第193話 写真展への誘い

 

★2月3日(日曜日)から9日(土曜日)までの1週間、いわき市在住のフォトジャーナリスト・高橋智裕(ともひろ)さん39歳の写真展が、福島市の「こむこむ」1階ホールで開かれる。
 
写真展への誘い
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写真展への誘い
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高橋智裕さんは震災当時、小名浜港で取材中だった。まさか津波が襲ってくるとは思っていなかった高橋さんを、津波はあっという間にのみ込んだ。地震から30分が過ぎていた。

九死に一生を得た高橋さんは、地元いわきだけでなく、宮城、岩手を始め、相双の沿岸部もくまなく回り、被災者の心に寄り添そいながら写真を撮り続けてきた。

時には、心無いボランティアや、ルールを知らない被災地見学者と口論しながら。

高橋さんがファインダーを通して伝えてきたものは、悲惨な被災地の中に咲く子供達の笑顔だった。

高橋さんは言う「気の遠くなるような歳月の先にある、被災地の復興を担うのは子供達です。その子供達の為に、私達大人が今、何をすべきかをこの笑顔を見て、一緒に考えて行きましょう」と。

高橋智裕さんはこれまでの活動の記録を、2冊の写真集にまとめた。現在、写真展や講演会の依頼も多く、全国を飛び回っている。

このメー ルが皆さんの所に届く頃は、名古屋市での講演会を終え、磐越道をひたすらいわき市に向かって走行中だ。

名古屋市での講演会は、立ち見が出るほどの盛況だった。皆、真剣に話を聞いてくれた。いわき市から避難している人もいた。最後はお互いに「頑張りましょう」と言って握手して別れた。阪神淡路大震災で家族を3人亡くした男性は、「一番怖いのは、震災が忘れられて行く事です」と涙を流した。

★今回の「こむこむ」で行う、高橋さんの写真パネルの横には、特別なコーナーが設けられる。

津波で亡くなった、いわき市立豊間小学校4年・鈴木姫花(ひめか)さんの原画展だ。

姫花さんは、絵を描くのが大好きだった。将来はデザイナーになることを夢見ていた。

2009年 11月1日(灯台の日)には、灯台を描いた絵が入賞し、自宅近くの塩屋埼灯台で表彰を受けている。

色彩感覚豊かな姫花さんは、空を黄色く描いた。真っ赤な太陽に向かって飛ぶ一羽のカモメは、生きる希望にみちあふれている。灯台の展望台には、笑顔の友達が並んでこちらを見ている。

姫花さんの生きてきた証を残すため父・貴(たかし)さんがこの絵をハンカチにした。

一枚800円で販売、売り上げは全ていわき市に贈られ、災害遺児の為に使われる。

当日は、高橋さんの写真集や、姫花さんのハンカチの販売は行わない。興味のある方は、高橋さんのホームページを見て欲しい。

姫花さんの原画が自宅を出るのは初めて。ご両親には心から感謝する。

高橋さんの写真と 合わせて、姫花さんの命の輝きに満ちた絵をじっくりと見て欲しい。

★2月9日(土曜日)午後2時から、高橋智裕さんと大和田新の講演会を会場で行う。テーマは「震災から1年11ヶ月。今、伝えたいこと」。

この震災を風化させない為に、今伝えたい思いが私達にはある。ぜひ、聞いて欲しい。

福島市の「こむこむ」は、JR 福島駅東口から歩いて5分。開館時間は午前9時30分から午後7時まで。火曜日が休館。入場無料。駐車場は無し。

写真①高橋智裕さんとラジオ福島の八木志芳アナウンサー。

写真②津波で亡くなった、鈴木姫花さんのハンカチになった灯台の絵。(原画)