第51話 久乃浜海岸①

 

地震、津波、火災、原発事故、風評被害と5つの災害と闘う、いわき市南部の久乃浜地区。

原発から30キロのこの地域は屋内退避となり、殆どの住民が故郷を離れた。

津波の後、火災に見舞われた久乃浜。

63人が亡くなり、10人が行方不明となっている。

写真の正面が堤防。遮るものがなくなった。

焼けただれた木が、不気味な姿で立っている。

20日(土曜日)に行われる鎮魂の花火大会の為に、草刈りが行われていた。

第50話 桜小からのメッセージ、大阪へ

 

10月初旬、大阪在住の書道家・川瀬碧水(みゆき)さんら6人が、郡山市立桜小学校を訪れ、「出前書道授業」を行いました。

川瀬さんは先ず、大阪市立堀江小学校の子供達から託された応援メッセージを桜小学校の児童に手渡しました。

書道の出前授業では今度、桜小学校の子供達から堀江小学校の子供達にありがとうのメッセージが書かれ、そのメッセージを昨日、川瀬さん達が堀江小学校に持っていきました。

立ち会った、関西大学大学院の藤澤和久さんからのメールです。

大和田 さんへ。

おはようございます。
関西大学の藤澤です。

私達の活動を番組で取り上げて下さいまして、本当にありがとうございます。

さて、今朝、スポニチの山本さん・書道家の川瀬先生と共に大阪市立堀江小に行き、朝礼で、郡山市立桜小5年生が書いてくれたメッセージを、堀江小学校の5年生に手渡しました。

堀江小校長の中山太嘉俊先生は、「遠く離れた両校が書を通して繋がった。

この『絆』の交流、1度限りではなく今後も続けていきたい」と、話してくれました。

桜小から届いた書は、11月に行われる小学生の「作品展」で地域に向けて発信します。

大阪と福島を繋いでくださって、本当にありがとうございました

今後とも、よろしくお願いします。

藤澤 和久

第49話 子供たちは見ている

 

震災後、福島の子供達は全国から沢山の支援を受けています。

昨年の8月。
福島市飯坂町の平野中学校の2年生50人が、東京の企業の支援で、日帰りで東京ディズニーランドに行く事になりました。

しかし直前に行き先が、横浜の山下公園に変更になりました。

行き先を変更したのは、主役である中学生自身でした。

平野中学校の生徒の7割が果樹農家。

その大半が桃を育てていました。

桃は夏の果物。

しかし果樹農家が1番忙しいのは1月・2月の厳冬期の剪定作業です。

生徒達は、寒さの中懸命に農作業を行っている、じいちゃん、ばあちゃん、それに両親の苦労を目の当たりにして、全く売れない桃を横浜で消費者に直接渡し、 福島の現状を理解してもらいたいと、立ち上がったのです。
生徒会長が代表して校長先生を説得、其々の生徒が家庭で家族を説得して実現しました。

横浜山下公園で配られた300個の桃は、あっという間に無くなりました。

その時生徒達は、「福島の美味しい桃です!家族が一所懸命作りました。放射能検査もしてあります。全く心配ありません。安心して食べて下さい」と、声を枯らして呼びかけ、桃を配りました。

子供たちは、私達大人の背中を見ています。

彼等の手本となるように、手を抜かず 頑張っていきましょう。

原発事故が教えてくれた。
「手を抜くと、手間がかかる」

福島の復旧・復興を担う子供達の為に、私達大人が何をすべきか、一緒に考えていきましょう。

全ては、子供達の為に

第48話 みんなの維新!

 

みんなの党と維新の会の協議再開。

選挙のためなら何でもアリですか。

みんなの党を離党した参議員3人はどうするんでしょうか。

維新に参加した国会議員の顔ぶれが、維新の支持率を下げています。

まあ、政治家の皆さんは国民を見てないですから、選挙に向けてなりふり構わずの、当たり前の行動なのかもしれませんね。

昨日、3・11の時に、自宅近くの障害者を助ける為に、津波にのまれ、まだ遺体が見つかっていない、いわき市久の浜の市議会議員・高木芳夫さん(65)の奥様に浜風商店街でお話を伺いました。

「住民避難を呼びかけ、最後まで住民を助ける為に行動した主人を誇りに面白います」と涙ながらに語ってくれました。

最近行われたいわき市議会議員選挙で、高木芳夫さんの後継者の36歳の木村候補が5千票を越える得票を集め、トップ当選しました。

高木芳夫さんの故郷を思う気持ちが引き継がれました。

地域の人達皆で、木村議員を盛り上げていくことになっています。

また、マザーテレサの言葉を思い出しました。

「多くの民の幸せを願う者は、先ず、傍らに倒れている一人を助けなさい」

第47話 門馬よし彦さん

 

いわき市久之浜の浜風商店街で今日午後、浪江町請戸出身のシンガーソングライター・門馬よし彦さん(33)のミニコンサートが行われました。

ステージは門馬さんの体型に合わせて、土俵を使用しました。

門馬さんの自宅は玄関から海岸まで30歩の近さ。

当然津波で基礎を残して全て流されました。

3・11、自宅には祖母が1人でいましたが、津波が来る寸前に門馬さんの義理の弟が助け出してくれました。

婆ちゃんは今、門馬さんと一緒に福島市の仮設住宅で生活しています。

津波が全てを奪って行ったが、生き残った私達が絆を繋いで故郷を復興させようと歌う「願い」には、会場からすすり泣く声も聞かれました。

被災地の思いを歌に託し、門馬よし彦さんのコンサートはこの秋佳境を迎えます。