★「東日本・地震・津波・原発大震災」から、まもなく1年8ヶ月になります。
仮設住宅では二回目の寒い冬を迎えます。
震災後、暖かい大熊町から会津若松の仮設住宅に避難している69歳の女性にインタビューしました。
彼女は、8人家族でしたが、原発事故を受け、今は一人ぼっちで仮設住宅に住んでいます。
会津若松の仮設は5ヵ所目の移動でした。
同い年のご主人は将来の不安から酒浸りになり、いつしか暴力を振るうようになりました。
50年連れ添った夫婦は、仮設住宅で、離婚しました。昨年12月の事です。
彼女は、「主人の優しさと生きる希望を奪い、家族の絆、故郷までも奪った原発が憎い。孫の顔が見たい」と泣きました。
今までの、当たり前だった幸せな日々を、 取り戻すことのが、彼女の復興なのです。
離婚後、雪道で転倒し、右手首を骨折しました。
独り暮らしのこの女性の孤独感と、不自由な思いを想像すると涙が止まりません。
放射能では誰も死んでいません。
しかし、原発事故は、故郷を奪い、家族をバラバラにしました。
『原発事故さえなかったら』その一言が重くのしかかります。
2012年11月6日 |
大熊町
津波で亡くなった豊間小学校4年生、鈴木姫花(ひめか)さんの「虹」の絵です。
色彩感覚に溢れ、力強い生命力を感じます。
姫花ちゃんのお父さんは毎日、姫花ちゃんが最期にいた場所に足を運び花を手向け、手を合わせます。
そして言います。
「姫花、助けてあげられなくて、ごめんね」
この震災で子供を亡くした親御さんは、必ず自分を責めます。
「私は子供を救えなかった無力な親ですから」
まもなく震災から1年8ヶ月。
遺族の悲しみは、続きます。
★姫花ちゃんの絵がハンカチになりました。
一枚800円です。売上は全額いわき市に寄付し、災害遺児の為に使われます。
全国のきょされんの仲間にもこの事実を知って頂き、協力をお願いします。
姫花ちゃんのハンカチについて詳しくは、フォトジャーナリスト・高橋智裕さんのホームページをご覧下さい。
2012年11月5日 |
いわき市
全盲のマラソンランナー、福島市の鍼灸師、星純平さんからの嬉しいメールを転送します。
昨日のマラソンの結果です。純平さんは、フルマラソンを三時間以内で走る、サブスリーを目指しています。
視覚障がい者ランナーの星純平です。
日頃は、ラジオ福島をお聞きの多くの皆様から応援をいただきまして、誠にありがとうございます。
視覚障害者となり閉鎖的な日々を送る中、多くの方々のご支援を頂く事で、マラソンと言う世界を体感しています。
ただの一人の市民視覚障害者ランナーと思って走ってきましたが、ラジオ福島の大和田さんとの出会いで、ラジオ番組にて熱意を持って取り上げて頂きました。
その影響によって多くの方々から応援をしてもらう事になりまして、心から感謝しています。
その反面、戸惑いもありますが、光を失い、気持ちを閉ざす日常から少し解放されたような喜びを実感する今日この頃です。
自分自身の運命と戦う一つの形として今、マラソンと向き合っていきたいと思っています。
今後とも、温かいご声を宜しくお願い致します。
昨日(11月4日)は、茂庭っ湖マラソン(福島市飯坂)に参加してきました。4度目のフルマラソンです。
伴走をしてくださったのは藤田 欣也(39)さんです。
陸上自衛隊郡山駐屯地に勤務され震災時は不眠不休で任務にあたってくださったそうです。
陸上は社会人になってから始めて、フルマラソン(42.195キロメートル)2時間39分の記録をお持ちです。
藤田さんは、7年前に仙台ハーフで高橋勇市選手(アテネパラリンピック視覚障碍者マラソン 金メダリスト)の伴走の経験もある、とても頼もしい伴走者です。
大会案内に書かれていた、「※ご注意 コース上に猿の糞がある場合がございますのでご注意ください」の一文が頭から離れず、糞に滑る自分の姿が何度も思い浮かんでリラックスしたスタートができました。(笑)
3時間15分以内が目標タイムです!!
ベテランランナーも非常にタフなコースと言うほど長く傾斜の厳しい上りと下りの足にくるコースでした。排雪溝のグレイチングの溝が大きく何度も躓きかけ、ガイドする藤田さんも神経を使ったそうです。
終止、風の強いレースで何度もくじけそうになりましたが、藤田さんの丁寧なガイドと熱い励まし、参加ランナーの方々や沿道からの盛宴に助けられ完走できました。
完走タイム:3時間08分06秒
本大会も、伴走をして下さいました藤田さんをはじめ、多くの方々のご支援により、走らせていただきました事、心より感謝申し上げます。
引き続きのご支援ご声援をよろしくお願いいたします。
星 純平
2012年11月5日 |
福島市
相馬市の立谷秀清市長の後援会の総会を取材しました。
震災から間もなく1年8ヶ月、立谷市長はこれからの相馬市の復興ビジョン(住宅や防災倉庫)を、集まった支持者800人に、スライドを使って丁寧に説明しました。
そして相馬の復興には人材育成が最優先課題だと話し、教育・医療の充実をはかる事を約束しました。
今年3月、立谷市長に会ったコピーライターの糸居重里さんが言いました。
「立谷市長はまさしく昭和のオヤジです。『俺について来い、責任は俺が取る』。国も東電も責任を取らないから、国民は信用しないのです。立谷市長は貴重な昭和のオヤジですね」と。
立谷市長の復興ビジョンの説明の後、東大医科研教授の上昌広先生の放射線に関する講演がありました。
上先生は、ホールボディーカウンターによるデータなどから内部被ばくの現状を説明、流通している物を食べていれば、全く問題ない事や、原発事故からくる無理な避難が生むストレスが、いかに健康被害を与えているかなどを分かりやすく解説しました。
そして最後に、甲状腺がん発生時に国が医療費を負担するための議員立法を求める要請書が、自民党の三原じゅん子参議院議員に立谷市長から手渡されました。
この議員立法を求める要請書を提案したのは、東大教授の早野龍五先生です。
早野先生の提案に基づき立谷市長がとりまとめ、福島県市長会を通じて復興庁に要請しました。
その全文をここに掲載します。
『東京電力福島第一原子力発電所の事故により、多くの福島県民が健康に不安を抱えている現状にある中、健康影響調査の一環として、現在、18歳以下の子供を対象に超音波による甲状腺検査が実施されています。
また、福島県においては、今年10月より18歳以下の医療費自己負担が無料化されている。
しかしながら、これまでのチェルノブイリ原子力発電所事故等のデータから、被曝から数年~数十年後に発生すると考えられている甲状腺がんが18歳を超えて発症した場合の対応については明確にされていない。
よって、甲状腺検査の対象者である平成23年3月11日時点で18歳以下の県民が18歳を超えて甲状腺がんを発症した場合においても、原子力発電所事故との因果関係を問うことなく、全て国が治療費を負担するよう強く要請する』
要請書を受け取った三原じゅん子参議院議員は、「当然の要望であり、議員立法実現に向け全力で対応します」と述べました。
政治生命をかけて取り組んでもらいたいものです。
それにしても三原じゅん子さんは綺麗でした!
2012年11月4日 |
相馬市
いわき市の沿岸部、薄磯・豊間地区を友人のフォトジャーナリスト・高橋智裕さんと訪ねました。
風が強かったものの、青空と海の碧さが、心を癒してくれました。
基礎しか残っていない家ばかりですが、綺麗な花と可愛いいキャラクター人形が手向けられている場所がありました。
2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9の大地震が東北を襲いました。
その40分後、豊間、薄磯地区に13メートルの津波が押し寄せました。
豊間中学校の体育館の時計は、3時28分で止まっています。
この地区では、100人が亡くなり、今も10人が行方不明となっています。
いわき市では津波で、小学生が二人犠牲になりました。
二人とも、豊間小学校に通っていました。
小学校4年生の鈴木姫花(ひめか)さん(当時10歳)は、花が手向けてあるお父さんの実家で、津波にのまれました。大好きなおばあちゃんと一緒に。
鈴木姫花ちゃんは、絵を描くのが大好きで、小さい頃から沢山のコンクールに入賞していました。
「10年後の自分へ」という作文には、デザイナーになりたいという夢が綴られていました。
姫花ちゃんの夢は、東日本大震災によって絶たれてしまいました。
でも、両親や多くの人の思いが支援をよび、姫花ちゃんの絵がハンカチになりました。
この絵は、姫花ちゃんが小学校3年生の時に描いたもので、故郷の「塩屋崎灯台」をモチーフに、明るい色使いが印象的です。
幼い頃から素晴らしい色彩感覚を持っていた姫花ちゃんの絵は、生きる希望にみちあふれています。
姫花ちゃんのハンカチに興味のある方は、フォトジャーナリスト・高橋智裕さんのホームページをご覧下さい。
ハンカチの売り上げは全て、災害遺児の為に使われます。
「きょうされん全国大会」を成功させましょう。
鈴木姫花ちゃんが津波で流された、お父さんの実家です。
基礎しか残っていません。
高台に見える神社が明神様(薄井神社)です。
多くの住民がこの神社に逃げて助かりました。
家の基礎の前には姫花ちゃんのお父さんが、残ったブロックで「HIMEKA 」と作りました。
天国から見えるように。
毎日ここに来て手を合わせてお父さんの貴さんは言います。
「姫花、助けてあげられなくて、ごめんね」
すると姫花ちゃんの声が聞こえます。
「パパ、頑張ってね」
その声を聞いて、貴さんは頑張っています。
2012年11月2日 |
いわき市
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