第575話  音声案内装置寄贈式

 
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ラジオ福島主催「第36回通りゃんせ基金キャンペーン」による「視覚障害者用音声案内装置の寄贈式」が、9月13日(金曜)に郡山市のJR 磐越西線・磐梯熱海駅前広場で行われた。

「視覚障害者用音声案内装置」は、センサーが人を感知した時に、電子音と音声で現在地と目的地までの距離・方向などを案内する。

これまでに新幹線や県内の主要駅前に設置してきた。昨年は、南相馬市の「夢はっと」前に設置した。寄贈数はこれで19基となった。

寄贈式には、品川萬里(しながわまさと)郡山市長、阿曽幸夫県視覚障害者福祉協会会長らが出席。

ラジオ福島の本多社長から、品川市長に音声案内装置の目録を贈った後、品川市長が県民の皆さんへ謝辞を述べた。

そして阿曽会長が音声案内装置の稼働スイッチを押して設置を祝った。

9月21日(土曜日)・22日(日曜日)の両日、磐梯熱海町で障害者の祭典「きょうされん全国大会」が開催され、全国から障害者1千人が参加する。

この音声案内装置が駅前で、参加者を迎える事になる。

元気な福島県、障害者に優しい町作りを進めている開催地郡山市を全国にアピールするいいチャンスだ。

「視覚障害者用音声案内装置」は、復興・復旧のシンボルになると信じている。

第574話  希望の牧場

 
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警戒区域で闘い続ける「希望の牧場」を紹介した「原発一揆」を読んだ。

著者の針谷勉(はりがやつとむ)さんは影像ジャーナリスト。

原発一揆の主人公・吉沢正巳さんの助手として牛の世話をしながら取材を続けている。

原発一揆の舞台となった「希望の牧場・ふくしま」は、警戒区域に指定されていた福島県双葉郡浪江町にある牧場。東京電力福島第一原子力発電所から14キロの距離にある。32ヘクタールの土地は、主人公の吉沢正巳さんの父が開拓した。

今、「希望の牧場」には、市場に出回る事のない
360頭の牛が飼育されている。

吉沢さんは「この牛達は、放射能に犯された福島の生き証人。処分するなんて許さない。研究材料として未来の福島に必ず貢献する」と力説する。

動物も人間と同じ命、畜産農家にとっては家族そのもの。

希望の牧場は、時には大きな挫折を乗り越えて尊い命と向きあってきた。

吉沢さんは繰り返す。『原発事故によって警戒区域となった20キロ圏内被ばく家畜は経済的意味を失い、国によって殺処分するよう指示された。1500頭の餓死、1500頭以上の殺処分によって、牛を飼っていた多くの農家は心が折れてしまい、自分の家へ戻る事も出来ずに苦しんでいる。

生き残った700頭の牛達は、原発事故による放射能汚染の事実を記録に残す事と、原発再稼働による「事故を繰り返す時代」への逆戻りに抗議するシンボルとしての意味を持っている』と。

第573話  足湯

 
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磐梯熱海駅前の足湯。

菅原美智子アナウンサーの大根が気持ち良く湯だっています。

恐い物見たさに、どうぞ。

第572話  いわき、ときわ塾を訪れて

 

 
MRIC by 医療ガバナンス学会より転載いたします。

東京大学大学院工学系研究科原子力国際専攻
修士課程一年
前橋 佑樹

●「いわきの子供たちに勉強を教えてくれませんか?」、ときわ会事務局長、神原章僚さんに言われたのは、今年の三月の事でした。当時私は友人と一緒に、東京で親交のある競輪選手の古川功二選手の応援に、福島県いわき市を訪れていました。そこで開かれた宴会の席での話だったのですが、その時は、分かりました、考えておきます、と深く考えずに返事をしてしまいました。しかしその後あっという間に話は進み、7月には『「魁!ときわ塾」をやろうと思います。小学生が20名ほど参加予定です』と、受け入れ体制が整った旨のメールをいただきました。

私は、東大剣道部の後輩の小田紘之君(東大工学部四年)と、その研究室の先輩の太田耕右君(東大大学院工学系研究科一年 )と一緒に8月6日から9日まで再びいわきに行くことになりました。

●ときわ会
ときわ塾を主催するときわ会グループは、いわき市を中心に、人工透析と泌尿器疾患を中心に診療する医療グループです。

一方で、介護老人保健施設や幼稚園を持つなど、医療のみに限らない活動をしています。私がときわ会を知ったのは、東日本大震災のとき、大学の先輩がいわき市の透析患者の搬送を協力した縁からでした。3月にいわきを訪れたときにご紹介いただき、いわき市内の津波被害のあった沿岸部を案内していただきました。その際、震災から2年経った当時でも残ったままのガレキや、津波にさらわれた家の残骸など、震災の爪痕を目の当たりにし、自分に何が出来るだろうと考えたことがこの度いわ きに再び行こうと思ったきっかけの一つでした。

●ときわ塾
ときわ塾は、いわき泌尿器科内の部屋を借りて行われました。小学生低学年10名、高学年9名を対象に、朝8時から夕方5時頃まで速算や読書、学校の宿題、外国人講師を招いての英会話などの勉強が行われ、テニスやボードゲームなどのレクリエーションも行われます。

その他、戦争についてのお話や、座禅、新地高校の高村泰広先生による宇宙についての講義など、いわゆる塾というイメージによらない様々な活動が行われました。我々が赴いたときはちょうどお昼時で、子供たちと給食を一緒に食べることになりました。初めての出会いにも関わらず、ときわ塾の瀬谷知之先生から「東大の先生が来てくれました!」と紹介を受けると、子供 たちはどんどん質問してきます。

「先生好きな食べ物なんですか?」「先生ギリシャ数字知ってますか?」(なんと子供たちはモノからデカまで全部言えた。)「彼女いますか?」など、大人だったら初対面の人にまず聞けないようなことまで平気で突っ込んできます。普段小学生と接する機会のない私にはそれだけで十分新鮮であり、あっという間にいわきの子供たちに親しみを感じるようになりました。

はじめ、我々の仕事は子供たちに勉強を教えることと考えていたのですが、神原さん、瀬谷先生に、「子供たちと本気で接して、話してほしい」と言われ、考えを少し変えました。子供たちと同様に、全力で速算、速読に取り組む。

7日の午後には体育館で紙飛行機を飛ばしたのですが、全力で 取り組んだ結果、見事に子供に負けてしまいました。子供たちは我々に勝つと本気で喜びます。我々が出来ることは微々たるもので、何を伝えられるのか分からなかったのですが、子供たちの喜ぶ姿を見て、少しでも役に立てたのかな、と感じることが出来ました。

最終日、瀬谷先生の計らいで、1時間ほど子供たちから質問を受け付ける時間をいただき、その中で、「どうやったら東大に行けますか?」と質問されました。そもそも小学生が大学のことを考えているのが私は驚きだったのですが、出来るだけ正直に、「目標を持って、楽しく勉強して下さい。」と答えました。抽象的な答えになってしまい、どこまで伝わったか分かりませんが、将来一人でも多くの人が、自分の目指すところに行ってくれれば と思い、いわきを後にしました。

●現場からの復興
私はこの春から東大大学院工学系研究科の原子力国際専攻に進学しました。この専攻に進学しようと決めたのは震災から1年と少し経った去年の6月ごろ、報道される情報が正しいのか間違っているのか、自分の周りは安全なのか安全でないのか分からず、自分で考えられるようになりたいと考えたのがきっかけでした。

しかし、いざ進学して勉強してもわからないことだらけ、原発再稼働はいいのか悪いのか、最近だと汚染水の海洋への流出などは大丈夫なのか、中々答えを出すことは出来ません。ですが、今回福島へ行って子供たちとふれ合い、復興という観点から何をすべきなのかが少し見えた気がしました。

福島の復興というと、原発事故 の収束や、立ち入り禁止区域の除染などの印象が先行しますが、一方で人材育成、教育も非常に大事なことだと思います。子供の成長できない土地に未来はないからです。被災地の教育というと、人材がいなくなり、苦慮するイメージがありますが、必ずしもそうではありません。

例えば、福島県立相馬高校は震災以後、外部の講師を招き、継続的に指導いただくことで、大学合格実績を飛躍的に伸ばし、今年は遂に東大合格者を出しました。この時に主体となって外部講師に働きかけたのが、震災当時相馬高校に勤められていた前述の高村泰広先生です。地域の教員が外部の方とうまく交流し、被災地の教育レベルを上げた例だと言えます。いわきのときわ塾も同様で、地域で活躍するときわ会が主体となり 、我々の様な県外の人間と協力する事で、小学生たちの教育レベルを引き上げようという取り組みです。大学受験のように結果が明確に出るものではないのですぐに効果が見えるものではありませんが、保護者の方からの評判はよいようで、冬にも開催してほしいという希望が多数出ているとのことです。私に出来ることは、継続していわきに行き、子供たちと接すること、そして新しい仲間を紹介することです。

原子力を学ぶ者としては、つい原発再稼働の是非など大きな事ばかり考えてしまいますが、現地に入って自分に出来ることをすることの大事さを気付かされました。

【略歴】
平成 1年 兵庫県三田市に生まれる。
平成 9年 如月剣友会にて剣道を始める。
平成14年 兵庫県私立灘中学校・高等学校に入学。剣道部に所属、主将を務める。
平成21年 東京大学理科一類に入学し、運動会剣道部に入部する。
平成25年 東京大学工学部を卒業し、同大学院工学系研究科原子力国際専攻に入学する。

今回の記事は転送歓迎します。その際にはMRICの記事である旨ご紹介いただけましたら幸いです。

MRIC by 医療ガバナンス学会

第571話  知事訪問

 
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9月21日(土曜日)・22日(日曜日)の2日間、福島県郡山市磐梯熱海町で障がい者の祭典「第36回きょうされん全国大会」が開催されます。

来賓に佐藤雄平福島県知事、品川萬里郡山市長を迎え、全国から千人を越える障がい者の皆さんとスタッフ合わせて2千人が参加します。

東日本大震災では、障がい者の死亡率が、健常者の2倍を越えているという現実を踏まえ、次に来る災害で死者を出さない為の取り組みを最優先に考える大会にしていきたいと思っています。

今日、佐藤雄平知事を訪ね、全国大会開催のご案内と、歓迎のご挨拶のスピーチ承諾の御礼をお伝えしてきました。

席上、知事には二つのお願いをしてきました。

一つは、7年後の東京オリンピックの選手の入場の際に、昭和39年のオリンピックで使われた福島出身の古関裕而作曲の東京オリンピックマーチを使うように安倍総理に頼んで欲しいという事。

二つ目は、いわき市薄磯で津波で亡くなった、鈴木姫花さんのハンカチを受け取って欲しいという事です。

オリンピックマーチの話は半分上の空でしたが、姫花さんのハンカチについては、じっとハンカチを見つめながら、頷いて聞いていました。

そして最後に、「姫花さんのご家族に宜しく伝えて下さい。このハンカチは一生の宝物として、大切にします」と、話してくれました。そして知事は姫花さんのハンカチを丁寧にたたんで、上着の内ポケットに入れました。