4.14 東日本大震災 それぞれの10年
事故を起こした福島第一原発に溜まり続ける汚染水を
昨日、2年後に海洋放出することを政府は決め、福島に梶山経産大臣が伝えにきました。
福島の10年は、あの日からずっとずっと続いています。
過ちをごまかさず、過ちをさらけだし・・・・ そこからしか教訓は生まれない。
あの時から10年 アクセスホームさくら 福田郁斗
震災当時は、まだ高校3年生で現在の事業所には4月から勤務をする予定でした。
3月11日の東日本大震災により避難生活を余儀なくされて、先が見えずに不安な気持ちになることも多かったけれど、事業所の再開の連絡が来た時には、やっとみんなと一緒に働けると、嬉しさや楽しみな気持ちでいっぱいになりました。
平成21年の8月に事業所が再開をした時には、全国からの支援やボランティアに来てくださった方々にお世話になり、たくさんの支えの中で活動をしていける喜びを実感して、改めてボランティアのありがたみ、人のあたたかさに気付きました。
東日本大震災を経験して、全国からの支援や励ましの言葉がなければ乗り越えられませんでした。
場所は変わってしまったけれど、今、アクセスホームさくらのみんなと働くことが出来るのは、支援をしてくださった方々のおかげです。震災から10年が経ちますが、感謝の気持ちを忘れずに、いつか恩返しができればと思います。
震災があったからこその出会い、そして新た繋がりの始まり コーヒータイム 橋本由利子
2011年3月11日から今までとは全く違う毎日が始まりました。経験したことのないような大地震と絶対安全なはずの原発事故からの避難生活、まさか自分たちに降りかかろうとは思ってもいませんでした。
避難した私たちにきょうされんをはじめとする全国から団体、個人の皆様が親身になって応援をしていただきました。そしてその時の繋がりは今も続いています。とても嬉しかったですし、支援してくださった方々との出会いは私にとって宝物です。逆に支援する側に立った時、私たちは同じことが出来るのか自信がありません。それほど沢山の暖かな心に触れることが出来ました。
でも辛いこともありました。「放射能で汚染されたところを走った車でこの町を走らないで」、「1年もたっているのに避難民、避難民といつまで言っているの」などの言葉が同じ福祉の代表の方から言われたことがショックで一人になると泣いていました。叱咤激励のつもりだったかもしれませんが。
今伝えたいことは辛いなと思ったことも、悲しかったことも、恨んだこともあったけど、それ以上に全国の方々との素晴らしい出会いです。震災がなかったら絶対出会わなかった方々ですし、皆様と交流を深められたことは私自身が少しだけ豊かになったかなと思っています。
感謝 コーヒータイム 志賀千鶴
わたしは、統合失調症歴38年、60代女性です。幻聴さんとつきあいながら毎日をすごしています。私は今、感謝を伝えたいです。
震災で、わたしは二本松市の体育館に避難しました。1つ困ったことがありました。それは、薬の確保に苦労したことです。避難している時、薬が少なくなってきました。そしてある日、とうとうなくなってしまいました。薬をのまなくなって、症状がひどくなりました。幻聴さんがやってきました。「なんでトイレ掃除をしないんだ!!」という責めるものです。わたしはびっくりして、保健師さんに電話をしました。二人で病院をさがしまわり、やっとのことで薬を処方してもらいました。ほっとしました。
そして、わたしは今、元気に生活しています。コーヒータイムという福祉事業所に通っています。充実しています。それは、応援してくださったみなさんのおかげです。くじけそうになった時、つらかった時、全世界のみなさんが見守ってくれました。ありがとうございます。感謝です。
支援者としてではなく 一人の人間として シェルパ 古市貴之
とにかく目の前のことに一つ一つ向き合うことで精いっぱいだったなと思います。共に避難して、共に不安を感じて、共に悩んで、考えて、そこから捻りだしたものが10年経った今の活動の原点になっていると思います。不謹慎かもしれませんが、震災がきっかけで人間として成長が出来たのではないかと。震災前は「井の中の蛙」でした。やったつもり、できたつもり、教育的、指導的、成功しても失敗しても自分には関係ない、どこか他人事のような姿勢で活動をしていたかもしれません。
10年前の3月10日、こんな未来になるとは全く思っていなかったあの日。その時できなかったこと、気づけなかったことが、10年経った今、わかってしまっている自分たちがいます。わかってしまったからには一人の人間として何も変わらずに生きていくことは出来ません。助けていただいた方達、亡くなられた人達に申し訳ないと思います。間違いなく10年前の自分よりは今の自分の方が好きですね。これからもよろしくお願いいたします。
なにも多くは望んでなんかいない。あの日に戻してくれさえすればいい。
復興は、あの日を壊して見たことのない風景をつくりだすこと?
復興は、あの日とは違う慣れない暮らしに馴染もうとすること?
原発はけっして動かすべきではありません。