今朝の福島民報読者の欄から。
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相馬市で8月11日、高齢者が熱中症で死亡した。
市が再発防止の為に70歳以上の高齢者に「塩あめ」を配分することを決 め、隣組の班長が暑い中届けてくれた。
袋には、「手塩にかけた、心にしみる梅え味」と書いてある。「うめえこと言ってるわ」と言いながら口に入れたら「ウワッ、酸っぱい」。
塩あめのおかげで、用達もスムーズだ。
今日も梅味の塩あめを口に入れ、市の厚意に感謝しながら「熱中症にならないように」と流れる汗を拭いた。
2013年8月28日 |
その他
全盲のマラソンランナー・福島市の星純平さんからメールが届きました。
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視覚障がい者ランナーの星純平です。
日頃は、ラジオ福島をお聞きの多くの皆様から応援をいただきまして、誠にありがとうございます。
視覚障がい者となり、閉鎖的な日々を送る中、多くの方々のご支援を頂く事で、マラソンと言う世界を体感しています。
ただの一市民視覚障がい者ランナーと思って走ってきましたが、ラジオ福島の大和田アナウンサーとの出会いによって、何度もラジオ番組に熱意を持って取り上げて頂きました。
その影響によって、多くの方々から応援をしてもらう事になりまして、心から感謝しています。
お陰様で、マラソンを始めてからは、光を失い、気持ちを閉 ざす日常から少し解放されたような喜びを実感する今日この頃です。
自分自身の運命と戦う一つの形として今、マラソンと向き合ってゆきたいと思っています。
今後とも、温かいご声を宜しくお願い致します。
8月24日・8月25日の2日間。佐藤敦之選手(北京オリンピックマラソン代表)に昨年に引き続き、裏磐梯の檜原湖周辺でマラソン合宿トレーニングをして頂きました。
低地の福島市に比べると、高地の裏磐梯の気温湿度は非常に低く、夕方から夜になると寒いぐらいでした。
そのようなトレーニングをするには快適な環境ですから、有名高校・大学陸上部も合宿に訪れて選手の皆さんは目標に向かって汗を流していました。
そのような快適な環境の中で、まずは初日に、1 000m×10本のインターバルトレーニングと、200m×10本のダッシュトレーニングを行いました。
陸上未経験者の僕には38歳にして初めての体験でした。1000mのインターバルでは僕の実力から逆算して4分05秒×10本ペースを敦之選手が設定しました。
ですが、なんと3分55秒ペースで10本を終える事ができました。もちろん僕のペースが落ちそうになると「大丈夫、いける。強気」と言葉で態度で支えてくれた敦之選手からの力が大きかったと強く感じています。
その後の200mのダッシュは、猛烈に苦しかったぁ!
敦之選手が「僕は鬼コーチになります」と恐怖の宣言。
敦之選手の声のトーンも一段下がって鬼コーチのその気迫は、僕の甘えを全く許さないと言った雰囲気 でした。
ダッシュ後半などは、手と足がバラバラになりながらも自身を追い込み走りきる事ができました。
トレーニング終了後の敦之選手は鬼の姿ではなく笑顔で僕の頑張りを「力がついてきている」と、評価してくれました。
自信になる一言でした。
夕食時に僕の肉料理を敦之選手はさりげなくカットしてくれました。親切と優しさは違うと思っています。親切は、温かい行為です。優しさとは厳しさや強さも時として含まれる行為だと思います。
敦之選手にしていただいた様々な行為には優しさが溢れていました。
翌日のトレーニングは檜原湖一周30kmです。昨日の疲れもあって足が中々前に進みません。その苦しさと戦いながらゴールの30kmを目指して走り続けます。その隣 で伴走する敦之選手は坦々と僕に合わせ歩を進めています。何百kmいや何百万kmを走り続けてきたトップランナーとしての厳しさや強さが、敦之選手のその横顔に確かに刻まれていたように僕の心の目には見えたように感じました。
ゴールの30kmまで後わずかです。大和田アナウンサーが出迎えてくれていると敦之選手が教えてくれました。
「純平頑張れ!!」と大和田アナウンサーからの応援が聞こえます。
「あの声がするところがゴールだな」と、僕は最後の力を振り絞ってラストスパートです。
しかし、大和田アナウンサーの声のするところを通り過ぎても、敦之選手からゴールの声が聞こえてきません。
そう大和田アナウンサーが立っていた所は、ゴール前200mぐらいの中途 半端なところだったのです。もう力は出し切ってしまい、ラストの200mは失速と言う落ちがついてしまいました。
でも大和田アナウンサー、応援ありがとうございました。
この2日間の合宿は決して楽なトレーニングではありませんでしたが、敦之選手のご指導と優しさのおかげで、乗り越える事ができました。
そして、この合宿に耐える事ができたのは、福島市で日々、僕のトレーニングにご協力くださっている皆さんにつけていただいた力がなければ、できなかったと思っています。
敦之選手と日々ご支援く
ださいます伴走者の皆さんに深く心より感謝申し上げます。
また、僕の移動の介助や
給水サポートにご支援くださいました敦之選手の奥様の美保さん。
そして、間 もなく3年間ご支援を続けてくださっています斎藤真裕さん三幸さんご夫妻にも、この合宿でもお世話になりました。
皆さんにも心より感謝申し上げます。
さて、次回大会は、9月1日「伊達桃の里マラソン」に出場いたします。見かけましたら、お声を掛けいただけましたら幸いです。
また、引き続き伴走者を求めております。ご協力いただけます方がおられましたら是非、お力を賜りますようにお願い申し上げます。
それでは、引き続きのご支援ご声援を、よろしくお願いいたします。
星 純平
2013年8月27日 |
その他
全盲のマラソンランナー・福島市の星純平さんと北京オリンピックマラソン代表の佐藤敦之選手の合宿が、2日間の日程で行われた。
初日は千メートルを10本と2百メートルを10本のスピードアップを重点に置いたハードな練習、2日目は檜原湖一周31キロを2時間50分で走り、スタミナ強化を目的としたトレーニングを行った。
31キロを伴走した佐藤敦之選手は、「昨年の純平さんとは別人の感があります。スタミナもスピードも申し分ありません。サブスリーが現実のものとなってきましたね」と笑顔で語った。
純平さんの目標は、フルマラソンを3時間切って走るサブスリーの達成。
師匠である佐藤選手にお墨付きをもらった純平さんは「ありがとうございます。支えてく れた皆さんへの感謝の気持ちを力に変えて目標達成に向けて頑張ります」と滴る汗を拭おうともせず決意を述べた。
純平さんは、マラソンを始めてまだ3年7ヶ月。ベストタイムは昨年4月の霞が浦盲人マラソン大会の3時間5分15秒。今年4月の同大会でサブスリーを達成するつもりだったが、夢は寒さと悪天候に阻まれた。それでもタイムは、3時間5分30秒。
「あの最悪コンディションでベストに近いタイムで走れたのは、力がついた証拠。何もがっかりすることはありません」とレース後、佐藤選手は話してくれた。
次のフルマラソンは11月23日。純平さんは密かに2時間55分切りを狙っている。
全盲の星純平さんと佐藤敦之選手は犬の首輪を持って走る。この首輪を純平 さんは「絆」と呼んでいる。二人の距離はこの「絆」で保たれている。長すぎても、短すぎてもいけない。
添付した写真は、檜原湖一周31キロを走り終った星純平さんと佐藤敦之選手。(達成感に溢れている)
二枚目は、佐藤敦之選手の奥様・美保さんと、純平さんを支えている斎藤真裕さんご夫妻を交えての記念写真。
さらに三枚目は、2日間の合宿でお世話になったペンション「ラグ・マーケット」のオーナーご夫妻。
ペンション「ラグ・マーケット」の売りは「熱い温泉と手作りピザ」奥さんは合宿に来る高校生からは「お母さん」と呼ばれている。温かい人柄が言葉の端々から伝わってくる素晴らしいご夫婦だ。(2日目のお昼に頂いた朝どりのトウモロコシとトマトの甘かったこ と!オラ、びっくりしたなもお)
2013年8月27日 |
その他
全盲のマラソンランナー・福島市の星純平さんからメールが届きました。
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視覚障がい者ランナーの星純平です。
日頃は、ラジオ福島をお聞きの多くの皆様から応援をいただきまして、誠にありがとうございます。
視覚障がい者となり、閉鎖的な日々を送る中、多くの方々のご支援を頂く事で、マラソンと言う世界を体感しています。
ただの一市民視覚障がい者ランナーと思って走ってきましたが、ラジオ福島の大和田アナウンサーとの出会いによって、何度もラジオ番組に熱意を持って取り上げて頂きました。
その影響によって、多くの方々から応援をしてもらう事になりまして、心から感謝しています。
お陰様で、マラソンを始めてからは、光を失い、気持ちを閉 ざす日常から少し解放されたような喜びを実感する今日この頃です。
自分自身の運命と戦う一つの形として今、マラソンと向き合ってゆきたいと思っています。
今後とも、温かいご声を宜しくお願い致します。
8月24日・8月25日の2日間。佐藤敦之選手(北京オリンピックマラソン代表)に昨年に引き続き、裏磐梯の檜原湖周辺でマラソン合宿トレーニングをして頂きました。
低地の福島市に比べると、高地の裏磐梯の気温湿度は非常に低く、夕方から夜になると寒いぐらいでした。
そのようなトレーニングをするには快適な環境ですから、有名高校・大学陸上部も合宿に訪れて選手の皆さんは目標に向かって汗を流していました。
そのような快適な環境の中で、まずは初日に、1 000m×10本のインターバルトレーニングと、200m×10本のダッシュトレーニングを行いました。
陸上未経験者の僕には38歳にして初めての体験でした。1000mのインターバルでは僕の実力から逆算して4分05秒×10本ペースを敦之選手が設定しました。
ですが、なんと3分55秒ペースで10本を終える事ができました。もちろん僕のペースが落ちそうになると「大丈夫、いける。強気」と言葉で態度で支えてくれた敦之選手からの力が大きかったと強く感じています。
その後の200mのダッシュは、猛烈に苦しかったぁ!
敦之選手が「僕は鬼コーチになります」と恐怖の宣言。
敦之選手の声のトーンも一段下がって鬼コーチのその気迫は、僕の甘えを全く許さないと言った雰囲気 でした。
ダッシュ後半などは、手と足がバラバラになりながらも自身を追い込み走りきる事ができました。
トレーニング終了後の敦之選手は鬼の姿ではなく笑顔で僕の頑張りを「力がついてきている」と、評価してくれました。
自信になる一言でした。
夕食時に僕の肉料理を敦之選手はさりげなくカットしてくれました。親切と優しさは違うと思っています。親切は、温かい行為です。優しさとは厳しさや強さも時として含まれる行為だと思います。
敦之選手にしていただいた様々な行為には優しさが溢れていました。
翌日のトレーニングは檜原湖一周30kmです。昨日の疲れもあって足が中々前に進みません。その苦しさと戦いながらゴールの30kmを目指して走り続けます。その隣 で伴走する敦之選手は坦々と僕に合わせ歩を進めています。何百kmいや何百万kmを走り続けてきたトップランナーとしての厳しさや強さが、敦之選手のその横顔に確かに刻まれていたように僕の心の目には見えたように感じました。
ゴールの30kmまで後わずかです。大和田アナウンサーが出迎えてくれていると敦之選手が教えてくれました。
「純平頑張れ!!」と大和田アナウンサーからの応援が聞こえます。
「あの声がするところがゴールだな」と、僕は最後の力を振り絞ってラストスパートです。
しかし、大和田アナウンサーの声のするところを通り過ぎても、敦之選手からゴールの声が聞こえてきません。
そう大和田アナウンサーが立っていた所は、ゴール前200mぐらいの中途 半端なところだったのです。もう力は出し切ってしまい、ラストの200mは失速と言う落ちがついてしまいました。
でも大和田アナウンサー、応援ありがとうございました。
この2日間の合宿は決して楽なトレーニングではありませんでしたが、敦之選手のご指導と優しさのおかげで、乗り越える事ができました。
そして、この合宿に耐える事ができたのは、福島市で日々、僕のトレーニングにご協力くださっている皆さんにつけていただいた力がなければ、できなかったと思っています。
敦之選手と日々ご支援く
ださいます伴走者の皆さんに深く心より感謝申し上げます。
また、僕の移動の介助や
給水サポートにご支援くださいました敦之選手の奥様の美保さん。
そして、間 もなく3年間ご支援を続けてくださっています斎藤真裕さん三幸さんご夫妻にも、この合宿でもお世話になりました。
皆さんにも心より感謝申し上げます。
さて、次回大会は、9月1日「伊達桃の里マラソン」に出場いたします。見かけましたら、お声を掛けいただけましたら幸いです。
また、引き続き伴走者を求めております。ご協力いただけます方がおられましたら是非、お力を賜りますようにお願い申し上げます。
それでは、引き続きのご支援ご声援を、よろしくお願いいたします。
星 純平
2013年8月27日 |
その他
あった!
小高商業高校商業研究部 プロデュースの「小高大根かりんとう」。
プレーンとゴマの二種類があり、どちらも歯ごたえ抜群、大根の風味を損なわず、上品な仕上がりとなっている。
もともとは、小高特産の金房大根を使用し、県内の業者に生産加工を依託していたが、震災でそれもかなわず、何とか今は県内産の大根を原料に、生産は山陰地方の業者にお願いし、販売にこぎつけた。
小高区は、昨年4月16日に警戒区域が解除されたが、除染や上下水道などのインフラ整備が進まず、住民の帰宅のめどがたっていない。
そんな故郷を元気付けようと、小高商業高校商業研究部の生徒が「小高大根かりんとう」を復活させた。
販売は南相馬市原町区の「道の駅南相馬」で行っている。原町高校の校庭に建つ、プ レハブ校舎の小高商業高校。不自由な環境を乗り越えて、高校生は未来を見つめて前進している。
「小高大根かりんとう」のコーナーの隣に、地元の障がい者施設で作業する障がい者の皆さんの作品が展示即売されている。
9月21日(土曜日)22日(日曜日)の両日、郡山市磐梯熱海で行われる障がい者の祭典「きょうされん全国大会」のPR 用の缶バッチや色鮮やかなTシャツが目をひく。
道の駅南相馬に行ったら、「小高大根かりんとう」と障がい者の皆さんの作品をGETしてほしい。
2013年8月27日 |
南相馬市
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