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2011.3.11東日本大震災 それぞれの10年

category : fukushima 2021.3.10 

                  あの日多くのものを失った私たち/あの日から、今、私たちがここに生きているのは/
「ひとりじゃない」と思えたから/「助けを求める人を見捨ててはいないか」と問い続けてきたから/
福島のみんなのそれぞれの10年。その一部を載せたいと思います/

震災からのお礼と課題                 田村市 まちこちゃんの店 遠藤さん
■2011年3月11日14時46分と言う時刻を私達は絶対に忘れてはいけないと思います。地震、津波そして原発事故です。私達の法人も大きな揺れに驚き、原発事故による、見えない放射能との戦いがはじまりました。障がいを持つ私達も大きく運営に関わっている当法人は原発事故により3月いっぱいの事業所の休業を決断し避難をする職員や利用者もいる中、自立生活をしている障がい持つ私達もヘルパーさんと共に一カ月程度新潟県新発田市に避難をしました。
■辛かった事。
・4月には開所したものの、仲間や職員の避難によりヘルパー不足は今現在も続いています。そして当時は浜通りの障がいを持つ仲間の支援などで2011年は落ち着かない一年になりました。・原発事故により風評被害や差別問題が聞かれる様になった事は一番悔しく悲しく思います。
■嬉しかった事
・全国のきょうされんをはじめとし、全国自立生活センターの仲間や支援者に震災発生直後早々に災害本部を立ち上げて頂き、不足していたガソリンや飲料水がすぐに手に入れる事ができました。・原発事故により私達の事業所も野菜などは県外の野菜を食べたり放射能の測定所を設けるようになりました。野菜の数値を図ってもらい自分の判断が求められるようになりました。原発による放射能を案じて全国の見知らぬ人からお野菜の提供を頂くようになり、事業所を訪ねて来られ情報交換等があり、それ以降ご縁を頂き感謝しております。
■今一番伝えたい事・避難所
・災害が起きた時、障がいを持つ人の避難所問題が見えてきたように思います。身体に障がいのある人は車椅子からの移乗等、数限りない課題がある事、知的に障がいのある人の課題、精神に障がいのある人の課題等は個々に違うと思います。災害が起き、長引く避難が予想された時は、障がい持つ私達はホテルか旅館のように安心して過ごせる避難所が必要だと感じ、どのように確保していくのか、今後の課題だと思います。

■全国のみなさまからのご支援に感謝いたします。

原発に頼らない安心して暮らせる国づくり         いわき市 アライブ 長谷川さん
■2021年2月13日(土)深夜、最大震度6強の大きな地震がありました。福島・宮城両県で多数の負傷者と家屋の損壊、土砂崩れなど大変な被害となりました。揺れの最中は10年前のようになるのではとの思いとなり、揺れが収まった後には、津波は! 原発は! と次に起きる事態への不安でいっぱいになりました。時間がたつにつれ、津波は無く、原発も大きな変化は見られず、職場も自宅も大きな被害はなく、ほっとしたところでした。
10年前の巨大地震では大津波に続いて原発の爆発事故など、前代未聞の事態となり、多くの県民が避難を余儀なくされました。又10年を経た現在でも住み慣れた自宅に戻れない方たちがたくさんおられるという現実に対し、本当にやるせない思いです。
■またこのような福島の現実から目をそらし、原発の再稼働などという動きには怒りを感じます。日本は地震列島です。地震による原発事故が今後も予想されますので、国には障がい者を含めた国民が安心して暮らせるよう、原発に頼らない国づくりを強く求めたいと考えます。

失われた日常              会津若松市 ピーターパンデイサービス 杉原さん
■2011年3月、東日本大震災と、あってはならないメルトダウンを起こしてしまった福島第一原発事故。それ以来、今までの日常をひっくり返すような光景が次から次へ起こり、頭の中に整理がつかない残像がくるくると回り続け、現実でなければいいのにと願うばかりでした。その後福島支部の研修会で南相馬を訪れ、惨状を目の当たりにし、大自然の前に人間は無力だと改めて痛感させられました。その頃は会津でも観光客が激減し、観光客がぞろぞろと昔通りを巡っていた七日町近辺の賑わいはなく、会津の人々は未来を悲観し、暗い気持ちで過ごしていたのを思い出しました。そして会津も放射線が高いという風評被害もあったのですが、10年を迎える前に、徐々に風評被害も人々の記憶から消え去るように下火になって行き、現在観光客は震災前に近づきつつあります。しかしその後の10年間は、大規模な自然災害が全国各地で次々に発生し、このまま地球が壊れてしまうのではないかと思うほどです。今まで、自然災害が起きると募金箱を設置し、被災地にと送金したものでしたが、この10年は、66年生きて来た私の人生の中でも、目まぐるしいと感じるほど自然災害が頻発し、募金箱も置きっぱなしになっているのに気づかされます。この頻発する自然災害は地球温暖化の影響なのでしょう。きっと自然界が人間に与えた試練なのかも知れません。今日までの人類の発展に「このままでは地球が危ない」と警鐘を鳴らしているのではないでしょうか。
■そして新型コロナウイルス、またしても人類は試練を与えられたのでしょうか。私たちは新しい生活様式を強いられ、試されています。人との交流の中で距離を取り、密に交わってはいけないと言われます。これはコミュニテイを分断し、引きこもりなさいと言われているような気がして、とても寒々しい気持ちになります。時代の流れの中であの震災が記憶のかなたに押しやられようとしていますが、平安に過ごしていた幸せな日常というのは、一瞬のうちにもろくも崩れてしまう事、そしてそこには私たちが汗水流して、積み上げてきた歴史があったこと、決して、決して忘れてはいけないことなのです。

人との出会い                     二本松市 コーヒータイム 石井さん
■私が一番伝えたいことは、大笹生支援学校高等部の時「福島明日へ」の歌詞をしたことです。
10年前の私は中学校を卒業して、高校の準備をしているさなかに大地震が起こりました。和室で地震が収まるまで、必死に耐えました。震災があって1か月後の4月に大笹生支援学校高等部に入学式しました。中学校の制服で入学して、当時の先生や友達に会いました。高校2年の時から選択事業があり、私は大好きな音楽を選びました。私たちも作詞をしたいと思い、作詞つくりをはじめました。意見を言いながら、考えて、悩んだ結果、出来上がりました。 H24年選択音楽の仲間たちで作った曲が「ふくしま明日へ」です。この曲は皆で福島を大切にしようとの思いをこめて作った曲です。最初は歌詞をよみこむところから始まりました。練習もして文化祭で朗読と合唱を披露しました。お客様が拍手してくれたことが嬉しかったです。
今伝えたいことは「ふくしま明日へ」の歌詞です。一番大切にしている言葉を皆さんに送ります。

悲しみを乗り越えて 前に進もう
みんな友達 力を合わせて
悲しみを乗り越えて 共に進もう
みんな友達 力を合わせて

 

悲しみを乗り越えて今思うこと           二本松市 コーヒータイム 大内さん

いつどこで災害が起こるかわからない

後悔のないように毎日を精一杯生きる

悲しい思いをしないように一人ひとりが努力をして、向き合ってい行く大切な問題だと私は思います。

 

福島にはすべての人にそれぞの10年が/それぞれの真実があります/春になり心がポカポカしてきたら/

たくさんのみなさんの/それぞれの10年を/レポートふくしまでご紹介したいと思います/

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