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2024.3.11東日本大震災・福島第一原発事故から13年

category : fukushima, 未分類 2024.3.11 

2011.3.11福島の人たちの日常を変えてしまった東日本大震災、福島第一原発事故がありました。

2013.9.21 22 小さな力のないきょうされん福島支部が全国大会を福島でやりました。そこから、福島のみんなは、自分たちに起きたことを伝え続けることが役割の一つになりました。TOMOで、ブックレットで、兵庫や岩手の全国大会で、福島支部のHPで。そして福島を訪ねてくださるみなさんに「福島の今」を伝え続けてきました。一人一人が、失敗を、後悔を、教訓を、そして思いを何度も何度も伝え続けてきました。これからのために伝えてきました。

この13年間は、長いようであっという間のようで・・・・。

あの時を、必死で何とかしようと苦楽を共にした何人もの大切な仲間が亡くなり、あの年に生まれた子どもたちが小学校の6年生になりました。あの日から前に進んでいくには、今までを取り戻すことだけではなく、今までと決別していくことでもありました。災害後、取り組まれる様々なことをすんなり受け入れることができず「これは自分の日常ではない。特別なイベントだ。」という思いとの葛藤でもありました。今の自分の目の前にあること、それを「自分の日常なんだと」思えるようになったら、どこで暮らすことになっても、どんな毎日を過ごすことになっても、あの日を乗り越えていけるようにも思いました。                                           13年たっても、福島には、あの日の原子力緊急事態宣言は出され続け、7市町村に戻れない帰還困難区域が残り、26,272人のみなさんが避難生活を続けています。福島のみんなは、3.11が13年たっても終わらないなかで、一人一人が、いくつものことを決め続けて生きています。折れそうになることがあっても、涙があふれそうになっても、顔をあげて、一歩前に踏み出そうとしています。

2024.1.1 元旦の夕に能登半島地震が起きました。

福島の多くの人たちは、一番に能登半島にある志賀原発のことが脳裏をよぎりました。幸いにも、間一髪、志賀原発の七キロ先で、珠洲市輪島市志賀町の70キロに渡った海岸隆起が止まりました。もし志賀原発敷地内にも隆起が起きたらと思うと、ぞっとします。そしてなによりも、震源地、珠洲市の原発建設計画が進められていたら、福島第一原発事故の二の舞になっていたら・・・恐ろしい話です。今、国は、定められた安全対策をし、万が一に備えた避難計画を立てれば、止まっている原発の再稼働、運転延長、立替えなどを進めようとしています。しかし、能登半島地震は多くの道路が、隆起、陥没、土砂崩れで、通行止めや大渋滞が発生しました。海岸線の隆起で、使えない港もありました。避難計画がまったく機能しないことが、明確になりました。

福島原発刑事訴訟は、誰も責任を問われないまま、最高裁での審理がはじまります。理不尽な判決が続き、心が萎えてしまったとき、起きた能登半島地震。今は、被災した能登の人たちの命と生活を支えながらも、「やっばり原発は動かしてはダメだ」と静かに思いました。そして、珠洲の原発建設に反対した住職さんや沖縄基地問題と闘い続ける人たちの言葉を思い出しました。「坊主が弱い小さな切実な声に味方しないでどうする」「勝ち負けじゃない。人としての尊厳、そうプライドだよ」原発を動かすべきではありません。福島のみんなは言い続けます。

3.11のきょうされん福島支部の投稿を続けるのはやめようかとも悩みましたが、失われたたくさんの命に思いを寄せ、言い続けなければならないことが、福島にはあるような気がします。                         これから先は、若い世代にバトンをつなぎながら。

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