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第10報 令和6年能登半島地震

category : 未分類 2024.1.17 

昨日の福島は、会津の雪が、猛烈な北西の季節風にのって奥羽山脈を越え、中通りも白い寒い一日でした。
北陸能登も厳しい寒さの一日だったと聞きました。今日は、能登に太陽の陽射しがさしてほしいです。

4日目、調達配送ボラ実質最終日の報告です。 本当にご苦労様でした。                                                                昨日1.16は、輪島市から能登町と被害の大きい地域にAARさんといっしょに入ったそうです。                              若い人や障がいのある人の姿が見えない。二次避難所へと支援が変化してきている。等                                         刻々と変わる被災地の状況と未だわからないこともあるなかでの支援が伝わってきました。

刻々と変わっていく状況の中で、過ごされているみなさんが少しでも楽になることを、みなさんのペースを乱すことなく、応援し続けていきます。被災地のことを被災地抜きに決めることなく。

お疲れ様です。

実質最終日で無事終えることができました。

みなさんのご協力のおかげで、石川の被災各地に物資を運び、現地の状況を少しでも知ることができました。本当に感謝しています。

ありがとうございました。

今日は、AARJapanさんと輪島市から能登町にかけて町野町という孤立集落だった集会所や公民館に行って物資を運搬、また輪島市の大野小学校での東本願寺の肉丼の炊き出しや、町野町の自衛隊のお風呂提供をみてきました。輪島市の被害は想像を超えるものでした。家がいとも簡単に斜めになっていて、避難することすら厳しいと想像できるようでした。

 避難物資は主に水と食糧生鮮やご飯パックをメインに他聞き取った要望に応じて高岡市内で物資を調達し、運搬をしました。

どこも高齢の方が多くいて、若者や障害のある人はほぼみられませんでした。

ホテルや旅館など2次避難が活発になり、あるところは400人の避難者が昨日いましたが、本日は200名とへっているようです。他も同様な動きが見られると思います。取り急ぎ報告いたします。

佐藤見地

 

今日は、1月17日は、阪神淡路大震災から、29年になります。寒い冬の大災害だったと想像します。東日本大震災3.11も寒い夜だったと、記憶しています。太陽が顔をだし、陽があたると、とても暖かかったことを思い出します。

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