2011.3.11から12年 あの日の出来事から、何を教訓としたのか
国は、「原則40年最長60年」から60年を超えた原発運転期間の延長に舵を切りました。
今後、原発の再稼働や次世代型への建て替えが進むと思われます。
CO2削減。電力料金の高騰。再生可能エネルギーではまかなえないを理由に。
国から独立しているはずの原子力規制委員会の納得しがたい議論と決定の仕方で。
福島原発刑事裁判、原告無罪の東京高等裁判所判決の流れにのっかって。
絶対安全だと信じながら、原発で働き、原発とかかわりをもちながら生きてきたたくさんの人たちがいたこの場所で、東日本大震災、福島第一原発事故は、この国が経験したことのない想像を絶する傷跡を残ました。12年たった今でも、原子力緊急事態宣言は、出され続け、「帰還困難地域」という区割りで、自分の故郷に戻れない、自分の家で暮らせない場所が5町1村あるのです。それに苦しむ人たちがいるのです。
「帰還困難区域」は「特定復興再生拠点」から除染され、「もう戻るようにしたよ。」と言われても、12年もの月日の流れと暮らしの中、戻らない人たちがたくさんいます。戻っているのは、わずかな高齢者や廃炉作業従事者や県外からの移住者たちです。ここはもう安全だからサイクリングツーリズムのルートにするといわれても、心の底から、みんなで喜び合えないのです。
福島第一原発から50キロ以上離れた郡山でさえ、除染しない農地の土は、今も500ベクレル前後あることがあります。原発の水素爆発後、かたひらの畑は14760ベクレルあったのでやっとここまで下がってきました。100ベクレルを越えると出荷不可になる作物からは、今、放射性物質は検出されませんが、吸い込めば安心と言えない土を農家のみなさんは耕し続けているのです。福島県の美味しいお米は、福島第一原発から100キロ以上離れた会津でさえ、事故以前高値で取引されていた会津産コシヒカリが、全国平均取引価格を未だ下回っています。
やっと魚が取れるようになった浜通りの漁師のみなさんは、福島第一原発から発生し続ける処理水の海洋放出に反対しています。しかし、溜まりつづける汚染水を処理すれば安全だからと、国と東電は海に流そうとしています。県内多くの自治体が海洋放出に反対や、慎重姿勢をしめすなか、福島第一原発の立地する大熊町双葉町は、やむなしと言います。
この12年、ひとりひとりに様々な決断がありました。
それぞれが、迷い苦しみながら決めたことでした。
これからも、迷い続けること、決められないことと向き合って生きていきます。
でも、それでもひとつだけ、はっきり伝えたいことがあります。
原発が一度事故を起こすと
手の付けられない、想像できない様々な困難が起き、人の人生が一瞬にして変わってしまうのです。
原発は動かすべきではありません。
なぜ、原発を、人の手で停められないのですか。
この国は、あの日から、何を教訓としたのでしょう。
私たちは、あの日から、何を教訓とするのでしょう。
原発は動かすべきではありません。
2023.3.10 きょうされん福島支部役員一同
決意 きょうされん福島支部 副支部長 佐藤見地
ただ、安心できて、人と触れ合う当たり前の幸せな日常が、私たちにはとても大切なものなのです。だから、私たちはその大切なものを守る為に日々、共に支え合い・助け合い、迷惑をかけながらも生きているのです。これまでも、きっとこれからも、支えあった人たちを胸に刻みながら。
穴沢さんが亡くなって10回目の春がきます。設楽さんがなくなって5回目の春がきます。また春がきます。