2022.3.16震度6強の地震から一か月がたちました
2022.3.16震度6強の地震から一か月がたちました。
あの大地震・東日本大震災から11年間
福島で暮らす私たちが、今日まで生きて来れたのは
「自分はひとりじゃないと思えたから」
「助けをもとめる人を見捨ててはいないかと問い続けてきたから」
あの大地震後も何度も災害に襲われ、またこの一か月も、考え続けさせられています。
震度6強の地震のあと、たくさんのみなさんから被害を気遣う連絡をいただきました。
その直後から、支部役員のみなさんは自分たちも被災しながら、
懸命に県内の会員さんたちに、状況を確認し、報告してくれました。
11年前のあの大地震、その後の大きな地震、水害を経験してきた県内の会員さんたちは
次の日には、事業所に障害のあるなかまたちが通えるように、片づけをしていました。
「なんとか事業所再開したから」「入浴も使ってもらってるから」と本当にたくましく。
今回の地震後一週間ほど、ライフラインが回復しない事業所がありました。
新地、相馬、南相馬鹿島、楢葉では、断水がありました。
AARJapanさんは、その報告を聞いて
すぐに、水で困っている事業所に水の問い合わせをしてくださいました。
役所もあの大地震後、築きあげた関係から、事業所に水を届けてくれる町もありました。
でも、断水が解消しても飲料にはすぐに使えず、食品加工の水までは確保できずになかまの仕事を止めざるを得ない事業所もありました。
被災地の状況は、時間の経過とともに変わっていきます。
その時に、その時で、必要なものも、やるべきことも変わります。
だから、状況変化をきちんと把握しながら、それに対応するスピード感が、助ける側には必要とされることを、何度も襲ってきた自然災害から教えられてきました。
時間がたつと、建物や物の被害がはっきりしてきました。
震度6強の揺れは、宮城との県境に近い中通りの県北にも、大きな被害をだしました。
未だ、阿武隈急行は再開の見込みがたたず、大きな橋の通行止めが続きました。
伊達市にある事業所さんは、屋根の瓦が落ちました。
頭を痛めながら「社会福祉施設等災害復旧国庫補助」で建物を直そうと考えました。
しかし、三年前の19号台風でこの制度は全く使えないことを私たちは思い知らされました。
「賃貸はダメ」「移転はダメ」「現状復帰以外はダメ」で被害があっても使えませんでした。
伊達の事業所さんは、法人の所有で、水害ではなかったので、その場所での改修でしたが、今後の地震に備えてのトタン屋根への改修では、対象になりませんでした。
なによりも、自分たちでお金を用立てて復旧完了報告しないと、原則補助金はでません。
そんな出来事に、被災した人たちは向き合っています。
そして、この難題に、明るく元気に、いっしょに悩み、
少しでも進めるように知恵と力を貸してくれる人たちがいてくれたらと思っています。
震度6強の地震から一か月がたって
年度末、年度初め慌ただしい中でも、まだまだ解決できない問題は続きます。
きょうされんは、今年の秋
東日本大震災で多くを失った岩手陸前高田での全国大会を開催します。
ここから つたえ つなぎ あすを生きる をテーマに開催されるこの大会に
福島の会員事業さんもレポーターや登壇者として参加し、この11年を考えます。
「被災地を忘れない」
「被災地に寄り添って」
きょうされんが語り続けた、この言葉にはどんな意味が込められていたのでしょうか。
そんなことを思いながら、震度6強の地震への対応は続きます。