第465話  原発再稼働へ

 

 
全国の電力9社は今日、一斉に株主総会を開いた。

北陸電力を除く8社では、原発からの撤退など「脱原発」を求める議案が出されたが、全て否決された。

停止している原発の再稼働への流れを株主たちが変える事は出来なかった。

東京電力に聞きたい。
「福島復興が先か、経営の建て直しが先か。どちらを優先させるのか」

第464話  スポーツ祭東京2013 福島県代表選手

 

 
本宮市の車イス卓球の橋本弘子さんからのメールを転送します。

橋本弘子さんは骨形成不全症という難病で、骨が折れやすく、車イスの生活を余儀無くされています。

パラリンピックを目指して頑張るママさん選手の決意をご覧下さい。

★☆★☆
こんにちは。

私、全国障害者スポーツ大会の一般卓球選手に選ばれました。

そして20年間、待ち望んだ桑原要勝先生が監督です。

今、週3回桑原卓球で練習をしています。全国制覇を目指して、自分の卓球人生に悔いが残らないように全力を注ぎたいと思います。

卓球会場は娘、明寿香のアパートの近くの駒沢オリンピック運動公園体育館です。

明寿香も応援に来てくれるでしょう。10月10日から東京に行きます。
< br>頑張ります。応援、よろしくお願いいたします!

橋本弘子

第463話  堀潤さんと取材⑤

 
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南相馬市小高区の小高市民病院前院長・遠藤清次先生を南相馬市鹿島区の仮設住宅の一角にある「絆診療所」に訪ねた。

遠藤先生は現代の赤ひげだ。

廃院が決まっていた小高市民病院を救ってくれたのは小高の住民だった。

昨年5月1日、絆診療所はオープンした。

「仮設住宅から孤独死を出さない」が遠藤先生のポリシーだった。

あれから1年。遠藤院長他7人のスタッフは、仮設住宅で孤独死を出さない為に、そして地域の為に懸命に頑張ってきた。

遠藤先生はこのほど、第一回福島県民栄誉賞を受賞した。

遠藤先生は言う。

「仮設住宅の皆さんは疲れています。長引く避難生活から、肥満や高血圧、糖尿病など持病が進み、認知症も悪化 して、将来への不安から生き甲斐を無くす人も増えています」と。

深刻な状況に堀潤さんも言葉がない。

管理栄養士の鶴島綾子さんが、特大のお握りを用意して待っていてくれた。

今野畜産のメンチカツしか食べていなかった私達には、最高のご馳走だった。

焼おにぎり、美味かった!

堀潤さんは、焼おにぎりの他に、おこわのおむすびもを2個食べた。

身も心も体も満足して、ラジオ福島のスタジオに向かった。

この日の「月曜Monday ( もんだい)夜はこれから」は、ユーストリームで最高の視聴数を記録した。

番組が終わり、最終の新幹線で帰る堀潤さんと「餃子会館」で餃子とラーメンを食べて別れた。

再会を約束して。

第462話  堀潤さんと④

 
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堀潤さんと取材④

浪江町を後にして、昨年4月16日に警戒区域が解除された南相馬市小高区に入った。

警戒区域解除から1年以上経つ小高区は、ライフラインの復旧が進まず、住民は未だ住むことは出来ない。

この日JR 小高駅前では近くの双葉屋旅館の皆さんが総出で、ヒマワリを植える等花壇の整備を行っていた。

「どうして、ヒマワリを植えているのですか」堀潤さんが聞いた。

双葉屋旅館の奥さんが答えた。

「まだ、誰も住めない小高だけど、荒れたままにしておけないでしょう。駅前は町の顔だから、綺麗にしておきたいのよ。若い人達はもう戻って来ないけど、私達にはこの町を守ったていく責任があるのよ」と。

駅前通りを西に歩くと、金物屋さんが店の片付けをしていた。

「店に入って、ネズミの小便と糞の臭いを嗅いで行け」

店主に促され、堀潤さんと一緒に店に入った。

ネズミの足跡に覆い尽くされた店内は、小便のすえた臭いと糞の悪臭に溢れていた。

店主が言っ た。

「商品は全て売り物にならない。生き甲斐まで、無くなっちまう」。

店を出て歩きながら堀潤さんは言った。

「テレビや新聞・ラジオでは伝わらない被災地の臭いを体験出来た事は、私にとって大変な収穫です」と。

この小高区に、堀潤さんに会ってもらいたい人がいた。

「菓詩工房わたなべ」のオーナー・渡辺幸史さんだ。

店の前には「必ず小高で復活する」というメッセージが掲げられている。

渡辺さんは冷凍庫を開けて腐ったシュークリームの材料を見せてくれた。

鼻をつく複雑な臭気が漂う。

「この1年は行政や東電との闘いだった。腐った材料が俺を励ましてくれた。でも、心が折れそうになった事もある。そんな時、家族が俺を支えてくれた。大学生の息子が菓子職人を継ぐと言って大学を辞めた。ビックリしたけど、嬉しかた。今は菓子の専門学校に通っている。俺ら大人が立ち止まってたら、子供達に笑われちまう。頑張るしかないべ」と。

堀潤さんはただ頷いて渡辺さんの話を聞いていた。

渡辺さんは堀潤さんに再開する菓子 店のデッサンを見せた。

お城の様な外観で、店内には2階から1階まで滑り台が設置されている。

「どうして、滑り台があるんですか」、堀潤さんがたずねた。

「南相馬市の子供達に夢と希望を持ってもらいたいから。菓子屋はただ菓子を売るだけじゃダメ。ここにいて良かったって、子供達に思ってもらいたいからね」と笑顔で答えてくれた。

店の再開は来年春の予定。

小高に戻る布石として、南相馬市原町区にオープンする。

「必ず、ケーキとシュークリームを買いに来ます」。

堀潤さんはそう言って渡辺幸史さんと、かたい握手をかわした。

第461話  堀潤さんと③

 
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4月1日に警戒区域が解除された浪江町の沿岸部請戸(うけど)地区に入った。

ここは浪江町で最もの津波の被害が大きかった。140人が亡くなり、今も30人が行方不明となっている。

海から300メートルの所にある請戸小学校の二階に上がった。各教室の黒板には、復興・復旧を願うメッセージが書き込まれている。

堀潤さんは一つ一つのメッセージを噛み締めるように声に出して読んだ。

「天は乗り越える事の出来る試練しか与えない」「われらは海の子」

請戸小学校2階の教室から南へ7キロの地点にある東京電力福島第一原子力発電所の排気搭がはっきり見えた。

震災前はここから排気搭は全く見えなかった。それは、この回りが住宅地で森や林に囲まれてい たからだ。

地震発生時、請戸小学校には83人の児童がいた。津波が押し寄せるおよそ50分の間に、全児童と教職員全員が避難し、1人の犠牲者も出していない。

堀潤さんは言った。「地震発生時の学校や地域の住民のとっさの判断が子供達の命を守ったんですね。請戸小学校の奇跡を後世に語り継いで行く事が、防災に繋がりますね」と。

請戸地区にある町慰霊碑の前で、堀潤さんは長い間手を合わせていた。