新谷さん、牛嶌さん ありがとうございました。
6月12日から14日までの三日間、震災後から7年間にわたって南相馬に通い続けてくれた京都新谷さん、長崎牛嶌さんが、最後の支援活動で南相馬に入ってくださいました。
今年度は、福岡古賀さんを中心に、神奈川の岩山さん、兵庫の松本さんに、全国専務理事赤松さんが加わって、南相馬支援活動が続きます。
福島支部も、所長会議や要望活動にかかわりながら、南相馬に通うようになります。
今年も、お世話になります。そして、新谷さん、牛嶌さん本当にありがとうございました。
お二人といったんお別れする南相馬のみなさんの気持ちが痛いほど伝わってきます。
震災から8年目をむかえて
今回も昨年春、避難指示が解除された飯舘村を通って南相馬に入りました。途中飯舘村の三つの小学校が川俣町で開校していたプレハブの校舎が、解体されていました。
今年の春から、飯舘村に小学校も中学校も認定こども園も戻って、改修された施設設備の整った素晴らしい校舎でいっしょに授業を開始しました。
就学援助にも力が入れられ、給食費や活動費、PTA会費等が村からの全額補助で運営されています。学校敷地内の除染で、放射線量も国が定める年間被爆量0.23マイクロシーベルトを下回り、郡山や二本松のホットスポットと呼ばれる場所より低くなりました。
新谷さん、牛嶌さんが通い続けてくれた7年の月日とは、避難先の校舎で入学した幼い一年生が、このプレハブ校舎で卒業した彼らの六年間と重なる月日だったことを考えると、長い長い時間お世話になったことを思い知らされます。
飯舘の立派な校舎には、故郷を離れ福島市や川俣町で学んでいた約100人の幼児、児童、生徒が通っています。しかし、ほとんどが避難先の住まいから、スクールバスで平均45分かけて通っているといいます。飯舘村から通う子どもは、10人程度と聞きます。
福島が歩く決して平坦ではない道は、これからも続きます。
長い長い7年。本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
福島は、ころんでも、立ち止まっても、泣きたくなっても、歩くことを続けていきたいと思っています。