南相馬市

第33話 日刊イトイ新聞

 

涙を越えて、生きて行こう!

永田泰大(やすひろ)さんの記事「書きかけてやめた、福島のことを、もう一度」を読んで、強く思いました。

糸井重里さんが発行しているインターネット情報誌「ほぼ日刊イトイ新聞」の、8月14日(火曜日)版をぜひ、ご覧ください。

今年3月5日(月曜日)
にコピーライターの糸井重里さんと南相馬市、相馬市を取材した時の様子を、同行したジャーナリスト・永田泰大(やすひろ)さんが魂を込めてまとめたもので、心の底に突き刺さってきます。

同行取材した、毎日新聞元科学環境部長・斗ケ沢秀俊(とがさわひでとし)さんのTwitterを通して、この記事が今全国に広まり、かなりのアクセスと反響があるようです。

永田泰大さんの文章を通して、この震災の被害の大きさ、命の大切さ、原発事故の不条理さが、悲しい事実とともに、あらためてよみがえってきます。

永田さん、取材した3月5日(月曜日)は雪が降っていて、寒かったですね。

私が強行スケジュールを組んだ為、お昼を食べる時間もありませんでしたね。

また、今回この文章を発表するにあたり、永田さんには心の葛藤がかなりあったと伺いました。

このような感動的なレポートにまとめてくださった、永田泰大さん、糸井重里さん、斗ケ沢秀俊さんに心から感謝致します。

地域メディアのアナウンサーとして、福島の現状を、外に向かって発信する事の限界を感じている私にとって、永田さんの言葉は、力強い応援メッセージに感じました。

人に寄り添うには、マイクもカメラも必要ないようです。

糸井重里さんのように、心で話を聞く事だと、あの時教えて頂きました。

本当に、ありがとうございました。

第32話 菓子工房渡部垂れ幕

 

南相馬市小高区の「菓子工房渡部」は先月、復活を誓った垂れ幕を店舗に掲げました。

「菓子工房渡部は、小高区民とともに必ず復活」

今年4月16日に警戒区域が解除された南相馬市小高区。

電気は少しずつ復旧しているものの、上下水道は早くて平然25年度の復旧を目指すとしており、現在住民が住める状態ではありません。

いつになったら故郷に戻れるのか。

震災から1年6ヶ月が過ぎ、帰郷の思いが萎えかけている住民にとって、地元に愛されてきた「菓子工房渡部」の垂れ幕と看板の故郷を愛するメッセージは、諦めかけていた帰郷へ思いを甦らせてくれるものとなっています。♪ヽ(´▽`)/

第21話 鎌田實先生とさだまさしさん

 

8月1日、猛暑の南相馬市鹿島区、絆診療所。(絆診療所については、福島県の広報誌・ゆめだより8月号に特集記事あり)

 

鎌田先生とさだまさしさん

 
その絆診療所で、午後2時から、チェルノブイリ連帯基金理事長で諏訪中央病院名誉院長の鎌田實先生とさだまさしさんのトーク&ライブが行なわれ、近くの仮設住宅から200人を超える住民が詰めかけました。

鎌田實先生は集まった皆さんに、「頑張らなくていいんですよ。元気でいるために、小さなことに感動し、感謝する生活をおくりましょう」と呼びかけました。

さだまさしさんは、二曲を熱唱し、「支援コンサートをいつまでも行う南相馬市から、堂々と有料コンサートが開くことができる南相馬市になることを願っています!それまでは、これからも、ちょくちょく来ます・」と話していました。

鎌田實先生は、震災直後から南相馬市の医療支援を続けていて、「絆診療所」の応援団長を自負しています。

トーク&ライブ終了後、さだまさしさんとお話をする機会を得ました。

さださんには、昨年6月10日(土曜日)に原町第2中学校体育館で行われた支援コンサートでお会いしました。

その支援コンサート終了後、50代の主婦にマイクを向けました。

「明日で震災から3ヶ月ですが、今のお気持ちは?」

主婦は答えました。「私は家を津波で流され、家族も二人失いました。おじいちゃんはまだ見つかっていません。そんな私達に節目なんかありません。

区切りとか節目は、あなたたちマスコミが勝手に
に使っているだけです。あなたは恥ずかしくないのですか」と。

今日、この話をさだまさしさんに伝えました。

さださんは「その主婦の方の話は、放送でしたのですか」と聞きました。

私が「はい」と答えるとさださんは、「震災後、マスコミは事実を伝えることに必死でしたが、物事の真実を正しく伝える事には消極的でした。

津波の被害も原発事故の苦しみも、表面的な情報ばかりで、ここ福島に来ないと真実は分かりません。

私も大和田さんも、現場に足を運ぶから見えるものがあるはずです。

それが事実を超えた真実 ではないでしょうか。

真実を知るには相手を傷つけたり、自分が傷つくことも、 覚悟しなくてはならないのではないでしょうか。その積み重ねが、相手との信頼関係を作っていくと信じています」と。

絆診療所を後にする鎌田實先生とさだまさしさんから、絆診療所の遠藤清次院長に、全国から届いた支援金が手渡されました。

第10話 伊藤病院の医師から

 

東大医科研究所の上昌広先生からのメールを転送します。

・・・
以下のような連絡をいただきました。

伊藤病院は、我が国最大の甲状腺専門病院です。

震災後、福島医大が圧力をかけて、南相馬市立総合病院の技師のトレーニングと邪魔したとき、受け入れてくれた唯一の病院です。

伊藤院長は人物ですよ。

・・・
3.11の際に都内にいた方も心配しお子さんをつれてきますが、触診で甲状腺を触れなくてもごく小さい嚢胞を有していることはしばしばです。

院内の2003年から2009年の小児の集計では、無症状で来院した3割くらいに嚢胞などの結節性病変をみとめているのが現状です。

渡邊奈津子

第4話 幸福感

県立医科大学被ばく医療班の長谷川有史先生に話を聞いた。

長谷川先生は、放射線にだけゼロリスクを求める無意味さを坦々と説く。

生きること全てにリスクが存在するのに、原発事故を受けた我々は放射線のリスクだけは許容出来ないと、もがき苦しむ。

その結果、「人間らしく生きること、幸福感をなくしてしまった」と指摘する。

また、「科学はリスクがゼロではないということしか、教えてくれない」と話す。

安全は数字の裏付けが必要だが、安心は自らが闘って得るものだと力説する。

ドクターヘリに乗り、外科医として多くの命と向き合ってきた長谷川先生だからこそ、今医療の原点は心のケアだと断言する。

この福島で、幸せに生きること事の意味を、長谷川先生は私達に問いかける。

その長谷川先生が尊敬するのが、南相馬市鹿島区の仮設住宅の一角に誕生した「絆診療所」の遠藤清次院長。

長谷川先生と遠藤先生は、かつて郡山の同じ病院で外科医として勤務していた。

また遠藤先生は、元小高病院の院長として、地域医療の現場で頑張ってきた。

医師が三人となり、存続の危機にあった小高病院 を支えてくれた住民の為に、自費で「絆診療所」をオープンさせた。

コンセプトは、「仮設住宅から孤独死を出さない」

福島県から多くの医療従事者が離れていく中で、
長谷川先生や遠藤先生のように腹を据えて地域医療を守ろうと活動するDoctor にもっと県などは支援をしてほしい。