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みんな ありがとう
この大会に、思いを持って参加してくださった全国のみなさん
この大会に、思いをもってかかわってくれた多くの裏方のみなさん
ありがとう。
大会の余韻に浸りながらも
今日からまた
いつもの仕事に
いつもの暮らしにもどられているのでしょうか。
参加してくださったみなさんが、この二日間で流した涙の
何十倍もの涙を東北・ふくしまのみんなは流してきました。
先のことを考えると、また涙が流れそうになります。
しかし、歩かなければならない目の前にある道の途中で、
投げ出すわけにはいきません。
苦しくて、泣きたくなって、どうしていいかわからなくなったら
この二日間のことを思い出します。
みんなのことを思い出します。
私たちは、一人ぼっちでないことを思い出します。
長い長い道のりです。
休み休みいきます。
二日間みんなありがとうね。 大会事務局長 和田庄司
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いよいよ全国大会が近づいてきました。施設の紹介の最後は、南相馬のぴーなっつでしめたいと思います。多くのきょうされんの仲間が、ここで寝泊まりして施設支援と調査に入ってくれた。南相馬の奇跡と言われた状況は、ぴーなっつなくししては、なかった事でしょう。最後に、みなさん、ありがとうございました。(アヅ、ナカマン、ハマー)
********************************************デイさぽーと ぴーなっつ あのころと今
ぼくらぴーなっつの仲間たちは、福島県の東北部にある南相馬という地方都市で、穏やかで平穏な日常をいっしょうけんめい生きて、楽しかったり、時には少し悲しいこともあったが、みんな仲良く暮らしいた。
正月の初もうで、今年も穏やかでいい日がすごせるように、みんなで祈った。
2月、節分で職員の石田さんが毎回、オニになってくれた。思い切りぶつけてやった。 3月は、ひな祭り、Aさんがひな人形を出すのを嫌がり、いつも難渋したが、なんとか飾りみんなニッコリ記念写真を撮った。
4月、花見に出かけた、出店ではお面やいかぽっぽなどが売っていてにぎやかな夜ノ森公園で、弁当を広げておいしく食べた。
5月は、ドライブで新緑の国見山を車で登った。峠から見える海は青く、空の青とは違かった。展望台まで歩いて、アイス食べたりやジュースを飲んだ。
6月、雨の多い季節だが、晴れたら近くの桜井古墳公園まで歩いていき、のんびり日向ぼっこをしたりや四葉のクローバーを探したりした。川岸の桜並木では、桜の実がなっていて、みんなでほおばった。ほろ苦い甘さにしたづつみを打った。みんな笑顔だった。遠い思い出。
7月は、日差しが強く、暑い風が吹く季節である。桜井古墳公園にある杉林の日陰のベンチで散歩休憩をする。かけがえのない日常がながれる。
8月は、夏祭り、70歳ちかいTさんが元気に、相馬盆踊りをみんなの先頭に立って、教えながらはっらつとして踊っている。懐かし風景である。もうその風景は再現できない。
9月は、遠足、いわきのアクアマリンふくしまに行って来ました。大きな魚・小さな魚・かわいい魚・恐ろしい魚・みんな魚、アシカやオットセイもいたよ。みんな、目を丸くして見ていた。じっと見ていていたいな。塩屋岬で美空ひばりの歌碑で「みだれ髪」を聞いた。また行きたいね。 でも遠くなっちゃたんだよね。
10月、芋煮会、地物の野菜たくさん、おいしいね、楽しいね。みんなわきあいあい
お椀の芋煮にしたつづみ。 やっぱり、新鮮な地元の野菜が一番、今は食べられないものもある。農家のみなさんは、野菜づくりが楽しみだったのに。
11月、だんだん風が寒くなり、Tさんがもうそろそろアミ―グローブで来る季節だ。
川岸のクルミを取りに出かける。いっぱい実っていっぱい落ちてる。職員の石田さんが
藪に入って道の方に投げる。みんなで袋に入れて持ち帰る。クルミのお菓子を作っておやつで食べた。おいしい自然のめぐみ。
12月、クリスマス、行事が嫌いなAさんに「クリスマス」という言葉が聞こえると、怒り出す、何か嫌なことあったのかな? でも、本番のクリスマス会では笑顔で、ケーキやシチューをいただく。 にっこり みんなニコニコしていた。
あの時は、ちょうどみんな、ぴーなっつのフロアで、楽しく活動していた。
ゴォーガァー ガタガタ 地震だ。みんなびっくりした。机の下に逃れた。立っていることが出来ず、何かつかまり、しがみついてみんな震えていた。泣き叫ぶ人もいた。
すごい揺れが長い時間続いた。いつおさまるのか、不安と焦り、恐怖でみんな顔がひきっていた。テレビでは、アナウンサーが叫んでいた。「津波が発生する。」 その時は、あんなにひどい津波が来るとは思わなかった。
すこし、揺れが弱まり、みんなで自宅へ。海に近い人は家が浸水している可能性があるので、役所で問い合わせながら家族の元へ。みんなパニックになっていた。 海岸ちかくの街は津波にのまれ大変なことになっていた。
そして、すぐに原発事故がおこり、仲間のみんなそして家族はてんでんばらばらになってしまった。 放射能の恐怖で、支援の手が届かず、ぼくらみんなは孤立した。 ぼくたちは絶望した。 もうぴーなっつはおわりなのか!
残っている職員で、残っているみんなの家を訪問した。早くぴーなっつを再開してほしい。早くぴーなっつに行きたいという声に後押しされ、3・11のあの日から一カ月がたち4・11開所し準備して14日に仲間のみんなが来てくれた。職員は2人だけだったがボランティアの方に助けられながら、何とか頑張った。その後、だんだん職員が増えて、にぎやかになったが、震災前の状態には戻っていない。
外での活動は、今年、約2年たってようやく出て散歩や外出をするようになった。
がんばってみんな生きている。 全国のみなさんの支援のおかげでなんとかがんばっています。 全国大会で待ってます。
デイ さぽーと ぴーなっつ 一同
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いわきで、杜のどーなつを作っている「あとりえ北山」からのメッセージです。
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こんにちは!『あとりえ北山(杜のどーなつ)』です。
私たちは、福島県いわき市でドーナツ等のお菓子の製造販売や、「杜のどーなつ」というお店の営業をしています。
震災後に一番困ったのは販路でした。そんな時、全国の皆様からたくさんのご注文をいただきました。全国の皆様からのご支援にとっても元気づけられました。
本当にありがとうございました。
2011年3月11日の大震災、そして原発事故。
私たちは、その2週間後に事業を再開しました。
原発事故が起き、原発から20キロ圏内に住む方々は、そこに住む事ができなくなりました。
東京電力第一原発から30キロから50キロに位置するいわき市には、空いている土地に仮設住宅が次々と建設されました。
あとりえ北山(杜のどーなつ)にも、避難してきた障がいのある方や職員が働いています。
作業所では、『誰もがみんな、共に働く仲間』だということ。
その思いが当たり前に存在している。
嬉しい時もがっかりする時も共有して、お互いに成長する場なんですよね。
あれから2年半。みんなで新商品を開発したり、販路を広げたりして頑張っています。
仮設住宅を回っての販売は、作業所商品の販売を通して、笑顔や交流が広がっています。
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今回は、事務局より、全国大会の準備の中で大活躍をしている、郡山市のみどり工房という事業所のなかまを紹介させていただきます。
初めてみどり工房に行ったとき、みんな挨拶してくれて、笑顔で出迎えてくれました。
ちょっとドキドキしながら行ったので、ホッとしたのを覚えています。
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全国のきょうされんのなかまに全国大会の案内をするため、みんな一生懸命資料詰めをしてくれました。お仕事がとっても早くて、丁寧!事務局が驚いたほどです。皆さん、本当にありがとうございました~(^▽^)/
みどり工房は、芽子にんにくのお仕事もしています。
一角がガラス張りの部屋になっていて、そこで作業をしています。
にんにくのにおいがして、お腹がすいてきたよ~♪ヽ(*´▽`)/
みどり工房に入ると、箱がいーっぱいあります。全部みんなが作った箱です。
黙々と箱を折っているのかと思いきや、みんなとっても楽しそう♪
にこやかな雰囲気の中、まったりしながらみんなの様子を見ていたら・・・職員さんで、目にも止まらぬ早さで箱を折っている方が1名いらっしゃいました(◎◇◎)
写真でしがお見せできないのが残念です!
みどり工房から少し離れた、郡山市方八町(郡山駅裏)というところに、みどりの風という、お店も開いています。
利用者さんが作った、可愛い七宝焼きのネックレスや、細かいところまで磨けるアクリルタワシからお菓子やジュース、おにぎりなどなど・・・。
私が買ってきたのはピンクパンサーのアクリルタワシ。重宝してます!
3月には手作りのけんちん汁までありました。これがまた美味しい!
時間があれば、ぜひ寄ってみてくださいね~
みどり工房は、とにかく明るい雰囲気の事業所でした!
施設長さん曰く、「(静かなのは)私が耐えられないから~(笑)」とのこと。
全部書けないのが残念ですが、細かいところにもとても気を配っていて、かゆいところに手が届く、みどり工房でした☆
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「フェザー」のある鏡石は、福島県の中通りの郡山市、須賀川市の南部にあるよ。地震の被害が大きかった地域です。事業がスタートする時に、震災があったんだけど、それでも立ち上がった「フェザー」。すごいな〜。みんなも応援してね。
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津波の被害はなかったものの、県内でも甚大な被害を受けた岩瀬郡鏡石町。
平成23年4月1日「児童デイサービス フェザー」の開所予定で、順調に準備は進んでいた。
平成23年3月12日に予定されていた内覧会の準備に追われていた3月11日の午後・・警報音とともに町が崩壊していく様子を目の当たりにして、目の前が真っ暗になりました。
1年前からこつこつと開所準備を進め、利用希望のお子さんのアセスメントを早めにいただき、一つ一つ手作りで教材をつくり、パーテーションを作り、視覚化構造化を行ってきた教室、プレイルーム、自立課題エリア、対面学習エリア、集まりエリアなど、医療機関とも連携してスーパーバイズいただきながら作り上げてきたものが一瞬にして崩壊・・・
2週間後の開所を前に、作り上げてきたすべてが崩れてしまった絶望感。
心が折れかけた時、支えてくれたスタッフたちと町の健康福祉課のみなさん。そして療育を必要とするお子さんを想像し、スタッフと「鏡石町初の児童デイサービス」を実現するために、スタッフと自転車で事務所へ通い、バラバラになった資料や教材、倒れたパーテーションなどを修理し、断水が長かった鏡石町の給水のタイミングに合わせて戻り・・・
自分の家族を守ることですらいっぱいだったはずなのに、どこからあのエネルギーが湧いたのか・・・を考えてみました。
あの時の、私たちのすべての原動力は「この地域で療育機関が必要なんだ!待っているお子さんが居るんだ!」との熱い願いと、立ち上げ前から支えてくださった鏡石町と勤務予定のスタッフ、そして保護者さん達が私の機動力となり、児童デイサービス・フェザーは奇跡的に立ち上がり、4月1日に予定通り開所することが出来ました。
華やかな開所式も何もできなかったけれど、開所日に笑顔で通ってくれたお子さん達を見て、願いが実現した喜びが心に沁みわたり、心が折れそうだった私たちにエネルギーをくださった「地域力」の素晴らしさを感じています。
一人じゃ何もできないけれど、スタッフのチーム力、そして地域全体がチームになる事で不可能が可能になる事を体験しました。
素晴らしい経験をもとに、さらに強く羽ばたいてゆきたいと思います。
(文責)
NPO法人地域生活サポートセンター鏡石 フェザー
副理事長(兼チーフ) 徳永牧子
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いわき市は、福島県の浜通りの南方にあり、津波の被害が大きかった地域だ。今、復活してきた「自由空間」のなかまは、輝いてる。大変な時期を乗り越えてきたから、今、生きることが大事ってことがわかるんだなぁ。それにしても、みんな、いい表情してるなぁ。
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社会福祉法人 エル・ファロ 自由空間はいわき市植田町にあります。以前は勿来保健所として使われていましたが、現在は自由空間(生活介護・生活訓練)として、なかまが笑いあって、ぶつかりあって、一緒に喜び、いろんな活動をして、日々楽しくなかまひとりひとりの大切な居場所となっています。
最近は震災後初の旅行に会津まで行ってきました。あいにくの雨でしたが、久々の旅行になかまは興奮して、落ち着かないなかまやバスの移動で盛り上がりすぎて疲れてしまったなかまなど、スタッフも含めてみんな一日夢のような時間を過ごしていました。記念撮影もしていい思い出を作ることもできました。
このように、自由空間が全員今日まで過ごせてきたのは、何のことないきょうされんはじめ、全国から多くの人的物的支援が続いているからこそなのだと実感します。
2011年3月11日・・・
あの時私たちは、なかまの送迎が始まる時でした。いきなり、体験した時のない揺れが襲い、どこからともなく悲鳴の声が聞こえ、みんな戸惑い、なんともいえない大きな恐怖で身動きひとつできませんでした。ブロック塀は崩壊し、水道管は破裂し、電柱は傾き、現実に起きているようには思えない現実でした。地震がおさまった後、なかまを安全な場所に避難する為、2階に誘導しました。近くの川の逆流している状況を知って、高いところに避難しようと近所の人や海の方から車で逃げてきた人も自由空間に駆け込んできました。幸い、津波は玄関の前までで施設内には影響がなく、全員無事でした。
それから、なかまやスタッフ、近所の人たちで炊き出しをして、一晩泊り込みました。水は自動販売機の水を買えるだけ買い込み、食糧は弁当を作っている「わが家」の食材を使いました。
一泊した後は、みんな自分たちの家に戻り、水道が出るまで施設閉鎖となりました。
それからは、身寄りのないグループホームやケアホームの人たちと数人のスタッフで茅ヶ崎まで避難したり、支援物資の配布があったら、みんなで取りに行ったりと一日でも早く再開できるようスタッフは動き回っていました。その中で、今でも忘れられないのは、支部の会津勢からガソリンがいわきに届けられたことです。移動に関してはいわきは車がないと不便な土地です。ガソリンがないというのは、水と同じくらい重要なことで、当時ガソリンの確保はどうすればいいのかと頭を悩ませていたところにいち早く届けていただいて、私たちは本当に救われ、涙がこぼれる想いでした。
その4,5日後に水道は回復、4月1日には開所することができました。
あれから私たちは約2年と3ヶ月の月日が経ち、助成金や支援物資、県外から応援してくださる人たちに支えられ、多くの人たちからいろんなことを学ばせていただきました。きょうされんの支援があればこそ、自由空間はここまで来ることができたといっても過言ではありません。
本当に支部の方々ありがとうございます。
これからはこの全国大会に向けて、自由空間のラテンパーカッション部隊は日々、「風になりたい」を練習して、大会の成功させたいと思います。私たち自由空間にとって、この全国大会が「はじまり」であり、大きな一歩となります。これまで支援していただいた人たちに対しての感謝を全国大会で伝えていきます。
自由空間 佐藤見地
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生きることは表現すること。
今、ふくしまから、アートで生きることを表現していこうとしている人がいる。
この再生に向けての活動は、ふくしまの希望になるだろう。
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「はじまりの美術館」のはじまり。
東日本大震災から四度目となる2014年の春、福島県の中央に位置する猪苗代町に、ちょっと変わった美術館がオープンします。名前を「はじまりの美術館」とする予定です。
ここ福島県では原発事故による避難は引き続き先の見えない状況が続いていますが、高線量地域を除いた各地では復旧作業が進み、人々の生活は日常を取り戻しつつあるようにも見えます。
その一方で、被災地では「地域がもともと抱えていた問題」が震災前に増して顕在化しているといわれます。加速する少子高齢化、地域コミュニティの疲弊、失われつつある歴史や伝統・・・。地域が長い年月をかけて培ってきた文化(文物・記憶・関係・歴史)は、その土地の財産であり、そこに住まう人々の生きた証とも言えます。それらが物理的にも、伝承的にも途絶えつつあるというのは、とてももったいなく、寂しい限りです。例えるなら、祖父母の代から通った学校が廃校で取り壊され、歌い継がれた校歌も歌える人がいなくなる、といったところでしょうか。そういった状況が被災地域では広範囲に、あるところでは地震や津波の災害で目に見えて、またあるところでは原子力災害による県外避難が拍車をかける過疎化によって人知れず、進行しているのです。
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そのような中、今「アート」の力が注目を集めています。「アートによる地域の再生」という言葉を耳にするようにもなりました。地域にもともとある資源を、アートを媒介として新たな切り口でとらえ直し、若い世代に地域の魅力を再発見してもらう、地域を掘り起こすというもので、各地で様々な取り組みが展開されています。また、障がいを持つ方の優れた芸術表現も「アール・ブリュット」や「アウトサイダー・アート」など、「アート」という文脈の中で関心が高まっており、国内にとどまらず、ヨーロッパでは各国を回る巡回展が開催されているほどです。
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支援員である私は知的障がいと言われる皆さんの表現に身近で接するにつけ、(誤解を恐れず言葉にすれば)その勢いだったり、執拗さだったり、思いもつかぬ発想だったり、受けるエネルギーだったりといったものに尋常ならざるものを感じ、その筆舌に尽くせなさ具合を、奇異に感じたり、感心したり、驚いたり、呆気にとられたりと、様々な感情を喚起させられてきました。福祉事業所内で繰り広げられるそれら表現を目の当たりにして、私たちが思ったのは「もったいない!」です。こんなことを自分達だけが味わっているのは「もったいない!」と。そこには、人を惹きつける魅力とともに、現代社会の閉塞感を打ち破って乗り越えていくための、様々なヒントやパワーが溢れているのでは?そんなふうに感じています。
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そのような中、私たちは機会を得て、猪苗代町で震災を持ちこたえた「十八間蔵」という大きな蔵を美術館へと再生することになりました。築約120年といわれるこの蔵は、旧会津藩所領の山から伐り出された見事な材木を用い、建設当時は酒造蔵として、戦後はダンスホールや縫製工場として、町の人々に親しまれ、ともに年月を経てきたとのことです。そのような歴史を持つ建物を舞台として、この場所がアートを通した楽しみや発見、出会い、つながりの、はじまりの場所になればと考えています。
「アート」や「障がい」と聞くと、みなさんはどんなイメージを持つでしょう?どちらも馴染みのない印象を受けるかもしれませんが、じつはなにも身構えることのないものごとで、私たちの中や身近にあって、私たちひとりひとりの生を豊かにしている、欠くことのできない一部、なのではないでしょうか。今回設置する美術館は、そういったことを前置きなしにでも、直感的に感じ、体験してもらえるような場所となり、いろんな楽しみを皆さんと積み重ねていければと考えています。その中で、福島の置かれている状況や私たちのこれからについても、感じ考えるきっかけとなれば幸いです。
社会福祉法人安積愛育園 はじまりの美術館準備室 岡部兼芳
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震災と原発事故から2年、南相馬の福祉作業所は、支援を受けながらも、動き出したぞ。
警戒区域にだった南相馬の小高区に、なんとカフェをスタートさせたのは、「ほっと悠」だ。
今でも人が入れても、夜は泊まれない避難解除準備区域にある。
それでもスタートさせた「ほっと悠」。 理事長の村田さんに、話を聞いた。
震災後、小高の町に、カフェがなくなってしまったんです。
小高区役所より、カフェを開かないか話があった際、正直、迷っいました。
「ほっと悠」は、今まで地域から頼まれて、何事も始めてきたんですね。
今まで、ずっと人の喜んでくれることをやって行こうという思いから、カフェの話を引き受けました。
これからは、町の人たちや、仮設の人たちが、気軽にちょっと寄ってくれるような、カフェにしたいと思います。
・4月30日オープン
・営業時間AM11:00~PM2:30
・一押しメニュー 弁当400円、亜久里コーヒー300円
弁当は、毎日50食以上の人気メニュー。
予約も可能。(AM10:00まで 080-3321-9931)
・【イベント】
PM1:30~PM2:30
6月28日㈮シンガーソングライター小川んさんのミニライブがあります。
小高区は居住禁止で、上下水道も一部復旧したばかり。
震災後、同市内の旧警戒区域でカフェが営業するのは初めての事です。
オープンの日、地元住民らで約30席は満席となり、用意したお弁当60食も、完売したそうです。
(右下が理事長の村田さん)
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きょうさんの全国大会の福島の事務局から「いい書がたくさん、届いいている!」と連絡あり。
調査に行ってきてくれ!ハマーくん!
「了解、ボス!」 郡山に向かうのであった。
JDF被災地障がい者支援センターふくしまの事務所に近く、階段を上っていくと、ありました!きょうされんの全国大会の事務所。
「ど〜も!ハマーです!」出迎えてくれたのは、事務局の和田さんと川前さんだ。お礼のために製作された南相馬ファクトリー製のバッジを持って、はいチーズ!
9月に開かれるの全国大会に向けての話し合い中。今度、大会の実行委員長の大和田新さん(ラジオ福島)が、5月20日の放送中に、きょうされんの全国大会の紹介をしてくれるそうで、気合いが入っております。
全国の募集して、集まった「ここから つなぎ はじめる」の書、一部を拝見させて頂きました。送って頂いた作品は、大会のグッズや会場で活用させていただきます。送ってくださった皆さん、ありがとうございます。
すばらしい字ですね。 ふくしまは、全国からエネルギーをもらってるんですね。
余談ですが、黄色い自転車、GIANTから支援していただきました。世界に1,000台の限定品です。
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共働作業所「ピーターパン」は、きょうされん福島支部長の穴沢さんが所長をしていた会津にある福祉作業所です。穴沢さん、天国から見守ってください。僕らも、福島のなかまとがんばっから! それでは、ピーターパンの紹介をお願いします!
あれから三回目の春が訪れました。震災の爪痕は今もなお多くの人々を苦しめ、更に福島は長い長い放射能との戦いに晒されています。
共働作業所ピーターパンは会津地方、会津美里町にあり、震災のダメージは福島県の中でも少ない地域にあたります。
震災当時、ピーターパンでは関東の会社の農業新規参入にあたり、農作業を請け負う契約をしていました。 しかし、原発事故による風評被害により事業は撤退。期待していた仕事と収入を失いました。「みんなの給料をどうしよう?」と途方に暮れたのを覚えています。
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施設中での仕事とは違い、ここでは常にお客様の目に晒されています。当然、「この位でいいだろう」といった妥協も許されません。
担当している利用者さん達は、いままで感じたことのないプレッシャーの中で作業を行っていると思います。 しかしその分働くことでお金を頂く喜びを肌で感じているのです。旅館での就労も早1年になりますが、今では、就労先の旅館にとってピーターパンの労働力は無くてはならない存在となっています。
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「八重の桜」でアツイ会津
全国から観光に訪れた方々に、会津のことをもっと知ってほしい。会津の美味しいものを食べてほしい。ピーターパンでは、会津の名産のひとつである「会津地鶏」を飼育していますが、 今回その採れたて卵を、旅館の朝食として提供することになりました。 プリプリ黄身の濃厚たまごかけご飯が、実は「アツイ」んです。
会津に観光に来て下さった方に、採れたて新鮮なタマゴを提供する。お客様にも満足してもらえば生産元の私たちも大満足です。
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私たちの事業が、復興の一端を担う。
ピーターパンの復興はここから、はじまる。
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