第235話 笑顔に感謝

 
3月1日に原町高校を卒業する、原町高校前生徒会副会長で放送部長を務めた、沼能奈津子さんからの嬉しいメールを紹介します。

おはようございます。

メール、とても嬉しかったです。私も大和田さんとの出逢いは宝物です。

震災後、マスコミに対して不信感を抱いていた私は、将来の目標を見失っていました。そんな時、大和田さんからラジオ番組出演のオファーを頂きました。

正直、他局からの取材にうんざりしていたし、カメラやマイクが凶器に見え、恐怖がありました。

しかし、大和田さんは「今、なっちゃんが思っていることを言えばいいから」と、取材というよりは、私に発信する場所を与えて下さいました。

ラジオ出演後、やはり震災と向き合い、多くの人に伝えなければならないと思いました。

大和田さんと出逢わなければ、震災と向き合い、 伝えたいと思わなかったかもしれません。

本当に感謝しています。ありがとうございました。

まだまだ前途多難だと思います。しかし、何事にも屈することなく、進んで行きます。

若者がキラキラしている姿を見せつけます!!これからも見守ってください。

フランスが故郷なんて驚きました 里帰り楽しんでくださいね!

原町高校・沼能奈津子

第234話 玄葉レポート④

 
南相馬市鹿島区・鹿島中学校近くの仮設住宅の一角にプレハブの「絆診療所」がある。
 
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遠藤清次院長をはじめ7人のスタッフが、仮設住宅で孤独死を出さないを合い言葉に、日夜地域医療に取り組んでいる。

「絆診療所」は昨年5月に遠藤先生が私財を投じてオープンさせた。

遠藤先生は、小高区にある「小高市民病院」の院長を勤めていた。

廃院が決まっていた市民病院を、存続にむけて署名活動や庭の手入れなどを行い、懸命に支援してくれた小高の皆さんへの感謝と恩返しの開業だった。

遠藤先生は言った。「政治家も医者も子供達から尊敬される存在になりましょう」と。

「南相馬市やいわき市では医師・看護師不足が続いている。遠藤先生 のような地域医療に取り組む医師を国は支援しなくてはいけない。遠藤先生は正に現代の赤ひげですね」と玄葉さんは言った。

★小高工業高校の高野桜さんは、絆診療所近くの仮設住宅で暮らしている。

第233話 玄葉レポート③

 
プレハブ校舎の福島県立小高工業高校。
 
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福島県内では唯一、高校生平和大使に選ばれた、前生徒会長の高野桜さんを訪ねた。

高野桜さんは昨年夏、核廃絶と平和を訴える為、スイスのジュネーブの国連欧州本部で英語でスピーチしてきた。

また、今月は長崎市で、そして来月はブラジルで福島県や故郷小高の現状を発信する。

そんな高野桜さんには、一つ心残りがあった。

それは、高校生平和大使としての活動報告の為、昨年10月外務省を訪ね、玄葉外務大臣に会うことなっていたが、尖閣問題の為に会えなかった事だ。

この日は、念願叶って玄葉さんに会い、あの時副大臣から贈られた感謝状が、あらためて玄葉前外務大臣から渡された。

高野桜さんの夢は、小高工業高校の先生になって戻ってくること。

それは、震災を受け、自らも被災しているにもかかわらず、自分達生徒に寄り添い、生徒と一緒に苦難を乗り越えてきた姿に感動したため。

震災以降私は、1000人を超える若者達にインタビューしてきた。

彼らは福島の復興・復旧に役立ちたいと思っている。

しかし、政治家になりたいと言った若者は一人しかいなかった。

玄 葉さんは言った「必ず、政治家になって福島県を、故郷を建て直そうという若者は出てきます。私は期待しています」と。

第232話 玄葉レポート②

 
南相馬市萱浜(かいはま)の神社に立つ慰霊碑。

 
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ここでは、隣のしどけ地区と合わせ137人が亡くなり、今も10人が行方不明となっている。

上野敬幸(たかゆき)さん39歳を訪ねた。

津波から奇跡的に残った自宅玄関前には、両親と最愛の娘息子の遺影と焼香台が置かれている。

線香を手向け手を合わせ 上野さんに招かれ部屋に入った。

コーヒーを沸かしながら上野さんは言った「原発事故のせいで、家族を探せなかった住民の気持ちが、あなたにわかりますか。原発事故が無かったら、助かった命もあったかもしれない 、家族を抱き締める事もできたかもしれない」

玄葉さんは、目を赤くしてじっと聞いていた。

そして、「言葉になりません。上野さんの思いを受け止めるだけです」と語った。

間もなく震災から2年。家族を失った遺族の苦しみは続く。

第231話 玄葉レポート①

 
昨日(2013年2月25日・月曜日)前外務大臣の玄葉光ー郎衆議院議員と一緒に南相馬市を回った。
 
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小高区では、津波の被害がそのまま残っている沿岸部をはじめ、JR 小高駅前のメインストリート、小高神社を回った。

小高駅前の「菓詩工房わたなべ」の前には、「絶対にこの小高の地で復興させる」という、決意の看板と垂れ幕が掲げらている。

玄葉さんは「警戒区域の解除から10ヶ月が過ぎてもこの状態ですか。除染を最優先に、電気、水道などインフラ整備が急がれますね」と呟いた。

そして小高神社では静かに復興を祈った。