障がい者の人権に関する2つの集まりに参加して
福島支部 支部長 設楽 俊司
9月14日、安永健太さん事件第2審裁判の傍聴。そして9月5日の「障がい者差別禁止条例」づくりを進める会@郡山(仮称)・学びの場にそれぞれ参加・主催しての報告と障がいの人権という共通のテーマから改めて感じた事柄と今後私たちがとるべき行動などについて、私の想いを記載させて頂きます。
1 めげない。
= 私たちは、日常的に差別にさらされる機会が多いという宿命をもって生活している。しかし、私たち側に落ち度がある訳ではない。むしろ、マイノリティー(少数派)を受け入れない社会的要因が障壁になることが多い。個人の落ち度でないものに対しては、闘う(改善を求める)姿勢を持とう。また、福祉従事者として、代弁者として積極的な関与を行おう。
2 媚びない。
= 安永健太さん事件第1審裁判では、警察権力によって司法への関与の疑いが否定できない。話は変わるが、安保法制の改正で、時の権力者の一存で派兵出来てしまえば、ヒットラーに匹敵する。福祉従事者は、人権擁護を基本とする職業です。時に権力は、人権を阻害することを強いることがおおにしてあります。
3 あきらめない。
= 世の仕組みは、マジョリティー(多数派)いわゆる健常者の価値基準で作られているものが、大半です。障がいを持つ者にとって、それが社会的障壁となることが、しばしばあります。それらの改善する努力をし続けること、その歩みを止めないことの大切さを改めて感じさせられました。
① 安永健太さん事件第2審裁判の傍聴報告
安永健太さん殺害事件については、8年前に作業所からの帰宅途中に警察官に取り押さえられ、不必要な暴行を受け、死に至ったという事件です。 詳しいは、こちら
この日は、第2審結審前の最後の公判ということで、父・安永孝行さんの意見陳述・判決日程の設定などが行われました。
父・安永孝行さんの意見陳述では、長年の裁判の中で、「アル中か薬物中毒者」「逃げたので取り押さえた」という主張が、「保護した」と言い変わったこと。前回尋問で、E証人(巡査部長)が41年の警官人生の中で、職務の内外を問わず一度も知的障がい者と接したことがない。また、「知的障がい者に関する教養プログラム(警察庁発行の「障害をもつ方への接遇要領」を元にした)を受けたことがない」こと。取り押さえた時に健太さんの表情を観察していないことで「保護」といえるかどうか?警察官の役割として弱者を助ける、そのためには、学ぶという謙虚な姿勢を感じられないこと、印象的だったのは、「障がいを持つ人が安心して暮らせるよう、同様の事件が起こらないために、真実を明らかにし、公正な判決を求めます」といった結びでした。
また、判決日は、12月21日に設定されました。
報告集会での弁護士さんからの解説も聞きたかったのですが、飛行機の時間的制限により、帰路につかなくてはなりませんでした。
② 障がい者差別禁止条例づくりを進める会@郡山(仮称)・学びの場 報告
本HP、新着情報にも告知させて頂きました、「障がい者差別禁止条例づくりを進める会@郡山(仮称)・学びの場」を9月5日、開催しました。
講師・アドバイザーにDPI日本会議副議長・尾上浩二さんを迎え、「障害者権利条約と障害者差別解消法・差別禁止条例」と題し講演を頂き、差別解消法には書ききれない各地の状況を盛り込むのが、差別禁止条例であるという概要を解説頂きました。
また、日本の各地で起きている事例の報告として、前述の安永健太さん死亡事件を考える会福岡事務所の古賀知夫さん、「原発事故と避難」について=特定非営利活動法人「あさがお」の西みよ子さん、「某銀行での出来事」について=私・設楽の3名。パネラーに『誰もが当たり前に暮らせる街をつくるにはどうするべきか』をテーマにディスカッションをする予定でしたが、時間配分の都合で報告も充分にはできなかったという状況でした。尾上さんから、障害者差別解消法と差別禁止条例は、車の両輪と考えるべきである。より地域性に鑑みた差別禁止条例を作って欲しい。とのアドバイスを頂きました。
参加申し込みなしで、多くても80名程の参加を見込んでいましたが、市議や一般市民なども含めて、100名を超える参加があり、関心度の高さといった部分では、一定の成果を得たと感じています。今後、「呼びかけ人会」や「障がい者差別禁止条例づくりを進める会@郡山(仮称)」で議論を深め、『誰もが当たり前に暮らせる街・郡山』をつくるための努力をしていきたいと思います。