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第9報 令和6年能登半島地震

category : 未分類 2024.1.16 

能登半島の会員事業所さんから、障がいのある仲間や事業所、支える職員さんのことが、届けられ始めました。 思い出してください。福島のみなさん、東北のみなさん、東日本大震災、あの時のことを。               届けられた言葉に、あの時が重なります。みなさんの思いが必要です。

佐藤見地支部長からの1月15日三日目の報告送ります。
二次避難所など、避難者の一次避難所からの減少で、支援物資の過多よりがでてくる可能性がある一方で、一次避難所を離れられないみなさんもいらっしゃいます。熊本地震で、避難所に最後に残ったみなさんは、身寄りのない単身高齢者、生活困窮者、そして障がいのある仲間たちだったように思います。
未だライフラインも復旧しない中、孤立集落や避難所に入れない在宅障かい者への物資の供給を、途切れさせてはいけない状況は続きます。日々変化する状況下、ひとりも見捨てない判断が求められてることが伝わります。

お疲れ様です。
あっという間で3日目(1.15)終わりました。
きょうされんの物資とAARの物資を、福井支部具谷さんらも来て、ゆうの丘物資拠点に運び込みました。
午後、きょうされんの先遣隊も同じく集まり、運搬後、ゆうの丘で打ち合わせをしていました。
明日は調達した食材や物資を輪島方面の集落に運搬予定です。                           避難所によって、物資の偏りが見られるようです。
また、2次避難(ホテルや旅館など)による物資の必要性が薄れる為、物資をある程度捌かないといけなくなる可能性があるようです。       佐藤見地

            能登半島の会員事業所さんから、障がいのある仲間や事業所のこと、支える職員さんのことが、生々しく届けられ始めました。 きょうされんの先遣隊のみなさんから、きょうされんのHPに報告されています。福島は、東北は、同じ経験をし、たくさんのみなさんに助けられ、今があります。決して、私たちの独りよがりや押し付けにならないよう、現地が必要とすることを、現地のペースで、みなさんの応援を届けましょう。

あの時、2011.3.11東日本大震発災後、それぞれの全国組織や全国の仲間から安否を心配する声や物が少しずつ運び込まれ、発災7日目に郡山市内の障がい福祉事業所が集まり、支援センターを立ち上げる。みんな、必死でそれぞれの事業所の障がいのある仲間の安全と不安を減らすことに取り組みながら、届いたものを配る事だけしか、最初は頭になかった。その対応だけでいっぱいいっばいだった。そして福島第一原発の水素爆発。次々と湧き上がるいくつもの課題、時間の経過とともに刻々と変わるSOS。夜、寝ていてるのに、頭が緊張しているのが、頭の中を様々なことが回り続けている日々が続いた。4月、初めて東京に向かう高速バスでひさしぶりにぐっすり寝た。現場の緊張から一時でも離れたからなのか。原発、放射能被害から逃げた原発周辺の事業所と障がいのある仲間たちは、転々と避難場所を変えながら逃げ続けていた。

目を閉じると、あの時が思い出されます。                                           東日本大震災で被災した東北の私たちきょうされんは、石川のみなさんの仲間です。

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