第103話 昭和のオヤジ
コピーライターの糸井重里さんが言いました。
「相馬の立谷市長は、昭和のオヤジです。俺についてこい、責任は全て俺が持つ。そんな、昭和のオヤジが被災地には、1番必要なんです」と。
2012年11月20日 | 相馬市
相馬市
コピーライターの糸井重里さんが言いました。
「相馬の立谷市長は、昭和のオヤジです。俺についてこい、責任は全て俺が持つ。そんな、昭和のオヤジが被災地には、1番必要なんです」と。
2012年11月20日 | 相馬市
相馬市の立谷秀清市長の後援会の総会を取材しました。
震災から間もなく1年8ヶ月、立谷市長はこれからの相馬市の復興ビジョン(住宅や防災倉庫)を、集まった支持者800人に、スライドを使って丁寧に説明しました。
そして相馬の復興には人材育成が最優先課題だと話し、教育・医療の充実をはかる事を約束しました。
今年3月、立谷市長に会ったコピーライターの糸居重里さんが言いました。
「立谷市長はまさしく昭和のオヤジです。『俺について来い、責任は俺が取る』。国も東電も責任を取らないから、国民は信用しないのです。立谷市長は貴重な昭和のオヤジですね」と。
立谷市長の復興ビジョンの説明の後、東大医科研教授の上昌広先生の放射線に関する講演がありました。
上先生は、ホールボディーカウンターによるデータなどから内部被ばくの現状を説明、流通している物を食べていれば、全く問題ない事や、原発事故からくる無理な避難が生むストレスが、いかに健康被害を与えているかなどを分かりやすく解説しました。
そして最後に、甲状腺がん発生時に国が医療費を負担するための議員立法を求める要請書が、自民党の三原じゅん子参議院議員に立谷市長から手渡されました。
この議員立法を求める要請書を提案したのは、東大教授の早野龍五先生です。
早野先生の提案に基づき立谷市長がとりまとめ、福島県市長会を通じて復興庁に要請しました。
その全文をここに掲載します。
『東京電力福島第一原子力発電所の事故により、多くの福島県民が健康に不安を抱えている現状にある中、健康影響調査の一環として、現在、18歳以下の子供を対象に超音波による甲状腺検査が実施されています。
また、福島県においては、今年10月より18歳以下の医療費自己負担が無料化されている。
しかしながら、これまでのチェルノブイリ原子力発電所事故等のデータから、被曝から数年~数十年後に発生すると考えられている甲状腺がんが18歳を超えて発症した場合の対応については明確にされていない。
よって、甲状腺検査の対象者である平成23年3月11日時点で18歳以下の県民が18歳を超えて甲状腺がんを発症した場合においても、原子力発電所事故との因果関係を問うことなく、全て国が治療費を負担するよう強く要請する』
要請書を受け取った三原じゅん子参議院議員は、「当然の要望であり、議員立法実現に向け全力で対応します」と述べました。
政治生命をかけて取り組んでもらいたいものです。
それにしても三原じゅん子さんは綺麗でした!
2012年11月4日 | 相馬市
★相馬市立玉野小学校に、埼玉県の60代のご夫婦から寄贈されたピアノの「復活」の物語を、ご紹介します。
山間の相馬市玉野地区にある玉野小学校は、全校生徒が14人。
共有している体育館をはさんで、渡り廊下でつながっている玉野中学校も全校生徒14人。
その体育館に寄贈されたピアノを使い、相馬市出身のフルート奏者、芳賀文恵さんが音楽仲間3人と音楽会を開催しました。
芳賀さんは相馬市の沿岸部・尾浜出身。家族は無事でしたが、家は津波で流されて跡形もありません。
友人もたくさん亡くなりました。
虚脱感から1年間は何もできなかったそうです。
今は、自分のできること、音楽の力を信じて、被災地を回っています。
音楽会終了後、寄贈されたピアノで、玉野小学校と玉野中学校の校歌を子供達が熱唱しました。
ピアノが無かった体育館に校歌が流れたのは初めてでした。
娘が使っていて、今は使わなくなった大切なピアノを被災地に届けたい!
朝日新聞に私が書いた、豊間中のピアノの記事(今年3月11日掲載)を読んだ埼玉県の奈良さんご夫妻から、被災地にピアノを寄贈したいという手紙をいただいたのが、全てのきっかけでした。
このコンサートの模様は後日月曜日の番組で放送して、大きな反響を頂きました。
自然豊かな相馬市玉野地区の子供達の、元気な声が全国に発信されました。
子供たちの未来が福島県の希望です。
2012年10月30日 | 相馬市
涙を越えて、生きて行こう!
永田泰大(やすひろ)さんの記事「書きかけてやめた、福島のことを、もう一度」を読んで、強く思いました。
糸井重里さんが発行しているインターネット情報誌「ほぼ日刊イトイ新聞」の、8月14日(火曜日)版をぜひ、ご覧ください。
今年3月5日(月曜日)
にコピーライターの糸井重里さんと南相馬市、相馬市を取材した時の様子を、同行したジャーナリスト・永田泰大(やすひろ)さんが魂を込めてまとめたもので、心の底に突き刺さってきます。
同行取材した、毎日新聞元科学環境部長・斗ケ沢秀俊(とがさわひでとし)さんのTwitterを通して、この記事が今全国に広まり、かなりのアクセスと反響があるようです。
永田泰大さんの文章を通して、この震災の被害の大きさ、命の大切さ、原発事故の不条理さが、悲しい事実とともに、あらためてよみがえってきます。
永田さん、取材した3月5日(月曜日)は雪が降っていて、寒かったですね。
私が強行スケジュールを組んだ為、お昼を食べる時間もありませんでしたね。
また、今回この文章を発表するにあたり、永田さんには心の葛藤がかなりあったと伺いました。
このような感動的なレポートにまとめてくださった、永田泰大さん、糸井重里さん、斗ケ沢秀俊さんに心から感謝致します。
地域メディアのアナウンサーとして、福島の現状を、外に向かって発信する事の限界を感じている私にとって、永田さんの言葉は、力強い応援メッセージに感じました。
人に寄り添うには、マイクもカメラも必要ないようです。
糸井重里さんのように、心で話を聞く事だと、あの時教えて頂きました。
本当に、ありがとうございました。
相馬市立玉野小学校に、埼玉県の60代のご夫婦からピアノが寄贈されました。
山間の相馬市玉野地区にある玉野小学校は、全校生徒が14人。
共有している体育館をはさんで、渡り廊下でつながっている玉野中学校も全校生徒14人。
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先日、その体育館に寄贈されたピアノを使い、相馬市出身のフルート奏者、芳賀文恵さんが音楽仲間3人と音楽会を開催しました。
芳賀さんは相馬市の沿岸部・尾浜出身。家族は無事でしたが、家は津波で流されて跡形もありません。
友人もたくさん亡くなりました。
虚脱感から1年間は何もできなかったそうです。
今は、自分のできること、音楽の力を信じて、被災地を回っています。
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音楽会終了後、寄贈されたピアノで、玉野小学校と玉野中学校の校歌を子供達が熱唱しました。
ピアノが無かった体育館に校歌が流れたのは初めてでした。
娘が使っていて、今は使わなくなった大切なピアノを被災地に届けたい!
朝日新聞に私が書いた、豊間中のピアノの記事を読んだ埼玉県の奈良さんご夫妻から、被災地にピアノを寄贈したいという手紙をいただいたのが、全てのきっかけでした。 に発信します。
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自然豊かな相馬市玉野地区の子供達の元気な歌声が体育館に響き渡りました。
2012年9月29日 | 相馬市