南相馬市

第220話 今野先生おめでとう!

 

★2月11日(月曜日)の「月曜Monday ( もんだい)夜はこれから」にゲスト出演した、伊達市の梁川病院院長の今野明先生が、「ノバルティス地域医療賞」を受賞されました。
 
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この賞は、地域住民の保健衛生向上に貢献した全国の医師をたたえるもので、6人が表彰されました。

表彰式は14日、東京のホテルオークラで行われました。

今野明先生は、南相馬市小高区で今野外科医院を開業していましたが、震災後、新潟県三条市に避難し、そこで小高区の住民に寄り添う医療支援を行ってきました。

今野先生は、平成23年10月から梁川病院院長を務めています。

また、相馬郡医師会監事、県医師会広報委員として震災後の医療現場の情報発信に力を入れています。

★今野明先生、おめでとうございます!

これ からも引き続き、被災地・被災者に寄り添う医療支援をお願い致します。

第186話 吹奏楽の力で相馬・南相馬に元気を

中学校の音楽の先生からのメールを転送します。

 

大和田様
いつも情報をありがとうございますm(_ _)m
今日は私からも情報を発信させてください。

上記のポスターにもあります様に、来る1月27日(日曜日)・南相馬市鹿島区のさくらホールで演奏会があります。

この演奏会は相馬地区の高校(県立相馬・県立相馬東)の合同演奏会ですが、今年は南相馬の中学校にも参加してもらい【相馬・南相馬に元気を】と題して開催します。

私も出演します。私はフルートの演奏と独唱で【千の風になって】を演奏します。

相双地区の吹奏楽は県内でも有数の盛んな地区でした。しかしながら震災の影響で生徒の数が激減したりと各校様々な状況下のなか活動しています。こんな中でも各校の顧問の先生を筆頭に頑張っています。

川内中 藤原真哉

★大会の成功をお祈り致します。

第184話 高橋亨平先生

 

高橋亨平先生がお亡くなりになりました。昨年夏に先生にお会いした時の取材メールを、改めて転送します。

合掌。
 
高橋亨平先生
 

★大腸がんを患いながら、南相馬市で放射線と向き合い、診療を続ける原町中央産婦人科の高橋亨平(きょうへい)先生にお話を伺いました。

高橋先生は9月上旬まで毎日、南相馬市から1時間20分かけて、県立医科大学放射線治療科へ通っていました。

「何の為に、こんな苦しみに耐える必要があるのか」と、ふと思う時がりました。

そんな時、高橋先生は思いました。

「この地域に生まれてくる子供達は、賢く生きるならば絶対に安全であり、危険だと大騒ぎしている馬鹿者どもから守ってやらなければならない」

原発事故後、分娩できる施設が無かった南相馬市も、南相馬市立総合病院
の産婦人科などがこの4月から分娩を開始しました。

高橋先生は、自分の役割は終わったと思いました。

しかし、自分を頼って来てくれる患者さんを断ることはできません。

先生は自らの命を削りながら、毎日診療を続けています。

『使命感のもとに』

★高橋先生は全国のdoctorにブログで呼びかけています。

「こんな診療所ですが、勤務していただける勇気あるdoctorを募集します。婦人科、内科、消化器科、循環器科、総合診療科、何科でも結構です」

「ガンと闘って、頑張ってきましたが、甘くは無いなと感じています。何時まで生きられるかわかりません」

「覚悟は決めていても、苦しみが増すたびに、もし、後継者がいてくれればと願ってやみません。私の最後のお願いです。どうか宜しくお願いします」と。

震災から一歩も逃げずに、南相馬市の医療を支え、住民の心のよりどころとなってきた高橋亨平先生の『命の叫び』が、どうか届きますようにと、願わずにはいられません。

高橋亨平先生の行動や言葉には、魂が宿っています。

政治家の「政治生命をかける」という言葉がなんと陳腐なことか!

★高橋亨平先生のご冥福を心よりお祈り致します。

第183話 高橋亨平先生

 
★大腸がんと闘っていた南相馬市の中央産婦人科医院の高橋亨平先生が今日午後6時時33分、南相馬市立総合病院で亡くなりました。
 

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東大医科研の坪倉先生がみとりました。

眠るように、天に召されたそうです。

本当に残念です。昨年の夏に高橋亨平先生にお会いし、お話を伺ったのが、最後となりました。

その時に送ったメールを改めて転送します。

合掌。
 
 

★大腸がんを患いながら、南相馬市で放射線と向き合い、診療を続ける原町中央産婦人科の高橋亨平(きょうへい)先生に、明日朝8時20分から、電話でお話を伺います。

時間は5分間。 体調が良ければという条件付きで。

高橋先生は毎日、南相馬市から1時間20分かけて、県立医科大学放射線治療科へ通っています。

「何の為に、こんな苦しみに耐える必要があるのか」と、ふと思う時がります。

そんな時、高橋先生は思います。

「この地域に生まれてくる子供達は、賢く生きるならば絶対に安全であり、危険だと大騒ぎしている馬鹿者どもから守ってやらなければならない」と。

原発事故後、分娩できる施設が無かった南相馬市も、南相馬市立総合病院の産婦人科などがこの4月から分娩を開始しました。

高橋先生は、自分の役割は終わったと思いました。

しかし、自分を頼って来てくれる患者さんを断ることはできません。

先生は自らの命を削りながら、毎日診療を続けています。
 
 

『使命感のもとに』

★高橋先生は全国のdoctorにブログで呼びかけています。

「こんな診療所ですが、勤務していただける勇気あるdoctorを募集します。婦人科、内科、消化器科、循環器科、総合診療科、何科でも結構です」

「ガンと闘って、頑張ってきましたが、甘くは無いなと感じています。何時まで生きられるかわかりません」

「覚悟は決めていても、苦しみが増すたびに、もし、後継者がいてくれればと願ってやみません。私の最後のお願いです。どうか宜しくお願いします」と。

震災から一歩も逃げずに、南相馬市の医療を支え、住民の心のよりどころとなってきた高橋亨平先生の『命の叫び』が、どうか届きますようにと、願わずにはいられません。

高橋亨平先生の行動や言葉には、魂が宿っています。

政治家の「政治生命をかける」という言葉がなんと陳腐なことか!

★また、明日午後3時に、高橋亨平先生にお会いします。

先生は、「何とか10分間なら、話せると思うよ」と、おっしゃってくれました。

嬉しい限りです。

高橋先生の魂の叫びを聞いてきます。
 

第176話 南相馬市、希望の灯り

 
阪神淡路大震災から今日で18年。
 

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南相馬市役所前の文化センター(夢はっと)正面に立つ「希望の灯り」は、神戸から贈られた鎮魂と復興の証。

そこには、こう記されている。
 


希望の灯り
 

2011年3月11日、
午後2時46分
東日本大震災。

震災が奪ったもの
命、仕事、団欒、
街並み、思いで

たった1秒先が
予知できない人間の限界。

震災が残してくれたもの
やさしさ、思いやり、絆、仲間。

この灯りは
奪われた
すべてのいのちと
生き残った
わたしたちの思いを
むすびつなぐ。
 

堀内正美(神戸市)