9日は夏休みの期間中でも登校日となり、原爆の日として、小さいころから平和についての教育を受けてきました。その中で、長崎が最後の被ばくの地となることを願ってきたはずでした・・・。震災直後から何か支援ができないかと考えていましたが、福島県の原発事故による放射線被ばくの情報を耳にしたとき、長崎県民として福島を支援していきたいという方向性が見えてきました。はじめて支援に入った8月。地元長崎では夏休みを元気に過ごす子どもたちの笑顔で溢れていました。しかし、南相馬では街に子どもの笑顔どころか、街を歩く人の姿もほとんど目にしない情景が今でも鮮明に脳裏に焼きついています。これが放射線がもたらした現実なんだと実感しました。そして、そのような状況の中で懸命に暮らしている障害のあるなかまと、彼らを支えるスタッフのみなさんの支援を続けていきたいと改めて思いました。その思いは今でも続いています。この原稿も7回目の支援の期間中に、一緒に入ったチームのメンバーと酒を酌み交わした後、書いているところです・・・ごめんなさい。

 

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去る2月9日(土)・10日(日)、きょうされん九州ブロック学習交流会長崎大会が長崎市内において開催されました。その大会に南相馬「ぴーなっつ」の青田理事長と石田主任にも参加していただき、被爆地長崎を生きる被爆2世の方や、核兵器の廃絶を世界に訴え続けている高校生平和大使のみなさんと、「原爆と原発」というテーマで交流する場を設定しました。お二人が参加されるということで、九州各地から当初の想定を越えた、九州大会過去最高の参加者が一堂に会しました。改めて青田人気、石田人気の高さを感じましたが、それと同時にこれまで一緒に支援に入った方々と再会する場ともなりました。夜の懇親会では青田さんや石田さんと一緒に、支援を通してつながった九州のみなさんと思い出話に花が咲き、大いに盛り上がりました。

 支援に入ったことで、自分自身が福島と、南相馬とつながることができたことは間違いありません。そして全国の支援者同士がつながったことも間違いありません。「被災地のなかまを支援する」ただその目的だけでこれだけの人たちがつながっていることに、大きな感動を覚えます。もし自分たちに何かがあったときは、きっとみんながつながってくれる・・・そう思うと、大きな勇気が湧いてきます。福島・南相馬を中心とした大きなつながりを、いつまでも大切にしていきたいと思います。福島大会の会場で、また、この大きなつながりを確かめ合いましょう!

アクセスホームさくら

ハマーblank福島第一原発に近い波江町にあった「アクセスホームさくら」。住んでいた波江には、戻ることは出来ません。
避難したメンバーを集めて、二本松市で再開するまでの努力は、ハンパないね。
自動車の部品の下請けの仕事ができなくなり、今では、おいしいお菓子を作ってる。
応援しとるぜ!みんな、よろしく!

 

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さくらの笑顔が戻ってきました

3月11日の震災後、さくらは避難を余儀なくされ全員ばらばらになってしまいました。
「もう一度、みんなで仕事がしたい!」との思いがかなって、平成23年8月1日に二本松市で事業再開することができました。
利用者さん全員は戻ってくることはできませんが、13名の笑顔が戻ってきました。

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さくらは全国から、たくさんの方々にご支援を頂き以前のように、みんなで活き活きと活動することができるようになりました。
震災後から始めたお菓子作りも順調に実績を伸ばすことができ、皆様から「美味しい!」との声を頂いています。
今後も笑顔になれる美味しいお菓子を作って福島の復興につなげられるよう、がんばります!

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なごみのとうふ

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二本松の「なごみ」に行ったので、紹介するね。
こだわりの豆腐を作っていて、温かな雰囲気だけど、まじめに働いていました。
原発のせいで、大変なことはあるかもしれないけど、みんな、がんばってね。応援してるわ!
では、所長さん、お願いしま〜す。
 

 

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なごみは、二本松にあります。
2007年 3つの作業所が合併し、就労継続B型としてスタートしました。
とうふやこんにゃくの製造、農作業や下請けの仕事をしています。

 

とうふづくりは、2005年から始めました。地元の農家さんと一緒に活動していきたい。
地元福島の大豆を使って、こだわりのなつかしい味・うまい豆腐を作ろう!と、地産地消のとうふ作りが始まりました。
こんにゃくは、2010年冬からはじめ、地元で100年続くこんにゃく屋さんの技術を受け継ぎ、こんにゃく芋の栽培から加工まですべてをなごみでやっています。

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2011.3.11 大きな揺れと突然の吹雪、そして 原発事故
幸い、みんなも、建物も機械も無事でした。それでも2週間ほど休まざるを得ない状況となりました。
そして、二本松には、高い放射線量が残りました。
原発事故は、地産地消の活動をストップさせました。
地元福島の大豆は市場に出ることがなくなり、入手も使用も困難に。

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県外産大豆の試作を始め、もとの福島産の甘みをだすため、試行錯誤の日々。
福島の食べ物ってすごくおいしかったんだぁとあらためて実感しました。
こんにゃく芋は、栽培を続けましたが、畑の土の反転や放射能測定をしながらの栽培。
結果がみえない不安の中でも、あきらめずつくり続けました。
大豆もこんにゃくも、使う材料が変わる毎に放射性物質の検査をしなければならなくなりました。
でも、このまま暗~くいるのは、なごみじゃない!

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2011.4月には、念願のお店「なごみの店」をオープンしました。
さくさくの大判焼やリサイクル品販売をしています。
とうふも、こんにゃくも作り続けています!

 

とうふの出荷先のひとつである農産物直売所は、震災後お客様が激減し、とうふの売上もなかなか回復していません。それでも、地域のお客様は、美味しいから・ちゃんと検査もしてるから安心と言って購入してくださいます。

 

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今後はネット販売など、新たな方法を模索しながら、売上の回復につなげたいです。
こんにゃくは、これまで菅野農産さんの工場で製造していましたが、なごみで製造できるよう改修工事をすすめています。今月中には完成し、自主ブランドとして、こちらも販売促進中です!

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震災後、浪江から避難して事業を再開したアクセスホームさくら・コーヒータイムさんとのつながりもできました。
あきらめずに、ここで生きていくこと。みんなで働くこと。なごみのみんなは頑張っています。

浪江町『コーヒータイム』

ハマーblank警戒区域の浪江町にあった「コーヒータイム」を紹介するね。なかまは、原発が爆発して、みんな避難したんだ。カフェがあった場所は、ダッシュ村に数キロの所で、現在でも、放射線量は10マイクロシーベルト/毎時ある。町民の多くが、二本松市に避難したんで、駅前のビルを借りて、作業所を復活させたんだ。避難したメンバー以外にも、新しいメンバーも増えて、がんばってるぜ!

 
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(震災前のコーヒータイム)
 

全ての町民が避難地区に指定されている波江町で、喫茶店を主たる事業として運営していた「コーヒータイム」です。
 

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波江町では、15名ほどいた利用者の全国に、散々となり、二本松市で再開した時は、4名でした。現在は、二本松市と福島市からの利用者も増えて、12名の登録となりました。

 
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再開した所が、二本松駅前の市民交流センター内という恵まれた環境なので、二本松や浪江の方々の憩いの場である様に、努力したいと思っています。
 

(NPO法人 コーヒータイム 橋本由利子)

ここからつなぐ

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金子くんは、いい奴だぜ。福島に何度も来てくれて、クールな仕事をしてくれてる。彼にコメントをもらったので、読んでくれ!彼は、福島に何度も来てくれるのは、なぜなのか?みんなに、感じてほしいな。
 

 
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神奈川から2013年1月7日から2月5日まで神奈川から支援に入っていた金子純之介と申します。
私は2011年の11月に初めて南相馬市の事業所支援に入らせていただきました。その頃は震災から8ヶ月。放射能の事についての番組とかが良くテレビで放送されていた時期です。当初、私は福島に行くのは放射能汚染がひどいので、プライベートで行く事は無いだろうと思っていました。仕事で福島に支援に行ってくれないかと言われた時、行く事を相当迷ったのを覚えています。しかし、南相馬の現状を聞くと行かない訳にはいかないと決心し、覚悟をして地元を出てきたのを覚えています。

南相馬の事業所支援に入ってみると、まだ暗い顔をしたなかまの皆さんもいましたが、段々と前の日常に戻って来ているのかな?という印象を受けました。なかまは元気になって来ているが、その分職員さんが段々と精神的に落ち込んできているなという印象でした。

2回目に支援に入ったのは、2012年2月。その頃は人材不足が深刻で、求人を出しても1ヶ月何の音沙汰もないような状況でした。事業所は暗い顔のなかまもだいぶ少なくなって、着々と笑顔が増えていました。着実に復興していっている街中でしたが、職員さんの心の復興はまだまだな状況でした。

3回目は2012年5月終から6月頭にかけて。この頃になると暗い顔をしているなかまはいませんでした。事業所にいるなかま同士、笑顔で冗談を言い合いながら仕事をする様子が見られ、とても和気あいあいと仕事をしていました。しかしそれに反比例して、先が見えない状況で職員さんの精神的な余裕は無く、ギリギリで爆発寸前にまで追い込まれている状況でした。(その後慰安旅行があったりリフレッシュ休暇を貰えたりして、少し持ち直していたようです。)

4回目の現地支援。2012年10月終わりから11月頭にかけて。初めての事業所支援から1年たちました。この頃になると現地の職員さんの採用もあり、新しい職員さんが入ってきていました。新しい職員さんが来て、以前からいた職員さんは心に大分余裕が生まれ、以前人が居なくて見られなかったような、細かい所も支援の手が届いていました。JDF職員は最後の仕上げとして、新しく入った職員さんが自発的に動けるような状況作りをする事がとても重要だとこの頃思いました。

そして2013年1月からマッチング事業で、1月26日南相馬で行う説明会・相談会2月2日にいわきで行う説明会・相談会を行うにあたり、相馬・南相馬全体を回り、店頭にポスターを貼ってもらう為、全力で走り回っていました。
マッチング事業の重要性、再確認しました。
マッチング事業を担当している、和田さん、古賀さん、川前さん。良い経験をさせていただきました。感謝しています。もちろん送り出してくれた、自分の施設の方にも感謝をしています。

ふくしま。
日本。いや、世界にとっても、とても意味のある場所だと私は思っています。
東北の方たちは親切で、本当にあたたかい。この気持ち、支援に入った方は誰でも分かると思います。この気持ちを”ここからつなげて”行きたいと強く思っています。
ふくしま大会。全国の力で大成功させていきましょう。

 
金子純之介(きょうされん神奈川支部)
 

南相馬市『あさがお』

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福島に起きた事を紹介するコーナー。トップバッターは、南相馬の「あさがお」さん。避難区域に入らなかったけど、仲間とスタッフが、みんなで避難したのよ。大変だったけど、みんな、明るいのよ。いざとなった時の、女の底力はすごいのよ。
 

 
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震災により日常の生活を奪われ、あさがおの命でもあった青ばた豆は、借りていた畑に仮設住宅が建ち、風評被害から商品が売れなく被災地支援の販売会に東京までいき販売をしてきました。
全国からの励ましや、支援等々本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
今なお東京での販売をしています。
震災前の日常を取り戻すため、メンバー・職員と共に一緒頑張っています。

あさがおの紹介ムービーをあさがおHPに掲載しています。
震災時の事、現在の取組など・・・ぜひ見て下さい!
 

NPO法人「あさがお」ホームページ
 
 


あさがお紹介ムービー第1弾 (平成23年9月作成) 8分程度
 

あさがお紹介ムービー第2弾 (平成24年8月作成)5分程度
 

NHK 東日本大震災6か月 取り残される障害者
(Eテレ 平成23年9月11日(日)午後4時~5時29分)15分程度