震災から10年「レポート福島」をお届けします
2021/3/11から半年が過ぎてしまいました。
賛否両論あるなかで「復興五輪2020TOKYO」が幕を閉じました。
福島でも三月聖火リレーが、原発事故処理の拠点となったJビレッジをスタートし
日本中を熱狂させた「ソフトボール」「野球」が福島市で行われました。
福島の今は、どう日本中の人たちに、世界中の人たちに伝わったのでしょうか。
自分には、印象深かったことがひとつありました。
バトミントン混合ダブルスで銅メダルをとった「東野有紗・渡辺勇大」のペア。
彼らは震災当時、富岡一中の二年生一年生でした。
県外からバトミントン留学している彼らは、このまま富岡一中でバドミントンを続けるか悩んだことでしょう。
彼らは、猪苗代高校をサテライト校とした富岡高校に進み、避難生活を続けながらバトミントンを続けました。
彼らにとっての震災から10年はどんな10年だったのでしょうか。
メダルをとったあと、富岡一中の写真がTVに流れたのをご覧になったでしょうか。
草木が生い茂り、荒れ果てた風景の中にあった富岡一中の校舎を。
10年たった福島の姿のひとつを、みなさんの心にも焼き付けてください。
きょうされん会員のみなさまへ
新型コロナウィルス感染拡大のなか、日々の取り組み、ご苦労様です。
2021.3.11 あの東日本大震災、福島第一原発事故から10年が経ちました。
あの日、中学校を卒業した子供たちは、成人し、働き家庭を持つ世代になりました。
10年目のふくしまの今を綴った「レポート福島」を、きょうされん福島支部で発刊しました。
「南相馬10年の記念誌」も南相馬会員事業所と支援チームの協力で作成されましたが、
あの大震災や原発事故は、県内すべての人たちの人生に、大きな影響を残しました。
福島支部では、そんな福島県内支部会員さんにそれぞれの10年を書いていただきました。
子どもさんが甲状腺がんと闘う職員さんがいます。東電で働いていた職員さんや今も原発関連の職場で働いているご家族もいます。息子や娘や兄弟が福島から避難したまま、これからをどこで生きるかに苦しむ家族もいます。福島には、まだ書けない、言葉や文字にできない福島が、それぞれにあることを思い描きながら読んでいただければと思います。
みんな、あの時から前に進もうと生きてきました。
しかし、福島は、10年がたった今も、
未だ住むことができず、あのときのまま取り残された、帰れない街があります。
3,5000人とも60,000人とも言われる人たちが避難生活を続けています。
沢山の人たちが自分の街に帰れないまま
新たな街で暮らすことを決め、癒せない傷を持ちながら、避難者でなくなっていきます。
原発事故からの復興とは
大好きな街や、大切にしてきた生業、大事な人たち・・・・・
あきらめきれない沢山のものとの決別を決めていくことなのかもしれません。
しかし、いまだ決められず、捨てきれず、七転八倒しながらみんな生きています。
それでも、福島のみんなは、それぞれのあの時の教訓を胸に、
水害や再度の地震、新型コロナウイルス感染拡大禍、一日一日生きています。
働く「頼りにされ、あてにされ、思う存分力を発揮できる仕事があるありがたさを感じ」
暮らす「いつも、どんなときも、どんな所でも心休まる場所でありたいと思い考え続け」
支える「誰ひとり取り残さない、助けを求める人たちを見捨てない自分たちであること」
を願い続けています。
私たちはこの10年間、一人一人が悩み、選び、決めてきたことを大切にしてきました。
今、このコロナ過、世界中のすべての人たちが
「分断や差別や格差や切り捨て」で、苦しむことがないよう福島の教訓をご一読ください。
最後になりましたが、
みなさんの今までのご支援にあらためて感謝し、「レポート福島」をお贈りいたします。
2021.7. きょうされん福島支部一同