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東日本大震災から3年8ヶ月がたって 若手施設長・管理者研修会

category : fukushima, news 2014.11.26 

東日本大震災から3年8ヶ月がたって 若手施設長・管理者研修会

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11月20日の夜10時過ぎに、相馬の宿舎に、全国から若い施設長さん22名のみなさんが到着しました。東京での研修を終え、夜8時に郡山駅からバスで相馬にいらっしゃいました。
郡山、二本松、川俣、飯舘と、南相馬支援に入ってくださったみなさんと同じ道を通ってこられました。未だ全村避難が続く明かりのない道はどのように映ったでしょうか。

翌21日は、地元ぴーなっつの郡さん、石田くんの案内で警戒区域を横切る6号線を南下し、避難指示解除準備区域の楢葉町まで視察してきました。

国道からそれるすべての道にはバリケードや警備員が立ち、脇道にそれることも降りることもできない国道の両側の風景は、辛いものがありました。田畑は荒れ果て、崩れ落ちた家がいまだに手つかずで残り、道路には「獣衝突注意」の標識がたてられていました。車内の放射能線量計が第一原発に近づくにつれ、ピーピーと警戒音を鳴らし続けていました。

「見なければわからないこと」「伝えなければわからないこと」

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21日の午後からは、飯舘村の保健士高橋さんが、全村避難でちりぢりになってしまった高齢者の今を伝えてくれました。南相馬ぴーなっつの郡さんが、震災、津波、原発事故直後のことそして今のことを伝えてくれました。南相馬の6カ所の事業所の職員のみなさんが、あの時の自分のこと事業所のこと、今の自分のことを事業所のことを話してくれました。

福島は
未だ、123,277人もの避難者がいるのです。
未だ、46,416人もの人たちが、全国にちりぢりに放射能避難しているのです。
未だ、80,942人もの人たちが、原発事故に翻弄され
避難指示解除準備区域・居住制限区域・帰還困難区域という線引きの中
すべてに苦渋の決断を強いられているのです。
未だ、1,704人もの震災関連死といわれる人たちが、震災直接死を上回り
原発事故による避難や苦しみの中、増え続けているのです。

「まだ終わっていないこと」「どこででも起こりうること」「以前から言われてきたこと」

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22日午後4時、多くを感じ、多くを考え、全国の若手施設長のみなさんは、夕暮れの飯舘村の風景の中、それぞの職場にもどっていかれました。研修に参加されたみなさん、南相馬のみなさん、お疲れさまでした。すべての人に「夜ぐっすり眠れ、食事がおいしくいただけ、没頭できるなにかがあり、ひとりじゃないって思える」そんな時間がありますように。明日からまたひとつひとつ。

 

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