第694話 福島駅伝~小高への思い

 

 
友人の医師からのメールです。震災前は、南相馬市小高区で開業していました。

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明日は中継ご苦労様です。

家の息子も小高中学校3年生の時に小高町のメンバーとして第7区を走りました。区間7位だったと思います。

前日にコースを車で走ってみましたが、かなりのアップダウンで「よくこんな所を走れるなぁ」と我が息子ながら感心しました。

駅伝はいつも色んなドラマがあって感動します。一生懸命に襷を繋ぐことが一体感を高めます。郷土愛も生まれます。苦しい先に喜びがあり、悲しみもあり、人生そのものですね。

明日は、トイレも我慢の生中継のようですが、頑張って下さい。ランナーから直に元気を頂けて良いですね。

さて、本日は、梁川病院に通っていた自分の患者さんが半年も顔を見せなかったので南相馬市鹿島区の仮設住宅に行ってきました。

85歳の男性です。新潟県の聖籠町に避難していた時はわざわざ三条まで会いに来てくれました。

鹿島の仮設に移動してからも梁川に来てくれていました。電話してみたら、どうも自暴自棄になって、「自分の身体はどうなっても良いから医者にも行っていない」ということでした。小高区の大富という比較的線量の高い地域に居た方で、若い人達はもう戻らないと決めているらしいのです。

今日は確かに今までのお元気な顔ではありません
でした。鹿島に嫁にくれた娘がいましたが、原発避難後、鹿島の住民に色んな事を言われたらしく、鹿島の地を恨んでい るような発言もありました。同じ南相馬市でもこういう訳です。

半年前に外来で「先生、俺の生きている間に戻れっぺか」との帰り際の一言が気になっていましたが、その後半年外来に来なくなってしまいました。

なんとか、絆診療所の遠藤先生に紹介状を書いておきますから何かの時にはお世話になるようにと話してきました。

避難も長期化するとこういう方も増えていると思いますね。 双葉食堂でもやしラーメンを食べてきました。いつものように美味しかったです。帰り際に店主(豊田英子さん)からチャーシューを1本下さいました。小高にいる時から週3回食べていました。

おばあちゃんも患者さんでした。旦那さんを無くしてからも、認知症の入ったおばあちゃんの面倒を見ながらお店を切り盛りしていました。色んな味がしみているチャーシューです。

そのあと小高に行ってきました。病院のブルーシートが捲れていたので直してきました。

台所にまた30cmもある大きなネズミが2匹死んでいました。

小高に沈む夕陽をカメラに収めてきました。