浦岡さんの思い


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浦岡さんは、デザイナーで、震災後、ふくしまの支援センターに何度も来て、大事な時にデザインの協力をしてくれている。
「つながり∞ふくしま」の立ち上げの時も、協力してもらい、プロの仕事をしてもらった。きょうされんの全国大会でも、お世話になっている。今、みんなに伝えることが大事で、そこにデザインの力は欠かせない。ありがとう、浦岡さん!

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 生まれも育ちも九州で、大学に入学し、初めて東日本に行った。大学の教養課程の2年間を北海道岩見沢で過ごした。3月、九州は春。桜も咲き暖かくなり、セーターもいらなくなった頃、祖父とふたりで北海道に夜行電車を乗り継いで行った。42時間かけて到着した岩見沢は、真っ白。雪の壁が続く町。そんな風景を見たのは初めてで、「ここで2年間も1人で暮らすのか…」と思うと泣きたくなった。これが僕の東日本との最初の縁。「東は寒い異国の地」というのが僕の中での東日本の印象になってしまった。その後、専門課程に進み、社会人になって東京に住むことになるが、同じ東京に住むにも西側、出張も旅行に行くのも何故か西日本、というほど、東を無意識に敬遠していた。

 しかし、2011年3月以降、その隔たりは崩壊する。当時、日本財団の真心絶品をサポートする真心絶品運営委員会のメンバーとして、大阪で活動するNPO法人トゥギャザーの上月氏と福祉施設商品のクオリティー向上について検討を重ねていた。そして3.11を迎える。上月氏の動きは早かった。「とにかく行く。行かんと何ができるから分からへんやろ。」と、四駆に自転車やミニバイク、ガソリン、テントにシュラフと支援物資を山のように積んで出かけて行った姿を覚えている。その2〜3週間後、僕も東北へ旅立つことになった。日本財団から頼まれた物資を積んで盛岡〜仙台の施設を回り、真心絶品として何かできること、商品を探し出し、販売支援のベースを作ることがその目的だった。7月には、仙台でトゥギャザーの方達と合流し、最終日にJDF被災地障がい者支援センターふくしまを訪ねることになる。その夜、福島と僕を繋ぐ運命的な「つながり」の仕掛けがあるなど思いもしなかったのだが…。

「つながり∞ふくしま」プロジェクト。その象徴でもあるカンバッジがデザインを生業にしている僕のアンテナに引っかかったのだ。JDFの鈴木さんにそのプロジェクトの説明していただき興味を持った僕は、どうしても現物を見たいと思い、「どこに行けば現物を見られますか」と尋ねると、南相馬で作っているから現地に行けば見られると言う。しかも、その夜は福島の施設の若いひと達が集まる勉強会があり、後で鈴木さんも合流するというので、東京に戻る予定を明日に延ばし、郡山から南相馬に向かった。

 現地に到着したのが夕方過ぎ。会場へ行くと鈴木さんから連絡を受けていた「にんじん舎」の和田さんが迎えてくれ、ご多忙にもかかわらず「つながり∞ふくしま」プロジェクトをこんこんと説明してくださった。しかし、資料が複雑すぎて、正直これは難解だと感じた。その後、食事会に。誰も知らない僕には孤独との戦いかなと思っていたが、話題が施設商品やデザインのことになり、本来のデザインの役割、どうすれば消費者に伝わるか、そのためのパッケージはなどの話しを少しさせていただくと、数人の方にから「施設の商品に足らないのはデザイン」とのお声を聞き、福島の施設にはデザインを真剣に求める意識があることを嬉しく感じた。なぜならその思いこそが商品と自分たちを成長させる一歩なのだから。そして、その流れで2次会…。食事会の整然とした状態から一気に無礼講へ。大分お酒も入り、みんなと楽しく熱い時間を過ごさせていただいた。特に和田さんとのお話は深く、これまでの福島と今後の福島のリアルな話しを聞き、何か力になることがあればと心から思った。

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※2次会に差入した石巻祥心会の復興酒「デコとボコ」(日本初の菊芋焼酎)。

 帰京後、「つながり∞ふくしま」プロジェクトをもっと分かりやすく、ひとに説明しやすい資料を作ろうと思い、一つの図を完成させ、ポスターを自主的に制作した。その事がきっかけとなり施設で働く仲間を募集するポスターの4部作を作成、そして今回の「きょうされん全国大会inふくしま」のポスターを作成させていただいた。制作の都度、僕は福島に足を運ぶ。打合せ、撮影、様々な理由を付けては福島に行く。打合せをし、現場に行き、課題を聞き、酒を飲み、雑魚寝をし、少ない時間だがなるべく現場に身を置き、リアルな福島を感じようと思っている。それは、僕の仕事がデザイン、つまり「つたえる」仕事だから。つたえるためには福島と「つながって」いなければならない。

 次の仕事は…、自分の目で見た「ふくしま」を、福島のひとたちの仕事を分かりやすく構成し、他の人に伝えて行く仕事をしたいと思っている。土地を汚染され、去ったものも多い。それでも除染と戦う事を条件にその地に残った人々は、不条理な思いに負けず日々を過ごさなければならない。その試練を超えた時、福島はとてつもなく大きな存在になるだろう。なぜなら、内外の多くの仲間、そして知恵の結集が必要だからだ。その履歴を多くのひとに知って欲しいし、将来的にその中に僕もつながっていたいと思うからだ。

 最後に、特に、若い職員たちに。今の施設の仕事は慢性的な人材不足もあり、本当に大変だと思います。辛いときもあると思います。でも、撮らせていただいた写真の中のみんなの顔はとても輝いていました。その輝きは未来の種です。立ち止まらず、進化してください。明日ではなく、5年10年先を想像してください。そこにあなたたちの笑顔を継続し(つなげる)、持続可能な自分たちの福島を形成するために。

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※人材募集用に撮影したいわきの施設にて。みんなの笑顔が輝いている。