3月1日卒業式での、小高工業高校前生徒会長・高野桜さんの答辞です。
高野桜さんは震災後の小高工業高校を、小さな体で懸命に引っ張り、まとめてきました。
また、福島県では唯一の高校生平和大使に選ばれ、核廃絶に向けてのスピーチを、ジュネーブの国連欧州本部で、英語で行いました。
答辞
梅のつぼみもほころび、寒さの中にも春の息吹が感じられるようになりました。
この佳き日に卒業式を迎えられたことは私たちにとってこの上ない喜びです。お忙しい中ご出席くださったご来賓、保護者の皆様に、卒業生一同、心から御礼申し上げます。
真新しい制服を身にまとい、期待と不安を抱えて臨んだ入学式。あれからもう三年が経ちます。あの東日本大震災と原発事故によって毎年ちがう校舎で学ぶことになった私たちの高校生活は予想もしなかったことものになりました。思い起こせば、一言では言い表せない、いろいろなことがありました。多くのものを失いながら、小さな幸せを噛み締めてきました。困難や苦労もみんなで支え合って笑顔に変えてきました。そんな日々を過ごせたことが、私たちにとって最高の宝です。
春は満開の桜、冬には綺麗なイルミネーションが輝く素敵な町にあった見慣れた校舎で多くの仲間と過ごす生活が当たり前で、それがずっと続くと思っていました。その仲間たち全員で行った唯一の行事が工業祭です。あの工業祭と、吉名の丘で学んだ思い出は、今も私たちの心の中で行き続けています。
二年目の高校生活は、何が何だか分からないうちに始まりました。クラスメイトは、五つのサテライトにばらばらになり、転校していった仲間もたくさんいました。他校の校舎を借りたり体育館を仕切ったりしての授業は窮屈で、実習や部活動も十分にできず、それまでどれだけ恵まれていたのかがわかりました。
三年生になると、この南相馬市の仮設校舎にサテライトが集約されました。みんなと一緒の授業や実習は今までよりも何倍も楽しく、自分のクラスで過ごせる安心感がありました。進路実現に向けて遅くまで残って勉強や面接の練習をし、進路が決定した喜びをみんなで分かち合いました。部活動は、十分な練習場所や用具がなくても、みんなで練習ができることが嬉しくて、練習に打ち込むことができました。
震災後もさまざまな行事がありました。二年生のときの愛媛県への修学旅行。ハワイアンズでの全校集会、三年生になってからは体育祭や東京での演劇鑑賞。どれもが私たちの胸に一生残る素敵な思い出です。ですがそれに勝るのは、毎日の学校生活です。友達との登下校、睡魔と戦いながら受けた授業、休み時間の会話。こうしたさりげないひとときが幸せだったことを、今、実感しています。一緒に笑い、一緒に悩み、喜びも悲しみも分かち合った仲間達と小高工業高校生として過ごし、卒業を迎えることができたことを心から感謝しています。
目まぐるしく変化していく生活の中で、私たちは何度も心がくじけそうになりました。そんなとき、私たちを支えてくださったのは、先生方と保護者の皆様でした。
先生方は自分も被災者なのに、家族よりも私たちを優先してくださいました。長距離通勤で大変なのに、疲れた顔も見せずに私たちに全力で向き合ってくださいました。たくさんのことを教えていただき、元気と希望をいただきました。この三年間の愛情あふれるご指導、ありがとうございました。
そして、十八年間私たちを見守り、育ててくださった保護者の皆様。私たちは皆様のたくさんの愛情に包まれ、支えられて、ここまで成長することができました。私たちが何より感謝しているのは、震災による多くの問題を抱えたなかで、この小高工業高校に通わせていただけたことです。本当にありがとうございました。
これからの小高工業高校を担う在校生の皆さん。たとえ本校舎に通うことはできなくても、皆さんはこんなに素晴らしい学校に通っているのです。この学校の生徒であることに誇りを持ち、さらなる高みを目指して頑張ってください。大変な状況はまだまだ続くと思いますが、小高工業高校を支え、明るい未来に向けて新しい歴史を作り上げていってください。
私たちがこうして三年間、小高工業高校生として過ごし、卒業できるのも、多くの人達の応援やご支援があったからです。私たちは本当に多くの方々に支えられてここまで来ることができました。人は支え合うことでものすごく大きな力を発揮できることも分かりました。これからはその感謝の気持ちを忘れずに、恩返しができるような立派な人間に成長することを目標にして生きてゆきます。そして福島の復興を信じ、自分の夢に向かって歩んでいきます。困難に直面したときには、この三年間の経験を思い出し、自分が大きく変われるチャンスだと思って、前に進みます。
最後になりましたが、小高工業高校のますますの発展と、皆様のご多幸をお祈りして、答辞とさせていただきます。
平成25年3月1日
福島県立小高工業高等学校
卒業生代表 高野 桜
2013年3月17日 |
南相馬市

全盲のマラソンランナー、福島市の星純平さんが今日、東京都立川市で行われた昭和記念公園盲人マラソン大会20キロの部で優勝しました。
来月行われる霞ヶ浦盲人マラソン大会へ向けて、大きな弾みとなりました。
星純平さんの目標は、42・195キロのフルマラソンを、3時間以内で走る、サブスリーです。
この目標達成に向けて、星純平さんを応援しているのが、ソウルオリンピック男子マラソン代表の佐藤敦之選手です。
この報告を受けて、星さんの師匠である、佐藤選手がなんておっしったか気になります。
星純平さんからメールが来たら転送します。
優勝おめでとう!
星さんの激走は、私達に諦めない事の大切さ を教えてくれました。
写真は、昨年夏に裏磐梯で行われた、佐藤敦之さんの合宿に参加した星純平さんです。
2013年3月17日 |
その他, 福島市

全村避難の飯舘村。
二枚橋公民館前の子供達の声が聞こえない公園。
国が設置した線量計は、0・87マイクロシーベルトを示していた。
除染の進まない飯舘村。
住民の「帰りたい」という願いに、国はどう応えていくのか。
2013年3月17日 |
飯館村

富山から、春の香りいっぱいの が届きました。
贈ってくれたのは、かつてラジオ福島にアナウンサーだった旧姓・小野ゆかりさんです。
小野ゆかりさんは震災直後も、水やカップラーメン等を大量に送ってくれました。
いつしかお礼の言葉もそこそこで、気にはしていたのですが、今度は3月11日に合わせて、あの頃の支援物資ではなく、心なごむ を送ってくれました。
は、ラジオ福島のスタジオの、あちこちに飾らせてもらっています。
写真の は私のデスクの前のテーブルのものです。
小野ゆかりさんからの、手書きのメッセージには、「お体大切に」と書かれていました。
嬉しくて、涙が止まりませんでした。
「最大の支援は忘れないことだ」と、あらためて実感しました。
2013年3月17日 |
その他
18日(月曜日)の「月曜Monday 夜はこれから」のゲスト、沼能奈津子さんからのメールです。
3月10日にもらったものです。
浪江町の自宅に一時帰宅した時の模様を、文章にしてくれました。
私の永久保存版です。
夜分にすみません。ずっと考えていたらこんな時間になってしまいました。
大和田さん、おかえりなさい。美女はたくさんいましたか?フランスでの生活が充実していたことが伝わってきます。私もフランスいってみたいです!
★
昨日、1年11ヶ月振りに浪江の自宅に一時帰宅しました。
報告します。
変わらない綺麗な空、我が家。そんな風景に安心感を覚えながら自宅の周りを歩く。ピピーと放射線測定器が鋭い音を出す。自宅の線量は約3マイクロシーベルト。現実を知る。どんなに見た目が変わっていなくても確実に変わったことがある。
放射線は目に見えず、以前と変わらない自宅を見ると帰れるかもしれないという錯覚を覚えて しまう。
しかし、それは違う。まだ帰ることはできない。中はねずみに荒らされていた。しかし、以前、両親が整理をしてきたのでそこまで汚れてはいなかった。
友達にプレゼントして貰ったもの、集めていたもの、小中学校で使っていた教材などを見つける。ただただ懐かしい。一つ一つに思い出がある。小中学校の卒業アルバムは置いてきた。私が成長した証。それらを浪江の自宅から持ち出してしまうと、二度と帰れない気がする。生きた証を浪江の自宅に残したかった。
私が卒業した苅野小学校や浪江中学校にも行った。小学校周辺は約4マイクロシーベルト、中学校周辺は約5マイクロシーベルト。再び現実を知る。母校が荒廃していた。そんな姿みたく無かった。子供がいない学校はただ 冷たい建物だった。
請戸にも足を運んだ。約0.1マイクロシーベルト。初めて見る地元浪江町の海岸。2011年1月1日に初日の出を拝んだ海岸。跡形もない。あるのは潮の香り。
言葉にならなかった。カメラを回すことに抵抗を感じた。正直、怖かった。しかし、伝えなければならない。この言葉を自分に言い聞かせ、撮影した。
警察官が捜索をしている。感謝の言葉しか浮かばない。
何度も目を塞ぎたくなった今回の一時帰宅。現実と向き合うことがどれだけ難しく、苦しいことか、改めて感じた。
しかし、これから福島を離れるからこそ知らなければいけない現実だと思う。今回は、映像だけでは感じることのできないものを感じることができた。
2年間、沢山の葛藤や悲しみを身近で 見てきた。その中で、他人の悲しみや苦しみを背負うことができないもどかしさを感じた。背負うことができないなら、人々の苦しみや悲しみを汲み取り、それらの思いを社会に訴えかける存在になりたい。
その方法を大学で見つけたいと思う。
正直、福島から離れることに負い目を感じることがある。
私だけ現実から離れていいのだろうか。私だけ羽を伸ばしていいのだろうか。自問自答の日々。しかし、福島県外からの視点を養うことも重要なことだと思ようになった。
東京でこれまで以上の温度差を感じ、嫌になることもあるだろう。それらの現実を含め福島県だけでなく、日本全国の現実と真っ正面から向き合っていきたい。
今回の一時帰宅は様々な意味で実りのあるものとなっ た。連れて行ってくれた両親に感謝している。
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とりとめもない長文失礼しました。拙い文章です。まだまだ伝えたいことがあります。もっと伝えられる文章を書けるよう修行します。最後まで読んで頂きありがとうございました。
沼能奈津子
2013年3月17日 |
月曜Monday, 浪江町
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