第450話  第1回 東北お遍路杯 福島・相馬市民マラソン

 

 
友人の全盲のマラソンランナー、福島市の星純平さんからのメールを転送します。星純平さんは、フルマラソンを三時間を切る、「サブスリー」を目指して努力しています。

サブスリーは、市民ランナーの5%しか達成できない、名誉ある記録です。純平さんの鍼灸院の治療室には師匠であるオリンピックランナー・佐藤敦之選手の言葉が飾られています。そこには、「挑戦し続ける者に失敗はない」と書かれています。

★☆★☆
視覚障がい者ランナーの星純平です。

日頃は、ラジオ福島をお聞きの多くの皆様から応援をいただきまして、誠にありがとうございます。

視覚障害者となり、閉鎖的な日々を送る中、多くの方々のご支援を頂く事で、マラソンと言う世界を体 感しています。

ただの一市民視覚障害者ランナーと思って走ってきましたが、ラジオ福島の大和田さんとの出会いで、ラジオ番組にて熱意を持って取り上げて頂きました。

その影響によって、多くの方々から応援をしてもらう事になりまして、心から感謝しています。

お陰様で、マラソンを始めてからは、光を失い、気持ちを閉ざす日常から少し解放されたような喜びを実感する今日この頃です。

自分自身の運命と戦う一つの形として今、マラソンと向き合ってゆきたいと思っています。

今後とも、温かいご声を宜しくお願い致します。

6月16日(日)に、第1回 東北お遍路杯 福島・相馬市民マラソン(10km)に参加してきました。

日々お世話になっている斎藤真裕ト レーナーの心意気、「復興応援として仮設住宅を周回するコースのマラソン大会ならば、福島の市民ランナーが
走らないで誰が走るって言うんだ。」と、真裕トレーナーが伴走者となって参加する事を決めました。

大会当日の相馬市に向かう道中、「浪江焼きそば」の屋台トラックを抜き去り「レース後は浪江焼きそばで決まりだなぁ純平」と、真裕トレーナー。

後はこの降り続いている霧雨が止む事を祈るばかりです。見るからにランナーを乗せた車にあわず「おいおい何人参加するんだよ。」と突っ込みを入れながら建物もまばらな田舎道の中を大会会場へと進みました。

会場についてみると、自衛隊音楽隊が力強い演奏で雰囲気を盛り上げてくれていました。

参加人数は600人を超 えており、この大会の趣旨に賛同したランナーの多さに驚きました。その熱気によって雨雲を押しやりスタートを迎える事ができました。

スタートしてから間もなく最初の仮設住宅の前を通過。そこに住まわざる得ない状況の人々が沿道にあつまってくれていて「頑張れよ!!」と笑顔で応援をくれます。

「ありがとうございます」と僕は返事を返しながら「復興応援として走っているはずなのに応対が逆転してないか?」などとほくそ笑みながら走り続けました。

更に走ると大きな仮設住宅があり、その仮設住宅を突っ切るようにコースは伸びています。その200mほど続く沿道には仮設住宅大応援団の皆さんが待っていてくれました。

聞こえてくる温かい応援の声に励まされながら、それら の声が高齢者と思われる声が多い事に気がついた時、「家の中から出てこない孤独と向き合っている人もいるのだろうか?」と考えずにはいられませんでした。

「復興としてのマラソンの意味」を問う人がいますが、その意味を語る事ができるのは関係者とランナーだけだと思います。

ゴールを迎えて真裕トレーナーに感謝を伝えました。「純平、俺も楽しかった。ありがとう。」とトレーナー。

トレーナーに面倒を見てもらってから3年を間もなく迎えます。今回、共に走った10kmですが僕には3年と言う距離を走らせて頂いてきた事を考え深く感謝した大会となりました。

そして、仮設住宅とそこに住まわざる得ない人々を目の当たりにして、震災はまだ終わってはいない事を感じました 。

僕を真裕トレーナーとトレーナーの妻 三幸さんが支えてくれているように、震災被害者への心温かいご支援が続く事を祈ります。

本大会も、伴走をして下さいました斎藤真裕トレーナーをはじめ、多くの方々のご支援により、走らせていただきました事、心より感謝申し上げます。

現在、日々のトレーニング伴走者を求めております。ご協力いただけます方がおられましたらお力添え頂けますようにお願い申し上げます。

引き続きのご支援ご声援を、よろしくお願いいたします。

星 純平

☆★☆★
全盲の星純平さんが心の目で見た心証風景が、音と共に浮かんできて、涙が溢れました。