第270話 講演会

 

 
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夕方4時から会津若松で講演をやります。

JA の農家の皆さんが対象です。

午後6時から安倍総理がTPP 交渉参加を正式に表明します。

TPP 参加に伴い、3兆円規模の農業生産の減収が予想されています。

私の講演会は、「TPP 参加反対大集会」に変わるかもしれません。

頑張ろう日本の農業!

会津若松行きの高速バスは、ご覧のように、私の専属貸し切りバスになっています。

第269話 椏久里の心

 

 
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3月18日(月曜日)の「月曜Monday ( もんだい)夜はこれから」

全村避難となっている飯舘村で、コーヒー屋さんを営んでいて、現在避難先の福島市で、カフェを再開した「夫婦の記録」が本になりました。

タイトルは「山の珈琲屋 飯舘『椏久里』の記録」。

本を出版した『椏久里(あぐり)』のマスター・市澤秀耕さんと編集に当たった、五十嵐芳子さんの2人に、出版の経緯や、今一番伝えたい事などを聞きました。

第268話 月曜Monday 夜はこれから

 

 
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3月18日(月曜日)の「月曜Monday ( もんだい)夜はこれから」は、ゲストにこの3月に県立原町高校を卒業した沼能奈津子さん。福島市山口は常円寺住職・つるりん和尚こと、阿部光裕さんを迎えてお送りします。

沼能奈津子さんは、原町高校生徒会副会長・放送部長として、震災後の原町高校を積極的に引っ張ってきました。

将来はメディアの仕事につきたいという夢を持つ沼能さんは、東京の大学に進学します。

写真は、今年1月に「月曜Monday (もんだい)夜はこれから」に出演した時の沼能奈津子さん。

向かって一番左が沼能さん。真ん中は、3月1日に福島工業高校を卒業した前生徒会長の南原怜奈さん、右端は小高工業高校前生徒会長だった高野桜さん。

私は3人を「アトミック3姉妹」と呼んでいる。

向かうところ敵なし、「アトミック3姉妹」は、震災後の元気な福島の象徴だった。

沼能さんには、原町高校時代の三年間を振り返ってもらいながら、故郷浪江町への思いを語ってもらいます。

もう一つの写真は、どう見ても右が阿部光裕和尚。左は岩手県北上市の復元納棺師・笹原留以子さん。

除染のオーソリティー、つるりん和尚には、除染の大切さや効果的な除染について徹底的に伺います。

第267話 上野さんのお宅

 

3月11日(月曜日)。

家族4人を亡くした、南相馬市萱浜(かいはま)の上野敬幸さん(40)の自宅を訪ねた。
 
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上野さんは、津波で破壊された家の前に、自宅を新築した。

それは上野さんの家族への愛と、男の意地を感じた。

上野さんは2階に、亡くなった長女(8)と長男(3)の部屋を作った。

大好きだった空と雲に囲まれている。

この部屋だけエアコンがつけっぱなしだった。

上野さんにその訳を聞くと「子供達が風邪をひかないため」という答えが返ってきた。

返す言葉がなかった。

上野さんの心の中に、子供達は生きている。

津波に流されずに残った、数少ない姉弟の想いでの品を、この部屋に丁寧に集める事が、今の上野さん が出きる最大の供養だ思った。

「私は子供達を救えなかった、ダメな父親です」

家族を失った遺族には、震災から2年目の節目などあるはずはなかった。

第266話 小高レポート③

 

南相馬市原町区萱浜(かいはま)。

津波による被害が最も大きかった地域。

137人が亡くなり、今も10人が行方不明となっている。
 
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上野敬幸さん(40)を訪ねた。

上野さんは両親と長女(8)と長男(3)の家族4人を津波で亡くしている。

父親と長男はまだ見つかっていない。

上野さんの自宅は海岸から1キロ。そこへ7メートルの津波が襲った。

しかし、奇跡的に家の外観だけが残った。

回りは何も残っていない。結果、自宅はかっこうのカメラポイントとなった。

玄関前には両親と姉弟の写真、焼香台が置かれている。

しかし、手も合わせず、線香も手向けずに、土足で家に入り込んで写真を撮る人達を上 野さんは許さなかった。

「ここは観光地じゃない、被災地だ!お前が立っているその場所に、遺体があったかもしれないんだぞ」。

原発から21キロの上野さんの自宅周辺は、事故発生直後から、遺体捜索が一時的に打ち切られた。

上野さんは言う、「原発事故がなかったら、助かった命があったかもしれない。原発事故さえなかったら、もっと人間らしい最後を迎えられたかもしれない」と。

言葉を失ったカンニング竹山さんがやっと口を開いた。

「上野さんの苦しみを理解したり共有することはできませんが、上野さんのように家族を失った人達に節目が無いことをこれからも伝えていきます」と。

上野さんは津波で破壊された家の前に、自宅を新築した。それは上野さんの家 族を思う強い気持ちと、男の意地のようなものを感じた。

この日は、金魚アートの深堀隆介さんが亡くなった家族の為に、大きな金魚を描いて上野さんに贈った。

生きているようだった。

西陽を浴びて、金魚は確かに游いでいた。