浪江町

第285話 北村頭取

 

3月25日(月曜日)夜7時からお送りする「月曜Monday ( もんだい)夜はこれから」。

前半は、東邦銀行の北村清士頭取とのインタビューをお聴きいただきます。

東邦銀行は震災の年の4月、震災・原発事故からの復興、そして地域への支援体制を明確にする観点から、新たなコーポレートメッセージとして「すべてを地域のために」を制定しました。

これは、福島県は必ず復活するとの願いを込めて制定したもので、地域金融機関として地域に対して果たしていくべき役割や東邦銀行の姿勢を鮮明に表したものです。

2011年3月11日、東邦銀行は、本店、事務センター、支店のそれぞれにおいて、建物の倒壊や津波による浸水被害、停電、断水、オンラインの不通など、甚大な被害を受けました。

全113店舗のうち、最大で29店が臨時休業し、6店は震災から2年たった今も、臨時休業中です。

「全ては地域、お客様のために~地域経済を支える『信頼』」をテーマに、震災直後から今日に至るまでの東邦銀行の取り組みを北村清士頭取に伺います。

写真は、東邦銀行北村清士頭取と大和田新アナウンサー。そして、警戒区 域の浪江町にある、東邦銀行浪江支店の現在の様子。
 
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第282話 毎日新聞東北版

 

 
明日20日(水曜日)の毎日新聞東北版「とうほく彩発見」に、警戒区域の浪江町と殉職警察官について書きました。

毎日新聞東北版「とうほく彩発見」の記事

原発事故の不条理がテーマです。

お読み頂ければ幸いです。

第279話 「虹を架けよう~福島バージョン~」が公開されました!

 

 
宮城びっきの会の復興支援song「虹を架けよう~福島にも」のプロモーションビデオが完成しました。

参加アーティストの豪華さに、驚いています。

さだまさしさんの声をさがしてください。

浪江町出身の理恵子さんも特別参加しています。

相馬市の、みなと保育園の子供達の笑顔が、印象的です。

海から50メートルしか離れていない、みなと保育園では、園長を始め、職員の素早い判断で屋上に避難して、全員が無事でした。

今も、定期的 に避難訓練を行っています。

ビデオを制作した古波津
陽監督からのメールです。

ぜひ、YouTubeでご覧下さい。

大和田さま

大変遅くなってしまいましたが、さきほど「虹を架けよう~福島バージョン~」が、YouTubeに公開されました。大和田さんのお陰で撮れた映像が満載です!

どうぞご覧下さいませ!

http://www.youtube.com/watch?v=phJt9_ymv5Y&feature=youtu.be

撮影に際しましては本当にお世話になりました。
スタッフ一同感謝申し上げます。

古波津陽

第271話 沼能奈津子さんからのメール

 

 
18日(月曜日)の「月曜Monday 夜はこれから」のゲスト、沼能奈津子さんからのメールです。

3月10日にもらったものです。

浪江町の自宅に一時帰宅した時の模様を、文章にしてくれました。

私の永久保存版です。

夜分にすみません。ずっと考えていたらこんな時間になってしまいました。

大和田さん、おかえりなさい。美女はたくさんいましたか?フランスでの生活が充実していたことが伝わってきます。私もフランスいってみたいです!


昨日、1年11ヶ月振りに浪江の自宅に一時帰宅しました。

報告します。

変わらない綺麗な空、我が家。そんな風景に安心感を覚えながら自宅の周りを歩く。ピピーと放射線測定器が鋭い音を出す。自宅の線量は約3マイクロシーベルト。現実を知る。どんなに見た目が変わっていなくても確実に変わったことがある。

放射線は目に見えず、以前と変わらない自宅を見ると帰れるかもしれないという錯覚を覚えて しまう。

しかし、それは違う。まだ帰ることはできない。中はねずみに荒らされていた。しかし、以前、両親が整理をしてきたのでそこまで汚れてはいなかった。

友達にプレゼントして貰ったもの、集めていたもの、小中学校で使っていた教材などを見つける。ただただ懐かしい。一つ一つに思い出がある。小中学校の卒業アルバムは置いてきた。私が成長した証。それらを浪江の自宅から持ち出してしまうと、二度と帰れない気がする。生きた証を浪江の自宅に残したかった。

私が卒業した苅野小学校や浪江中学校にも行った。小学校周辺は約4マイクロシーベルト、中学校周辺は約5マイクロシーベルト。再び現実を知る。母校が荒廃していた。そんな姿みたく無かった。子供がいない学校はただ 冷たい建物だった。

請戸にも足を運んだ。約0.1マイクロシーベルト。初めて見る地元浪江町の海岸。2011年1月1日に初日の出を拝んだ海岸。跡形もない。あるのは潮の香り。

言葉にならなかった。カメラを回すことに抵抗を感じた。正直、怖かった。しかし、伝えなければならない。この言葉を自分に言い聞かせ、撮影した。

警察官が捜索をしている。感謝の言葉しか浮かばない。

何度も目を塞ぎたくなった今回の一時帰宅。現実と向き合うことがどれだけ難しく、苦しいことか、改めて感じた。

しかし、これから福島を離れるからこそ知らなければいけない現実だと思う。今回は、映像だけでは感じることのできないものを感じることができた。

2年間、沢山の葛藤や悲しみを身近で 見てきた。その中で、他人の悲しみや苦しみを背負うことができないもどかしさを感じた。背負うことができないなら、人々の苦しみや悲しみを汲み取り、それらの思いを社会に訴えかける存在になりたい。

その方法を大学で見つけたいと思う。

正直、福島から離れることに負い目を感じることがある。

私だけ現実から離れていいのだろうか。私だけ羽を伸ばしていいのだろうか。自問自答の日々。しかし、福島県外からの視点を養うことも重要なことだと思ようになった。

東京でこれまで以上の温度差を感じ、嫌になることもあるだろう。それらの現実を含め福島県だけでなく、日本全国の現実と真っ正面から向き合っていきたい。

今回の一時帰宅は様々な意味で実りのあるものとなっ た。連れて行ってくれた両親に感謝している。


とりとめもない長文失礼しました。拙い文章です。まだまだ伝えたいことがあります。もっと伝えられる文章を書けるよう修行します。最後まで読んで頂きありがとうございました。

沼能奈津子

第263話 浪江レポート④

 

 
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海岸から300メートルにある浪江町立請戸小学校。

地震発生時、83人の児童が校舎にいた。校長と地域住民の判断で直ぐに避難を開始、奇跡的に児童・教職員全員が助かった。

教室の時計は午後3時38分で止まっている。そこには生死を決めた運命の52分間があった。

請戸小学校の2階には応援メッセージが書かれている。

「天は乗り越える事のできる試練しか与えない」

「請戸大好き」

そして「我らは海の子」。

浜の人達は、津波が襲ってきた海を、恨んではいない。

海と供に生きようとしている。

腕組みをしながらじっとメッセージを見ていたカンニング竹山さんが言った。

「ここには、日本中に伝え なければいけない復興への誓いと、故郷への強い愛がありますね」。

メッセージをバックにした、カンニング竹山さんとTBS の外山アナウンサーの写真。