第350話 相馬東高校②

 

 
相馬東高校生徒からの、私の講演を聞いての感想文の続報です。

①地震の時、ファミレスにいました。悲鳴が溢れていました。自転車をかっ飛ばして家に帰りました。家の中はメチャメチャ。するとゴーと水の音が聞こえてきました。津波の音でした。両親と高台に走りました。高台から下を見ると、家や車や人も流されて行くのが見えました。講演を聞いて辛くなりました。でも、生き延びた私達は、使命感を持って生きて行かなければと、思いました。調理師になって、みんなを笑顔にしたいと思っています。

②色々な物を失ったけど、得た物もたくさんある。遠くに行った友達も元気でいるので安心です。辛い ことを経験したから、強くなれたと思う。

③講演を聞いて、避難生活を思いだしました。最初は近くの小学校に、そして、鹿島区、福島市、会津に避難しました。原発事故さえなかったらと思います。

④震災時、私も絶望感で一杯でした。でも、多くの人に支えられ今は、感謝の気持ちを忘れずに生きています。家族や家がある自分は本当に幸せです。将来は保育士になって、子供達に命の大切さを伝えて行こうと思っています。講演ありがとうございました。

⑤私は震災前から、保育士になりたいと思っていました。今回の震災で、幼稚園の先生が、子供を守ろうとして津波で亡くなったと聞いて、余計に保育士になろうと思いました。先生という仕事の責任の重さをしっかり認識して、未来を見 つめて頑張って行きます。

⑥震災当日、私は磯部中学校の体育館で一晩過ごしました。津波も上から見ていました。何もなくなってしまった磯部地区ですが、私の心の中には、綺麗な想いでが一杯詰まっています。震災があった事を忘れずに、苦しんでいる人達の力になりたいと思っています。
夢は、カウンセラーか整体師です。

⑦ありがとうございました。感動しました。私も家を流されました。もう一回来て下さい。

⑧私は地震の日、海の近くで、母と一緒に父が来るのを待っていました。だから、地震や津波の怖さは知っています。でも、今は、怖くありません。家族や仲間がいるからです。そして必ず相馬をもとに戻します。絶対に。

第349話 相馬東高校

 

 
相馬市にある福島県立相馬東高校で講演してきました。

被災地のど真ん中にある高校で、私が講演をやっていいのか、当日まで悩みました。

家を流され、家族を失い、原発事故により苦しい避難生活を余儀なくされている子供達の前で、私が震災を語る資格があるのだろうか。

その悩みを解決してくれたのは、相馬東高校から送られてきた生徒達の講演会の感想文でした。

①震災前、原釜に住んでいました。津波で全て流されました。私も津波にのまれ、30分泳いで屋根に登って助かりました。思い出したくない経験ですが、大和田さんの話を聞いて、語り継いでいこうと思い ました。

②僕は津波を見ました。原発の爆発音も聞きました。電機も水も食べる物もない、不自由なあの頃を思い出しました。僕の夢は、福島県の食材を使った美味しい料理を作る料理人になって風評被害をブッ飛ばすことです。

③講演を聞いて、あの頃を思い出し、鳥肌が立ちました。私の家は津波で流され、ばあちゃんがまだ見つかっていません。でも、悲しいの私だけじゃないんだって分かりました。涙をこらえて頑張って行こうと思いました。

④震災前は磯部に住んでいました。自宅も津波の被害を受けました。だから震災が憎いです。失った物が余りにも多いからです。でも、この震災で大切な物もたくさんあることが分かりました。復興に向けて頑張る気持ちを無くさずに、自分のスピ ードでゆっくり歩いて行こうと思いました。

⑤津波で多くの犠牲者を出した磯部の住民として、あの日の事を思いだしました。今も予震に脅える沿岸部の人達の不安や苦しみを少しでも多くの人に知ってもらいたいです。震災の話は聞きたくなかったのですが、改めて、あの震災を忘れない事の大切さを実感しました。伝えて行きます。

⑥私は津波で家をなくしました。あれから2年たって、あの頃の悲しみを忘れかけていました。震災の頃を思いだし、これまで自分を支えてくれた家族や友人に感謝していこうと思いました。

⑦涙を流しながら聞きました。震災で友達もバラバラになりました。避難所での苦しい生活を思いだしました。でも、たくさんの人達にお世話になりました。与えられた命 を大切に生きて行きます。ありがとうございました。

⑧私は原発事故で自宅に帰れません。今も不自由な避難生活を送っています。でも、いつまでも被災者と呼ばれたくありません。少しずつ当たり前の生活が戻ってきた事に感謝し、震災で経験した事を語り継いで行きたいと思います。ありがとうございました。

⑨震災のニュースはもう嫌だと思ってました。私の将来の夢は保育士になることです。話を聞いて、何かあったら子供達のことを、ちゃんと守れる保育士になろうと思いました。

⑩私は中学3年の時に震災にあいました。住んでいたのは原発のあった大熊町です。震災の次の日の3月12日には大熊町には誰も居ませんでした。それから2年1ヶ月、これまでに一度も自宅に帰っていま せん。震災後半年でPTSD になり体調を崩し、体重も4キロ減り、腹痛に襲われ、生きた心地がしませんでした。大熊町は原発と共に生きて来ました。小さい頃からリスクは感じていました。地元に帰りたいというニュースが流れると、不信感が募ります。大人、特に高齢者は帰りたいかもしれませんが、私達若者は帰りたいとは思ってないと思います。私も結婚して子供を産んでも、大熊に戻りたいとは思っていません。
大和田さんが言うように、福島県の復興・復旧を担うのが若者達ならば、マスコミはもっと若者の意見を聞くべきではないでしょうか。行政や大人の意見ばかりを扱うのではなく、私達の思いや主張をちゃんと伝えて下さい。宜しくお願いします。

★全てを受け止めて、未来に向けて歩み続ける高校生からパワー をもらいました。ありがとうございました。

第348話 頑張ろう浪江町

 
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5月6日(月曜日)の夜7時から2時間の生放送「月曜Monday ( もんだい)夜はこれから」は、テーマが「頑張ろう浪江~故郷へのメッセージ」。

ゲストに、この春浪江中学校を卒業した、山本幸輝(こうき)くんと、山田なっちゃんを迎えてお送りする。

また、2人の応援団として、浪江町出身のシンガー・門馬よし彦さんと理恵子さんも駆けつけてエールを送る。

震災前は420人いた浪江中学校も幸輝くんやなっちゃんが卒業する時は49人にまで減っていた。

それでも故郷への想いを胸に、自分達を受け入れてくれた二本松の皆さんへの感謝の気持ちを忘れず、幸輝くんやなっちゃんをはじめ、浪江中学校の生徒達は前を向いて頑張ってきた。

それぞれが高校に進学し、未来への一歩を踏み出した2人に、故郷浪江への想いや、将来の夢を聞く。

★毎週月曜日、夜7時から放送の「月曜Monday(もんだい)夜はこれから」は、ユーストリームを通して世界中に音声と影像を発信。

県外の方はパソコンかスマホでどうぞ。
 

『月曜Monday 夜はこれから!』(ラジオ福島)
【ustream】 月曜 19:00~20:50
 http://www.ustream.tv/channel/rfc-radio
【facebook】
 https://www.facebook.com/Monday1458
  

第347話 相双福島

 

 
双葉高校野球部エースの、猪狩駿くんのお母さんからのメールを転送します。

駿くんは、昨年夏の甲子園大会で、始球式を務めました。

春の地区大会が始まりました。夏の甲子園大会に3回出場した双葉高校は現在部員は4人です。

相馬農業高校との合同チーム(相双福島)で昨日、原町高校と対戦しましたが、破れました。

原町高校野球部とは昨年秋まで合同チーム(相双福島)を組んでいました。昨日、駿くんは投げませんでした。

★☆★☆
はい、今回は肩の調子が良くなかったので、夏に向けて万全でいくため
また、チームのために投げませんでした。

合同チーム解散後、初の公式戦で原町高校と当たってしまい、負けてしまいましたが、子供達も保護者も清々しい気持ちで終わる事が出来ました。

原高は若いチームですが、とても楽しみなチームです。

ライバルでもありますが、原高には頑張って相双福島の分も勝ち進み県大会の切符をつかんでもらいたいですね。

嬉しかったのは、一回戦の相馬東高校との試合の時に、原高の選手全員で応援してくれたことです。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

頑張れ原町高校。
頑張れ相双福島!

第346話 死亡率2倍を問う

 

 
5月1日(水曜)の毎日新聞東北版「とうほく彩発見」に映画「生命(いのち)のことづけ」について書きました。

縁あって、この映画のナレーションを私が担当しました。

「生命(いのち)のことづけ」は、東日本大震災で被災した障害者の記録映画です。

今回の震災での障害者の死亡率は健常者の2倍とされ、関係者は「人のつながりがあれば」と悔やんでいる。

映画のナビゲーターとして出演している早坂洋子さん(30)は盲聾者で、震災当日は仙台駅にいました。

手話通訳者と一緒だった為、安全な場所に避難し、その後、自宅まで2時間かけて歩いて帰 りました。自宅は半壊していました。

映画の中で早坂洋子さんは「普段から地域のつながりがあれば、助けられた命もあったはず」と語っています。

5月1日(水曜)毎日新聞東北版「とうほく彩発見」ぜひ、お読み下さい。

毎日新聞東北版5月1日「とうほく彩発見」PDFデータ265k(別ウィンドウで開きます)