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第14報 令和6年能登半島地震

category : 未分類 2024.1.26 

佐藤見地支部長のあと、AARJapanさんと能登半島に入られた岡山真備の多田さんらが、24日に吹雪のなか戻られ、滝沢さんに続き、報告を送ってくださいました。                                    今回は、主に障がいのある人たちを支える事業所のみなさんからの聞き取りを中心に活動されました。必要な支援物資は確保され、輪島のスーパーマーケットにも物がそろい始めているようです。しかし、まだまだ緊急な状況での毎日を過ごされています。被災しながら障がいのある人を支える事業所さんが、大変ななか、少しずつ前に進んでいる様子が伝わってきます。 

声をあげられず、助けがまったく入っていない事業所さんはないでしょうか。そして、今まで以上に地域や家族のつながりが断たれたこの状況のなかで、事業所に助けを求められない障がいのある人たちが、ますます孤立していないでしょうか。福島第一原発のある浜通りに4か所支援物資の拠点には、運び込んだ支援物資を近隣の事業所さんがもらいに来るだけでなく、在宅避難の障がいのある人たちも含む困っている人たちも、もらいに来ていました。物資の拠点は、いつのまにか灯台のように、物だけでなく情報やつながりの拠点でもありました。東日本大震災を経験した福島の心配のし過ぎだといいと思っています。

■1月21日(日)

多田・滝沢

12:00真備発ー20:00 高岡着  20:30AARと打合せ(生田目、桜井、高木)

 

■1月22日(月) 晴れ 暖かい

5:30高岡発 多田・滝沢 AAR(生田目、桜井、高木)                                                                                            9:00輪島着ー輪島市庁アポイントー市役所周辺周回・建物の倒壊が酷い。

11:00 社会福祉法人弘和会 多機能型大輔サポート 一互一会 児童発達支援・放課後デイ・B型・生活介護

(被災後の動き)

輪島では福祉避難所が開かれなかったため、60名が避難してきて福祉避難所の役割を担った。法人として1.5次、2次避難を進めているため、利用者・職員ともに別の事業所への移送を進めているため、徐々に現地の人は減ってきている。自宅で生活している方も電話連絡で安否確認を毎日行っている。利用者以外の方については把握ができていない。支援物資・電気などのライフラインが行き届いてきており今は困っていない。

(短期的課題)

・上下水道がないため、風呂、洗濯など日々のストレスになってきている。

(長期的課題)

・地震が来ないとも限らない土地で、家を再建する判断をしにくい。かといって、別の土地でどのように暮らすのか、仕事も含め見通しの立たない不安がある。・施設長、障害の子どもがいる。ここの利用者でもあった。一時的に富山の方の親戚宅避難したが、不安定が続く。戻ってくるとライフラインはないが家でリラックスして過ごしている。それを思うと他の障害を持っている人も同じだと思う。法人は事業所を閉め、別の事業所に移送を考えているため、施設に残っている利用者の移送が終わるまでスタッフと共にここで生活をする。

(感想)

・日頃から施設に来れない人の状態の確認ができているため、利用者に関しては取り残されている人は居ない。不安は抱えていると思うが施設にはともにいる温かみがある。「一緒にいたら気も紛れる」とも話されていた。・真備が9割の被災した人が戻ってきた話をされたら、それは希望ですと言われていた。・被災当初は1ヶ月で再建しようと奮い立たせていたが、法人からの事業所撤退を聞かされて一度は落ち込んだ。そうも言ってられないので気を取り直して今できることをしている。・法人としては、羽咋市の事業所に一度移動して、そこから愛知県に二次避難移動する予定を組んでいる。

13:00

輪島市 福祉課 障害福祉係

(被災地のニーズと短期的課題)

・集団不適応などにより避難所にマッチングできない人の対応。県外に移送した場合に距離の問題から通いでのケアや申し送りができない。支援者も同行しないとケアができない。コミュニティをバラバラにしない避難がないと孤立してしまう。・災害が広域であるため広域避難を必要とするが、自治体を跨いでいるため移行に時間を要る。また、障害福祉サービスを受けている人であれば他県のサービスに移行しやすいが、現時点でサービスを受けていない潜在的にケアが必要な方の二次避難が難しい。現在避難所に残っている人はそのような方々になっている。移動できる人は概ね避難所を離れている。・輪島にトイレ・宿舎がないためにボランティアを受け入れられない。・高岡・金沢からの通いだと活動時間が短い。・上記の理由で外部支援が入りにくい状態、良くも悪くも被災後の混沌とした活気がなく時間が過ぎている。世論の意識も離れていく気がする。・どうしても時間がかかるのかもしれないが、現場から見てニーズに合わせた動きが届くのが一週間遅い。・福祉事業を行っている法人ごとの考え方で、二次避難を進められない。・戻りたいと思っている人のキャッチアップがない。・本人の意思決定支援のヒアリングを誰がするのか。・学校の校舎が破損しているため教育再開の目処が経たない。学校が再開しないというのは地域の活気につながらない。・介護保険事務所が全て休業状態に入っているので高齢者の人は帰ってこれなくなるのではないか。

(長期的課題)

・二次避難後の具体的プランがないため、市民は二次避難することを躊躇し判断できない状態でいる。

 

14:00

社会福祉法人佛子園 × 公益財団法人 青年海外協力隊 

被災前から2区7町の区町内会長のコミュニティが作られている。災害時の想定もあったため、町内会長が各町民の名簿・現在の状況の情報を届けてくれる体制ができている。このエリアにおいては見過ごされている人はいない。元々の建物が銭湯と飲食で居場所を作っていたために、町民と障がい者が同時にいる空間が被災時でも変わらずできている。そのため早急に事業を再開し、現在スタッフも避難所から通って職務を行い、利用サービスも提供できている。(B型事業所・生活介護など)スタッフも避難所から通い、仕事のユニフォームを着て働いている。職員とも話し合ったが、そのほうが精神的にバランスを保てる、とも。

(短期的課題)

・昨日、水を供給するボランティアのアイデアでポリタンクにポンプを設置し、建物に接続。そのため蛇口から水が出るようになった。このポンプを2機付けたがまちの中にも配備するには数が足りない。そこを支援してくれたら嬉しい。また、この方法が上手くいけば近隣からのニーズもあると思う。

(長期的課題)

・スタッフ・町民の家の再建。

(感想)

・二次避難をしない(このまま暮らす)選択をしているが、日頃からコミュニティ形成がキチンと考えられている。

 

17:30

七尾自動車学校

・昨年11月に避難所設備を備えた建物を新築する。1Fがラウンジ・2Fが宿泊施設。元々のコンセプトは、自動車学校は合宿の宿舎もある、自動車もある、燃料もある、避難所になるのではないかという話になり、避難所も想定した建物を設置し、10tの水タンクを配備したが、その2ヶ月後に被災。すぐに実践することとなった。発災後から避難者を受け入れ100名を受け入れた。その後は外部支援団体の活動の起点となった。・JC(青年会議所)の副会長が七尾出身でまちづくりのつながりがあった為、支援物資・水がすぐに届き提供できた。(ペットボトルなども何万本と)1月23日に事業再開。受講生の受け入れを行うため避難所は閉鎖。

(短期的課題)

・2棟の建物の裏側の崖崩れ。再建の目処なし。 ・七尾の水道再開が遅い。4月以降  ・祭りは例年5月、能登祭りは5月連休中の七尾市のキリコ祭りが最初で夏まで各地の祭りシーズンが始まる。能登にとって七尾の祭りをやるというのは七尾だけではなく能登全体の士気に関わると思う。だからやりたいが上水道の復活が4月だと無理かもしれない。・翼プロジェクト(要支援者の免許取得コース)、免許取得支援

 

■2月23日(火)多田・滝沢・AAR(生田目・桜井)

7:00 ホテル発   高速道路を利用

12:00 珠洲着 珠洲市健康増進センター

・倉敷市保健所からの保健師派遣チーム第3班のみなさんと会える。・全国から保健師チームが12チーム入っている。地区ごとに担当を決めてローラーで在宅避難者の確認をおこなっているが、なかなか面会できない。

12:30 物資集積所(体育館)

インドネシアの青年労働者にインフルエンザが出たとの情報を受けて、マスクをもらう。

13:00 蛸島漁港 「パンダウハウス」 漁業実習生宿舎 珠洲市

・インドネシアの青年を受け入れている 20名ほどが暮らす寮に必要物資を運ぶ。・マスク、フルーツ、衣服、飲料水など。ちょうど地元の方(漁師さん?)がこられていて様子を見てくれているよう。

14:00 社会福祉法人 鳥越福祉会 さざなみ 多機能型事業所(相談支援・B型・放課後デイ・短期入所)

・電気は1月7日に復旧。水がない不便がある。・建物は令和3年に竣工した耐震の施設だったので影響は少なかったが、歪みなどはある。・初年度(令和3年)4月にオープンしたが、オープンして5月に地震。翌年6月にも地震。毎年地震にあっていた。・利用者も遠くに住んでいる人もいるので、近くの避難所を選んでいる人もいる。・現在は福祉避難所として開設しているが、電気が来ていなかった時は受け入れをお断りした。電気が通ってから福祉避難所として開けた。・現在は10名の避難者がいる。その方達は2次避難所を探されている状態。・「道はどうでしたか?」と聞かれる。➡「今は金沢まで3時間ほどと聞いています。・1/3に和歌山地区(珠洲)に来たときは、金沢から7時間かかった。・被災当時避難所がいっぱいになったが、帰省の時期でもあったので、こんなに珠洲に人がいるのかと思ったほどだった。・昨日(1/23)から営業を再開している。元々少ない利用者だったこともあるので細々と受け入れている。・通常の利用人数は10人(全部のサービスを合わせて) 正社員13人 パート6人運営母体が、支えてくれている。・ここは自衛隊が近かったので物資は恵まれていた。でも一番最初に来てくれたのは民間の方だった。またネギ1本とか、野菜とかそんなものも嬉しかった。自衛隊の物資にないものを届けてくれるのも嬉しかった。今は物資は足りています。・職員などの話で避難せず家にいる人もいるよう。ここに来たらいいと声を掛けるが、土地柄なのか、遠慮して来られない。多田:保健師さんたちが今、地域の在宅避難者のローラーをしている。もし孤立している人がいたら、こちらを紹介して相談しても良いか?➡はい。ぜひお知らせください。今、これまでに名前の上がっていない他の事業所さんで困っているところはあるか?➡「それ以外はないと思います」

15:00 珠洲市健康増進センター

倉敷市保健所チームに、在宅の孤立避難者がいれば、さざなみの鳥越福祉会につなげていただくよう伝達。ちょうど倉敷市保健師チーム(第4次派遣チーム)が到着し、託ける。

17:30 能登町役場 民間支援団体の集会所(庁舎2階の一室) 

災害支援ネットワークおかやまさん、Open Japanさん、サイボーズ(公益財団法人ほくりくみらい基金) さんと会う。

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