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震災から6年をむかえる今・2/9

category : fukushima, news 2017.2.13 

小高で開所するほっと悠あゆみにいってきました。

6年を迎えて④

南相馬市原町で、ほっと悠の村田さんと合流し、
避難指示が昨年の7月に解除された小高町にいってきました。
小高の解除から半年、小高に戻って生活を始めた人は、まだ1割程度、1,132人です。(1/31現在)

ほっと悠さんは、震災前ほっと悠あゆみという事業所で小高のみなさんと活動されていました。
それがあの原発事故の避難指示で、閉じることを余儀なくされていました。
小高町が解除にむけて進んでいる間、ほっと悠さんは、小高区役所の中に「いっぷくや」という喫茶室を開き、小高に戻ろうと日中家の片づけに戻る人たちや、役所の人たち、除染作業員の人たちに、お弁当を提供をしてきました。
そんな中での避難指示の解除。きっと、ほっと悠あゆみを再開するか、悩まれたことと思います。
今日、村田さんは、笑顔いっぱいで、ほっと悠あゆみを案内してくれました。メンバーがテーブルを囲んで仕事のできる広い部屋、事務室兼相談室、そして美味しいお茶とケーキをふるまう畳と板敷きの明るい喫茶室と広々とした駐車場がスタートを待つだけになっていました。
村田さんの話を聞き、「4人の小高に戻りたいというメンバーのこと」「いっぷくやに集まってくる小高のみなさんのこと」それらが、村田さんの背中を押し、ほっと悠あゆみの再開を決断させたのだと思いました。
きょうされんの自然災害支援基金からの応援やほっと悠を愛するみなさんの応援があってやれたことを話されながら、木製の立派なテーブルを見せてくれました。このテーブルは、仮設に避難する男性陣が、小物を作ったり、縫製品をつくったりしているおかあちゃんたちをみて、何かやろうとつくりはじめた家具のひとつなんだそうです。村田さんが、ほっと悠あゆみの喫茶室に置くテーブルを10万円で発注したところ、みんなの心のよりどころにと、寄付してくださったんだそうです。テーブルとイスには「男の木工」の焼き印が押してありました。

6年を迎えて③

お昼は、小高区役所にかまえた「いっぷくや」で、お弁当をいただきました。お客様が、次々と訪れ、お弁当を持ち帰ったり、お店で食べて行かれたりしています。今日も、家に戻る準備をしている小高の人、仕事で来ている作業着の人たち、役所の人たちが、「こんにちは」とお店を訪れていました。
「一番多いときで、400食作ったときもあったよ。」と話す村田さん。コンビニが再開したり、仕事が忙しくなり、今は150食の提供だそうですが、「もう少し作れないかと、役所から話があるのよ。」と話されていました。お店を仕切る二人の職員さんや二人のメンバーさんに美味しいコーヒーも入れて頂きました。
村田さんに、順調に進んでいるんじゃないですかと話したら、「最近、体調を壊した職員がいるのよ。うちの職員の最高齢は75才よ。働く人がなかなか集まらないの。ほっと悠は障がい者と高齢者の働く場よ。」といって笑っていました。いっぷくやの職員さんお二人も、震災後に入られたとお話されていました。
ほっと悠あゆみの開所は、村田さんのおかあさんか亡くなられた日、4月5日大安の予定だそうです。
ほっと悠あゆみの喫茶室が小高の人たちの大切な場所になる日は、まもなくです。

ほっと悠の障がいのある仲間たちが、小高の復興の大きな戦力です。

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