相馬市
相馬東高校生徒からの、私の講演を聞いての感想文の続報です。
①地震の時、ファミレスにいました。悲鳴が溢れていました。自転車をかっ飛ばして家に帰りました。家の中はメチャメチャ。するとゴーと水の音が聞こえてきました。津波の音でした。両親と高台に走りました。高台から下を見ると、家や車や人も流されて行くのが見えました。講演を聞いて辛くなりました。でも、生き延びた私達は、使命感を持って生きて行かなければと、思いました。調理師になって、みんなを笑顔にしたいと思っています。
②色々な物を失ったけど、得た物もたくさんある。遠くに行った友達も元気でいるので安心です。辛い ことを経験したから、強くなれたと思う。
③講演を聞いて、避難生活を思いだしました。最初は近くの小学校に、そして、鹿島区、福島市、会津に避難しました。原発事故さえなかったらと思います。
④震災時、私も絶望感で一杯でした。でも、多くの人に支えられ今は、感謝の気持ちを忘れずに生きています。家族や家がある自分は本当に幸せです。将来は保育士になって、子供達に命の大切さを伝えて行こうと思っています。講演ありがとうございました。
⑤私は震災前から、保育士になりたいと思っていました。今回の震災で、幼稚園の先生が、子供を守ろうとして津波で亡くなったと聞いて、余計に保育士になろうと思いました。先生という仕事の責任の重さをしっかり認識して、未来を見 つめて頑張って行きます。
⑥震災当日、私は磯部中学校の体育館で一晩過ごしました。津波も上から見ていました。何もなくなってしまった磯部地区ですが、私の心の中には、綺麗な想いでが一杯詰まっています。震災があった事を忘れずに、苦しんでいる人達の力になりたいと思っています。
夢は、カウンセラーか整体師です。
⑦ありがとうございました。感動しました。私も家を流されました。もう一回来て下さい。
⑧私は地震の日、海の近くで、母と一緒に父が来るのを待っていました。だから、地震や津波の怖さは知っています。でも、今は、怖くありません。家族や仲間がいるからです。そして必ず相馬をもとに戻します。絶対に。
2013年5月2日 |
相馬市
相馬市にある福島県立相馬東高校で講演してきました。
被災地のど真ん中にある高校で、私が講演をやっていいのか、当日まで悩みました。
家を流され、家族を失い、原発事故により苦しい避難生活を余儀なくされている子供達の前で、私が震災を語る資格があるのだろうか。
その悩みを解決してくれたのは、相馬東高校から送られてきた生徒達の講演会の感想文でした。
①震災前、原釜に住んでいました。津波で全て流されました。私も津波にのまれ、30分泳いで屋根に登って助かりました。思い出したくない経験ですが、大和田さんの話を聞いて、語り継いでいこうと思い ました。
②僕は津波を見ました。原発の爆発音も聞きました。電機も水も食べる物もない、不自由なあの頃を思い出しました。僕の夢は、福島県の食材を使った美味しい料理を作る料理人になって風評被害をブッ飛ばすことです。
③講演を聞いて、あの頃を思い出し、鳥肌が立ちました。私の家は津波で流され、ばあちゃんがまだ見つかっていません。でも、悲しいの私だけじゃないんだって分かりました。涙をこらえて頑張って行こうと思いました。
④震災前は磯部に住んでいました。自宅も津波の被害を受けました。だから震災が憎いです。失った物が余りにも多いからです。でも、この震災で大切な物もたくさんあることが分かりました。復興に向けて頑張る気持ちを無くさずに、自分のスピ ードでゆっくり歩いて行こうと思いました。
⑤津波で多くの犠牲者を出した磯部の住民として、あの日の事を思いだしました。今も予震に脅える沿岸部の人達の不安や苦しみを少しでも多くの人に知ってもらいたいです。震災の話は聞きたくなかったのですが、改めて、あの震災を忘れない事の大切さを実感しました。伝えて行きます。
⑥私は津波で家をなくしました。あれから2年たって、あの頃の悲しみを忘れかけていました。震災の頃を思いだし、これまで自分を支えてくれた家族や友人に感謝していこうと思いました。
⑦涙を流しながら聞きました。震災で友達もバラバラになりました。避難所での苦しい生活を思いだしました。でも、たくさんの人達にお世話になりました。与えられた命 を大切に生きて行きます。ありがとうございました。
⑧私は原発事故で自宅に帰れません。今も不自由な避難生活を送っています。でも、いつまでも被災者と呼ばれたくありません。少しずつ当たり前の生活が戻ってきた事に感謝し、震災で経験した事を語り継いで行きたいと思います。ありがとうございました。
⑨震災のニュースはもう嫌だと思ってました。私の将来の夢は保育士になることです。話を聞いて、何かあったら子供達のことを、ちゃんと守れる保育士になろうと思いました。
⑩私は中学3年の時に震災にあいました。住んでいたのは原発のあった大熊町です。震災の次の日の3月12日には大熊町には誰も居ませんでした。それから2年1ヶ月、これまでに一度も自宅に帰っていま せん。震災後半年でPTSD になり体調を崩し、体重も4キロ減り、腹痛に襲われ、生きた心地がしませんでした。大熊町は原発と共に生きて来ました。小さい頃からリスクは感じていました。地元に帰りたいというニュースが流れると、不信感が募ります。大人、特に高齢者は帰りたいかもしれませんが、私達若者は帰りたいとは思ってないと思います。私も結婚して子供を産んでも、大熊に戻りたいとは思っていません。
大和田さんが言うように、福島県の復興・復旧を担うのが若者達ならば、マスコミはもっと若者の意見を聞くべきではないでしょうか。行政や大人の意見ばかりを扱うのではなく、私達の思いや主張をちゃんと伝えて下さい。宜しくお願いします。
★全てを受け止めて、未来に向けて歩み続ける高校生からパワー をもらいました。ありがとうございました。
2013年5月2日 |
相馬市
相馬東高校で講演してきました。
大雪でした。
講演会終了後、女子高生四人にインタビューしました。
二人は、自宅を流されていました。
震災後の苦しみや、悲しみ、怒りを笑顔に変えて、彼らは未来に向かって頑張っています。
四人のうち二人は、将来看護師になりたいと話していました。
あとの二人は、ウェディングプランナーと小説家でした。
夢を持つことの大切さを教えてもらいました。
インタビューの模様は、22日(月曜日)の午後7時過ぎからの番組で放送します。
『月曜Monday 夜はこれから!』(ラジオ福島)
【ustream】 月曜 19:00~20:50
http://www.ustream.tv/channel/rfc-radio
【facebook】
https://www.facebook.com/Monday1458
2013年4月21日 |
月曜Monday, 相馬市
きょうされんの仲間から、感動的なお手紙を、たくさん頂きました。
福島県いわき市植田町に事務局を置く、障害者団体「エル・ファロ」の関係者のみなさんからです。
15通のお手紙は、私の「大和田ルポ」を読んでの感想で、全て手書きで心がこもったものでした。
いくつか紹介します。
①
ピアノを復活していただいた、豊間中学校の在校生の保護者です。
大和田さんのレポートを読んで、あの時がよみがえってくると共に、ピアノに関わった皆様の深い思いに、熱いものが込み上げてきます。
私達は、多くの方々に救われ支えられてきました。
ピアノの復活をメディアを通し て知り、生かされた命を精一杯燃やして行くことが使命だとかんじました。
ありがとうございました。
②
大和田さんのルポ、「福島のたからもの」「姫花ちゃんのハンカチ」「東電復興本社開設」「頑張れ純平さん」「テノール歌手・本田武久さん逝く」等を興味深く読ませて頂きました。
東日本大震災により、私も過酷な運命を背負う事になりました。
しかし、大和田さんのレポートを読んで、希望の光を見つけ、夢に向かってチャレンジする方々の懸命に生きる姿に、勇気と感動をもらいました。
震災に立ち向かい、挑戦し、立ち直ろうとする人々から、生きる力を頂きました。
大和田さんのルポを読んで、私自身が震災の疲れ が出始めた心と体に、栄養をもらいました。
③
相馬の立谷市長の漁労倉庫を読んでの感想です。
相馬の海の人達は、津波で大きな被害を受けた事を踏まえて、以前より不便になっても、安全を優先し、居住区域と仕事場を離す事を選択しました。
それは、復興への第一歩だと思います。
私は今、いわき市に住んでいますが、回りに楢葉や富岡の人達が家を建て始めました。
故郷へ帰る事をあきらめ、いわき市に住む決断をした人達の心を思うと、原発事故さえなかったらと思わざるを得ません。
双葉の皆さんの復興はまだまだですが、できるところからどんどんやるしかありませんね。
相馬の人達には、先頭に立って頑張って欲しいですね。
大和田新
★「きょうされん」はかつての、「全国共同作業所連絡協議会」。障害を持つ人達の社会参加を助ける為の、共同作業所の集まり。
9月21日(土曜)と22日(日曜)の両日、郡山市磐梯熱海町で、「きょうされん全国大会」が開催される。
その実行委員長を私が務める事になっている。
大和田ルポは、きょうされんのホームページに掲載されている私の全国の会員へのメッセージ。
2013年4月8日 |
いわき市, その他, 相馬市
宮城びっきの会の復興支援song「虹を架けよう~福島にも」のプロモーションビデオが完成しました。
参加アーティストの豪華さに、驚いています。
さだまさしさんの声をさがしてください。
浪江町出身の理恵子さんも特別参加しています。
相馬市の、みなと保育園の子供達の笑顔が、印象的です。
海から50メートルしか離れていない、みなと保育園では、園長を始め、職員の素早い判断で屋上に避難して、全員が無事でした。
今も、定期的 に避難訓練を行っています。
ビデオを制作した古波津
陽監督からのメールです。
ぜひ、YouTubeでご覧下さい。
大和田さま
大変遅くなってしまいましたが、さきほど「虹を架けよう~福島バージョン~」が、YouTubeに公開されました。大和田さんのお陰で撮れた映像が満載です!
どうぞご覧下さいませ!
http://www.youtube.com/watch?v=phJt9_ymv5Y&feature=youtu.be
撮影に際しましては本当にお世話になりました。
スタッフ一同感謝申し上げます。
古波津陽
2013年3月19日 |
その他, 浪江町, 相馬市
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