思い(全社協の西方さんより)

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全社協の西方さんより、コメントを頂きました。
ちょつと、ウルウルきてます。ありがとうございます。

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つ な ぎ

 全国社会福祉協議会高年障害福祉部の西方といいます。JDFの被災地支援員派遣事業にきょうされんとともに参加した全国社会就労センター(セルプ協)側のコーディネートを担当した事務局員です。実は事務局の川前さんからのブログへの原稿依頼を一度お断りしました。けれども再度依頼があり、お引き受けすることにしました。しかし大変恐縮しておりますし、複雑な気持ちでこの文章を書いています。
恐縮している理由は、私のかかわりがあまりに小さいことです。コーディネートというと専門的なことをしているように思えますが、実際はJDFから届いた人員派遣依頼を会員施設・事業所に送信して、これに応じた申込みを整理してJDFに届けることが主な内容でした。もちろん、書類を右から左に流せば済むというものではありませんでしたが、これまでこのブログに登場された方の活動や寝袋・食料持参で被災地に向われた支援員の方々と比べてあまりにささいな関わりです。
 複雑な気持ちの理由は後ろめたさです。私は生まれも育ちも東京で、福島のみなさんを苦しめている原発は、その東京に電力を送るために作られ、私は何の疑問もなくその恩恵を受けてきました。
 それでもあえてお引き受けしたのは、2年間にわたって被災地支援を行ってきたきょうされんの皆さんに感謝の言葉をお伝えしたかったからです。私がいただいた原稿依頼のテーマは「つなぎ」ですが、たくさんのきょうされんの方々が宮城県や福島県に向われるのをみて、そのお一人お一人の熱い心に感動しました。日本人を、人間を心から信じてみようと改めて思いました。

 私が震災後初めて福島県に行ったのは震災発生から9か月後の12月でした。それまでセルプ協は宮城県に支援員を派遣していましたが、11月で支援員派遣事業が終了ということになりました。その後はセルプ協も福島県に向かうことになり、事前に情報を収集するために当時のセルプ協の役員が南相馬市のぴーなっつを訪問しました。担当事務局員として私も同行したのです。その際、青田理事長から原発事故から始まった南相馬市のできごとをうかがいました。その時うかがったお話は、その後朝日新聞の連載記事になっていました。
 青田理事長のお話は一生忘れることができないものになると思いますが、そのなかで私を勇気づけてくれた印象深い話が下のセブンイレブンです。
当時は原発から同心円状に30㎞以内が立ち入り禁止になっていました。道路は通行止めになっており、そこには警官が立っていました。そして、そこから歩いてわずかな距離にセブンイレブンが営業していました。そのセブンイレブンの店長さんは南相馬市が全市避難を決めてからも営業を続けたそうです。「こういう時だからこそ店の灯を消してはいけない」との理由からです。セブンイレブン本社の方針で商品の補給ができなくなってもどこからか商品を調達して営業を続けたそうです。「今ではちょっとした観光スポットになってますよ」と青田理事長からうかがいました。
あのセブンイレブンは今も営業を続けているのだろうと思います。もう一度行って確かめてみたいのですが、その後何度か南相馬市を訪問することはあったのですが、その機会をつくることができないでいます。

最後になりましたが、このブログは9月21~22日に開催されるきょうされん全国大会 in 福島を盛り上げるために作られたとうかがいました。参加予定者はなんと2000人。災害人員派遣の時と同様その動員力にはただ驚くばかりです。しかも開催地は福島県。原発の再稼働を巡って国民の意見が分かれている今、自分の意見を決めることは今の時代を生きる私たちの義務で、その際に福島県で起こったことを実際肌で感じることは大切なことだと思います。
実は私もセルプ協の大会の開催を目前に控えて事務局として追い込みをかけているところです。準備をされている事務局の方のご苦労やお気持ちはよくわかります。ぜひ全国大会が大成功で終わることを祈念しております。

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