第4報 令和6年能登半島地震
動けぬまま一週間が過ぎました。
昨年度、「福島支部防災ワークショップ」でお世話になった西日本豪雨で被災した真備町の多田さんから、穴水町以北には入れなかったけれど、ゆめ風基金さんの支援を受け、金沢の障がい者関係者のみなさんが、金沢に物資集約配送の拠点を検討していると連絡をいただきました。
福島県医療生協・民医連の仲間からは、被災地石川から、県外からの物資支援等で入るのは待ってくれと言われていると電話がきました。しかし、被災した輪島の診療所の医師といっしょに金沢や福井、富山、新潟の民医連の応援医療関係者のみなさんが、在宅の患者さん宅や避難所を回られたり、診療所に来られるみなさんを必死に治療、励ましている様子も聞きしました。被災地では、命を守る取り組みが懸命におこなわれています。
その話を聞きながら、石川の障がいのある仲間と支える事業所のみなさんが、大変な状況の中、必死に動かれていることを想像しています。私たちの郡山では東日本大震災直後、ひとり暮らしの障がいのある仲間の元に、居宅支援事業所の職員が助けにいき、避難所へ駆け込み、その後ヘルパーさんたちが交代で避難所に避難した障がいのある仲間たちの避難生活を支え続けたこと。その後起こった福島第一原発の水素爆発。いわきのグループホームや事業所の障がいのある仲間たちは、職員のみなさんといっしょに郡山や東京で避難生活を過ごしたこと。南相馬のグループホームの仲間たちは、職員さんたちといっしょに避難所を何か所も転々としながら山形県上山市に避難したこと。あの時の出来事を思い出しながら、大変な思いを石川のみなさんもしているのでは、と想像しています。
原発は動かすべきではないと強く訴え続けるみなさんからは、こんな情報が寄せられました。
今回の地震で、珠洲市、輪島市、志賀町にわたり約80キロも海岸が隆起したそうです。隆起部分のわずか7キロ先に志賀原発があります。もし、志賀原発の敷地内まで隆起が起こっていたらと思うと、血の気が引くと。日本中の原発が避難計画を立て再稼働の方向に進んでいますが、今回の能登半島地震での道路の隆起、陥没、崩落を知ると、どこにも逃げることのできない人たちがいる。孤立する人たちがいる。すぐに逃げることのできない人がいる。この事実を突き付けられました。原発の状況を注視しながらも、今は、目の前のSOSに必死に取り組みますが、福島の私たちだから、はっきりと伝えなければならないことがあると、再び強く突き付けられています。