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きょうされん2015年度支部総会・全国総会が開催されました

category : fukushima, news 2015.6.3 

▼ 支部総会が開催され新年度の事業・予算・役員が決まりました。

きょうされん福島支部 支部長 就任に当たって

「ぶれない・こびない・あきらめない」IMG_0251

設楽 俊司

 去る5月10日のきょうされん福島支部総会にて、支部長という大役を仰せつかりました、設楽と申します。皆様方におかれましては、耳覚えのない名前かと存じます。それもそうです。昨年の春よりにんじん舎を利用させて頂いている者なのです。しかも、元々の障がいは身体障がい(バリバリのビジュアル系障がい・CP)です。実は、震災・原発事故後、鬱状態となり、就労支援B型ではなく、生活訓練の「にんじん舎トレーニングセンター」利用という異例の利用者です。

その異例の利用者が、きょうされんにとっては、これまた異例の福島支部の支部長に就任してしまった。“この異例尽くめの人事をせざるを得ない”というのが、3・11以降の福島の福祉環境を如実に現われていると、私は考えています。

ここで、私の経歴を前支部長・和田さんとの付き合いを中心に少し話させて頂きます。和田さんとの出会いは、1990年代後半だったと思います。20代私は、一般就労の野望を持って神奈川県でコンピューターなどの職業訓練を受け、やっとの想いで就職した会社で、経済性に伴う効率優先主義の論理の中で、障がいが障害となり、たった4ヶ月で辞職に至り、打ちひしがれた想いで帰京したのが、1995年でした。あいえるの会の白石さん(郡養での先輩で活動に共感していた)が、神奈川から帰京し、オフォスILを立ち上げたのが1994年で、96年に白石さんの門を叩く。98年、オフォスILで知り合った仲間と共同作業所「虹」の立ち上げに携わる。当時、郡山市小規模作業所連絡協議会(小作連)の関係で和田さんと出会う。障がい当事者が立ち上げた作業所として、目に止まったにかと思います。その後、2000年に、幼い時分からの旧友と福島市で、共同作業所「クリエイティブ・ファクトリー」を立ち上げます。その頃の私たちの想いは、「自分たちの居場所(活動出来る場)を作ろうぜ」というのと、和田さんの想い「養護学校卒業後の居場所づくり」という共通性で同じ方向性を共有出来たのではないかと、今、感じています。その後私は、福島市にある、自立生活センター・ILセンター福島の所長として招かれ、障がい当事者活動の先頭に立って活動を続けてきました。

震災・原発事故後、ILセンター福島の中で、私の右腕となって働いてくれていた健常者スタッフが、一般市民を対象にした原発事故による自主避難支援する組織を作り、ILセンター福島の活動と自主避難支援する活動を境目がない状態で活動しなければならないようになった。私としては、ILセンター福島の定款にある、[その他公共の福祉に関する活動]ということで、理事会でも了承を得て行なっているという認識で、むしろ積極的に活動させていました。しかし、ILセンター福島の障がいスタッフの中から、異論が発せられ、私はその障がいスタッフに過剰な叱責をしてしまい、パワハラということで、辞職に至りました。ILセンター福島は、人権擁護団体であること、原発事故という非常事態に避難の権利を支援すること、障がいの有無に関わらず、権利保障の活動を行ったこと、普段から人権擁護団体であることをスタッフに言い聞かせてきたにも関わらず、障がいスタッフから異論が出たこと。また、それを強い口調で叱責してしまったこと、人権擁護団体の長として、ILセンター福島の本質的理念を障がいのある仲間にさえ伝えられなかった無力感を感じた次第です。

辞職後は、JDF被災地障がい者支援センターふくしまで、障がい者の移住支援や保養といった活動をさせて頂いておりましたが、ひと段落したところで、前述した無力感が尾を引き、冒頭に述べた鬱状態に陥り、和田さんに助けられた次第です。

私自身については、このぐらいにしまして、原発事故を経験した福島の福祉の現状が、異例尽くめの人事をせざるを得ないという本題に戻りましょう。子どもを放射性物質の危険性から守るということで、労働者世代の県外流出、残るは高齢者・障がい者、除染や復興に向けた建設業の需要拡大、輪を掛けるような報酬単価の引き下げで、福祉従事者人材の不足。きょうされん福島支部は、世代交代の準備をしていた時分に3・11に遭遇、支部の活動を担ってくれるであろう人材は、事業所の中堅を担う存在、新たな人材確保やその教育、日々の業務で手一杯、これが福島の福祉環境であろうと思います。また、この状況は、2~30年後の日本の縮図であるといっても過言ではない。この難題を全国に発信し、打開を図らなければならない。この状況を詳細に伝え、全国の力を借り、打開しなければならない。そのためには、福島から全国理事を出すことを決意する必要がある。「その役割を和田さんが担う。」「設楽が今までやってきた活動を基に支部活動を支えてくれないか?」こんな会話から話が動き出した。私も、支援センターふくしまの自分に、福島からの全国組織への発言力は、これまでよりも重く受け止められ、施策に反映されたという経験をしています。

前述したように無力感を感じ、自信を失い、和田さんの過大評価と口車にのせられてしまった私ですが、私の経験がきょうされん福島支部に少しでも役立つのであれば、私自身の存在意義にも繋がるものと考えます。皆さんの足を引っ張らないよう、頑張りますのでよろしくお願いします。

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▼ 東京戸山サンライズに設楽、小野、早川3名の代議員、オブザーバー参加小川、和田が出席して

きょうされん全国総会 報告

きょうされん福島支部 支部長 設楽俊司

 支部長就任後、初仕事が5月27日のきょうされん全国総会への出席でありました。私は、いろいろな団体の総会に出席する機会があったが、印象的だった2点を完結にまとめ、報告と致します。
まず、1点目ですが、障がい施策の審議に留まることなく、国政全体からの視点で活動計画などが、審議されている。具体的には、戦後70年に当たるこの年に安保法制を審議している安倍内閣は、戦争が出来る国にしょうとしている節がある。そういった方向性に向かった場合、障がいのある我々は、どういった扱いになるか、といった視点から何をするべきかという審議である。高い視点から本質を捕らえ、何をなすべきかという姿勢を学びとることができました。
2点目は、総会運営の手法である。6時間という長丁場、総会といての要素は勿論ではあるが、合間に研修的な要素を組み入れる、分散会と称して、2~30名でほぼ全員が必ず一言は発しられる工夫がなされている。また、分散会では、まずは障がい当事者に発言してもらうといったスタイルをとっていました。とても民主的で、総会を形骸化させない工夫が印象的でした。

また、全国理事に和田庄司氏が推挙されました。「福島からの発信は重い」その重役を果たしてもらえるでしょう。

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