その他

第488話  きょうされん全国大会

 
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郡山市役所に品川市長を訪ね、9月21日(土曜)22日(日曜)に郡山市で開催される「第36回きょうされん全国大会 」のPR と協力のお願いをしてきました。

縁あって私が、実行委員
長を務める事になりました。

「きょうされん全国大会」は郡山市磐梯熱海町で開かれ、全国から障害者1000人を含む、2000人が参加します。

「きょうされん」(旧称:共同作業所全国連絡会)は、全国1900の障害者作業所、事業所が加盟し、障害がある人が安心して地域で暮らし、働ける為の制度づくりや地域・社会づくりに30年取り組んできました。

「東日本・津波・原発大震災」を受け、福島県は甚大な被害を受けました。特に障害を持つ人達の死亡率は通常の2倍といわれているように、自らの命を守る事の難しさを突き付けられた震災でした。

「きょうされん全国」ではその現実を改めて直視しながら、次に起こる災害への備えや防災について話し合い、情報や認識を共有したいと考えています。

福島県は地震、津波、原発事故、風評被害と闘っています。

特に原発事故は廃炉まで40年、気の遠くなるような歳月の先にある復興・復旧を担うのは若者達です。

その若者達が多数、ボランティアとしてこの大会に関わってくれる事に、福島の明るい未来を感じます。

全国各地から温かい支援を受けてきた福島 県が、いまここに感謝の気持ちを込めて全国に元気を発信する事の意義の大きさを改めて実感しています。

そしてこの大会が、障害者の命を災害から守る取り組みを推し進める機会になればと考えています。

添付した写真は、郡山市のマスコット「楽都くん」(郡山市は音楽が盛んなので)

品川市長が持つのは、いわき市薄磯で津波で亡くなった「姫花ちゃんのハンカチ」。

市長は執務室に飾ってくれると話してくれた。

(いわき市出身の品川郡山市長にも、いわき市など津波の被害が大きかった沿岸部を忘れないで欲しいとの思いで、姫花ちゃんのハンカチをお持ちしました)。

第487話  杉内投手の善意

 

 
骨髄バンク活動をしている友人からのメールです。

☆★☆★
本日行われるジャイアンツ×ヤクルトの公式戦。

ジャイアンツの杉内俊哉投手のご厚意で、骨髄バンクから血液疾患の患者さんとそのご家族など8名が観戦させていただきます。

杉内投手は去年から、自腹で骨髄バンクを応援するポスターなどを作り、精力的に骨髄バンクをPRしてくれています。

***僕の野球はファンの皆様、スタッフ、チームメイトに支えられています。微力ですが貴方の命を守りたいのです。
 杉内俊哉

俺は仕事で行けないので、うちのかみさんが観戦します。

第486話  音の出る信号機贈呈式

 
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南相馬市原町区。原町郵便局前交差点。

7月9日(火曜)、県民の皆様からお預かりした募金で、「視覚障害用音の出る信号機を設置し、福島県に寄贈しました。

猛暑の中、県を代表して内堀副知事、南相馬市の桜井市長、県警から青田南相馬警察署長、視覚障がい者福祉協会の阿曽会長ら関係者が出席し、渡り初めを行い、完成を祝いました。

同時に、会津若松市白虎通り短大南前交差点も稼動しました。

これで、ラジオ福島から福島県へ贈呈した音の出る信号機の数は154機となり、県全体の46%がラジオ福島からの寄贈品となりました。

改めて県民の皆様に心から感謝申し上げます。

司会は八木アナウンサーでした。

内堀副知事は「八木ちゃんによろしく!」と私に一言告げて、福島に戻って行きました。

八木ちゃんはその後ちゃっかり、南相馬市の桜井市長とツーショットに収まっていました。

なかなかの、オヤジキラーです。

第485話  本田武久さん追悼の集い

 
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6月30日(日)、昨年11月に癌で亡くなったテノール歌手の本田武久さんの追悼の集いが、いわき市小名浜のイタリアンレストランdon 3で行われ、生前本田武久さんの歌に励まされた人達40人が集まり本田さんを偲んだ。

友情参加してくれたのは、ソプラノ歌手の寺島夕紗子さんとピアニストの横山歩さん、それに、浪江町は請戸出身のシンガー門馬よし彦さんの3人。(寺島夕紗子さんの父・尚彦氏が反戦歌「さとうきび畑」を作詞、作曲)。

寺島さんは、生前本田武久さんが好んで歌っていた「アメイジンググレイス」や「さとうきび畑」等7曲を、門馬さんは本田さんが自身のblogで数ある復興songの中で最も被災者の心に寄り添っていると絶賛した「願い」や本田武久さんの為に作った「秋の風の中」等3曲を熱唱した。

最後は全員で「翼をください」を合唱して、追悼コンサートを締めくくった。

本田武久さんと生活を共にし、本田さんを看取ったヒロさんこと、田中宏和さんは御礼の挨拶の中でこう述べた。

『本田武久さんはdon 3で、2009年から震災の年の2011年までの3年間、12月25日のクリスマスにチャリティーコンサートを開いてきた。

2008年12月25日に本田さんは、癌を宣告された。クリスマスは本田武さんにとって特別な日だった。

それは、痛みと苦しみ、不安と絶望の始まりの日だった。

しかし、特別な日にdon 3で歌う事によって、本田さんは「歌う事は生きること」と気持ちを切り替え、前向きに明るく生きてきた。

常に12月25日は、don 3で歌う事を目標に』と。

会場には、東京から駆け付けてくれた矢萩淳さんの姿があった。

いわき市出身の矢萩さんは現在、東京で中学校の音楽教師をしている。

ゴルフスイング中にあばら骨を骨折、病院での診断は癌だった。

本田武久さんとdon 3の関係を知り、自分も歌う事で生きる証を残そうと、懸命にチャリティーライブを行っている。

矢萩さんは「くじけそうになった時、本田武久さんを思いだし、本田さんの歌を聴きます。本田さんはいつまでも私の心の中で生きています」と。

矢萩淳さんは8月に、故郷いわきのアリオスでチャリティーコンサートを開く。その日に向けて、体調管理に余念がない。

本田武久さんは生前、福島県の被災地で復興支援コンサートを数多く開いてきた。

その度に、売り上げ金をラジオ福島の通りゃんせ基金等に寄附してきた。

この日、本田武久さんの遺言ですと紹介があり、ヒロさんからラジオ福島に20万円の募金贈呈があった。

ヒロさんは門馬よし彦さんの歌う「願い」と「秋の風の中で」を聴きながら涙を止める事ができなかった。

震災の年の3月に片足を切断、その後、肺や舌に癌が転移しながらも懸命に歌い続け、私達に生きる事の大切さを教えてくれた本田武久さんに、改めて感謝と哀悼の意を捧げます。

本田武久さん、ありがとうございました。

この日のコンサートの模様は、7月8日(月)の夜7時から9時までの2時間の生放送「月曜Monday ( もんだい)夜はこれから」の中で放送する予定。

番組は、インターネットのユーストリームを通じて、世界中に発信する。

福島県外の方は、パソコンやタブレット、スマホでアクセスして下さい。

『月曜Monday 夜はこれから!』(ラジオ福島)
【ustream】 月曜 19:00~20:50
 http://www.ustream.tv/channel/rfc-radio
【facebook】
 https://www.facebook.com/Monday1458
  

第484話  矢萩淳さんからのメール

 

 
矢萩淳さんからのメールです。

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簡単に今の現状をまとめたものです。

・病気のこと

病気になって良かった。今はこの言葉が言えるようになりました。大病と震災を経験して、見えないものが見えるようになりました。命の大切さ、家族の絆、妻と息子への愛、まわりにいる仲間。普段何気なく見ていたものがすごく大切にそしてかけがえのないものに感じています。

一瞬一瞬の今を大事に。この言葉は自分が今一番大切にしていることです。

「The best of times」というミュージカルナンバーがーあるのですが、その歌にあるように今の自分は今を最高に生きる努力は惜しみません。

・病気の現状

今は新薬のベルケイドという薬を使ってがん細胞の数を落とす治療中。副作用の痺れや眠気があります。残念なのことにこの薬は全員に効くわけではないのでだいたい7割の患者さんは効きが弱かったりして違う治療法に切りかえられます。自分は幸いなことに効いている方の3割に入れてもらえている。そのありがたさを何とかして活かして伝えていきたいです。生かされているような気がします。

・これからの夢

最愛の妻と息子と一緒にいられる時間が少しでもながくなるように、皆様に少しでも良い音楽が届けられるように、みんなが幸せであるように、そんなことを考えて毎日を過ごしています。

みんなが幸せになれるような活動をやっていきたい、そのてはじめに自分にできる歌を歌う活動を続けることは自分の夢です。

・8月のアリオスでのリサイタルに向けての意気込み。

最幸なリサイタルにするべく周りの仲間や家族が頑張っています。歌を歌うこと、リサイタルをやれることがすでに自分にとって最高の幸せです。自分の思いやメッセージを伝えつつ、会場で皆さんと幸せをわかちあいたいです。

矢萩淳