あの日から八年を迎えました
内閣総理大臣 安倍晋三さま
あの地震・津波・原発事故から八年を迎えました。
今年も、福島は春を迎え、桜が見事に咲き誇ることと思います。
帰りたくとも帰れない町も
浪江町、飯舘村、富岡町、葛尾村、南相馬市の一部
そして双葉町、大熊町の7市町村となりました。
来年のオリンピックまでに
大熊町も一部は帰れるようになると聞きます。
福島第一原発をはさんで分断されてしまったJR常磐線もつながると聞きます。
それぞれの市町村の避難者が住んでいた県内各地の仮設住宅の解体も始まりました。
県内には復興住宅が建ってきています。
うれしいことであるはずなのに、
待ちに待ったことであるはずなのに
心から喜べないのは、私たちだけなのでしょうか。
あの原発から50キロ離れた郡山市には、避難指示はでませんでした。
しかし、たくさんの若い家族が放射能から子どもを守るために自主避難しました。
八年たった今でも、1000人を越える人たちが全国各地に自主避難しているといいます。
郡山で働く父親を残し、避難する子どもたちと母親。家族がバラバラに暮らしています。
ここ郡山でも、避難しない子どもたちが少しでも被爆しないようにと
除染作業がおこなわれました。
八年たった今、除染し、それぞれの家庭に埋めて保管していた放射性廃棄物を
双葉町、大熊町の中間貯蔵施設に運び込む作業がはじまりました。
それが最初の写真です。
各家庭からでた放射性廃棄物は、市内の公園で詰め替え作業がされるのです。
春の陽ざしの中、フェンスに囲まれた外側の遊具で、子どもたちが遊んでいるのです。
そして解体が進む二枚目の写真
解体の進む仮設のなかには、
これから先をどう生きたらいいのか決められない人たちが、取り残されていきます。
あの事故がなかったら・・・・・・・・・・・・・・・。
あなたがおっしゃる「福島に寄り添って」とはどのようなことなのでしょうか。
原発の再稼働を地元の同意という責任で推し進め
原発を損得の理屈で海外に売り出そうとする。
県民投票で反対の意思が明確になった次の日も
土砂を沖縄の海に投入し続けたことが福島と重なります。
それが「寄り添い、耳を傾け、誠意をもって説明する」ことなのでしょうか。
あれから、日本の各地で地震が起き、異常気象が災害を引き起こしています。
前に進もうとしながらも
悩み、苦しみ、決められない人たちを、取り残される人たちを
決して見捨てないでください。
前に進めない人たちを、国をあげてのオリンピックで消し去らないでください。
私たちは、今も3.11の中で生きています。
2019.3.14
きょうされん福島支部 役員一同