第565話  二本松少年隊物語

 
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不覚にも一冊の本を読んで泣いてしまいました。

それも、漫画で。

二本松少年隊物語「霞の天地」。

私の感想文は余りにも感情的になりそうなので、原作者の東雲さくら(しののめ)さんの後書きを
紹介します。

戊辰戦争によって引き起こされた悲劇の中で、会津藩の白虎隊の話は有名ですが、白虎隊よりも幼い子供達までが出陣し、戦いの中で命を落とした二本松少年隊については、まだまだ余り知られていません。

戊辰戦争では31藩が奥羽越列藩同盟を結成して新政府軍に抗いましたが、その中でも藩を挙げて
最後まで戦ったのは、討伐の当事者であった会津藩と庄内藩を除いて、二本松藩と長岡藩だけだったといっても過言ではないでしょう。

外様大名である二本松藩が、戊辰戦争を全力で戦ったのは、ひとえに理不尽に討 たれようとしている会津藩への義、東北諸藩一丸となって新政府に対抗しようとした同盟への義であったと思っています。

幼い子供達まで戦場に向かわせた二本松藩の選択は決して正しかったとは言えませんが、幼いながらも必死に戦った少年達がいた事を、ぜひもっと多くの人達に知ってもらいたいと思います。

激戦を生き延びて会津や米沢に落ち延びていった少年達や、敵兵からも賞賛を受ける程勇猛果敢に戦った藩士達、たくさんのドラマが埋もれています。

二本松の街は静かですが、その中に郷土の歴史を大切にしている心が感じられ、私は二本松の街が大好きです。

東雲さくら

二本松少年隊物語「霞の天地」は幻冬舎コミックスから発行されています。

9月9日(月)二 本松御苑で「霞の天地」発刊記念の集いが開かれます。

この集いに参加する地元和菓子屋の専務・日夏幸男さんに当日の夜8時30分にお話を伺います。

第564話  総理は福島に向けてメッセージを

 
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宮城県内の高速道路のサービスエリアで、福島産の桃が販売されていました。

嬉しくて、何度も桃を撫でてしまいました。

東京オリンピック招致決定よりも、嬉しいです。

総理はオリンピック招致の汚染水の問題で「原発はコントロールされ、汚染水は完全にブロックされている」と世界に向けて発信しました。

それは本当ですか。

世界にメッセージを出す前に、なぜ、福島県民に納得できる情報を発信してくれないのでしょう。

オーストリアを旅した時に「隣町まで300㌔しか離れていないから、買い物は車で行くよ。何でもないよ」という、観光バスの運転手さんの話しが忘れられません。

東京は福島から250㌔離れているから安全コメントは、生活感が無さ過 ぎです。

福島の切り捨て政策がいよいよ始まります。

この7年間で、原発対応を速やかに実施しなければ、日本は世界に嘘をついた事になります。

東京オリンピックに選手を派遣しない国も出るかもしれません。

そんな危険性や多くの課題をはらんだ東京オリンピックを、被災地復興という原点に戻す事が今1番大切ではないでしょうか。

今、県内の私立大学の教授からメールが来ました。
「被災地の学校は、子供達が減って死活問題です。原発が収束したなんな、誰も思っていません。総理大臣が原発はコントロールできているなんて世界に嘘をついていいんでしょうか」と。

思わず「同感」です!と返信しました。

第563話  日銀神戸支店長

 
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日銀神戸支店長の鉢村健さんの福島県への応援のメッセージが、今朝の地元紙に掲載されていました。

鉢村さんは、日銀福島支店長を経験し、震災後 は内閣官房審議官として、福島の復興・復旧にあたってくれました。

第562話  抗議を!

 
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オリンピック東京招致委員会の竹田恒和理事長の「東京は福島から250㌔も離れていて、水、食物、空気についても非常に安全なレベル。全く懸念はない」発言に対し、
厳重抗議をお願い致します。

福島県民は怒っています。

第561話  感謝ロードにのって

 

 
全盲のマラソンランナー・福島市の星純平さん(37)はフルマラソン42・195㌔を3時間を切って走る「サブ・スリー」を目指しています。ベストタイムは3時間5分15秒。

星純平さんが最も苦労しているのが、練習及び試合の時の伴走者の確保。

10月20日に須賀川市で行われる「円谷幸吉メモリアルマラソン」のハーフ部門にエントリーしましたが、なかなか伴走者が見つからず困っていたところ、私の友人で須賀川市の花卉農家の和田康伸さん(36)が最高の伴走者を紹介してくれました。

和田さんは「震災で傷ついた心を、花で笑顔にしよう」と頑張る花農家で、昨年、毎日農業記録賞優秀賞を受賞しています。

和田さんが紹介してくれた星純平さんの伴走者は、地元須賀川出身の ランナーで自衛官の加藤将士さん(29)。

毎年11月に行われている福島駅伝のメンバーでもあり、各種大会で常に上位に入る実力者です。
(昨年の鶴ヶ城10㌔で優勝)

星さんの伴走をする加藤さんは「地元須賀川の大会で、初伴走をする事が出来てたいへん嬉しい。星純平さんの力を100%引き出せる走りを心がけ、絆を繋いでいきたい」と抱負を語ってくれました。

伴走者・加藤さんを紹介してくれた和田さんに、星純平さんが送った感謝のメールをお読み下さい。

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和田  様

初めまして。
視覚障がい者ランナーの星純平と申します。

この度は、円谷幸吉マラソンの伴走者として、加藤将士さんをご紹介くださいまして誠にありがとうございました。

心よ り感謝申し上げます。

和田さんのランナーとなられたエピソードをご紹介くださいまして、ありがとうございます。

敬愛される父親。そして切磋琢磨した兄弟。とても素敵な家族の姿が思い浮かびます。

和田さんが震災に負けず、正面から災害にも立ち向かい家業を続けられている力の源はマラソンなのでしょうね。

僕は多くの方々のご支援を賜りマラソンを始めてから3年9ヶ月となりました。

その3年9ヶ月前の自身とは全く見違えるほどの心の在り様となって自分自身に驚いています。

生まれながらの難病を抱えて弱視として20歳まで過ごしてきました。

教科書や黒板の文字も見えたり見えなかったり色弱のため色を知りません。

体を動かす事は好きでしたが、 中学校・高校での体育は球技が中心となって僕の視力では見学ばかりの悔しい6年間でした。

20歳から症状は進み26歳には盲人の生活となりました。

家族には心配をかけたくなくて見えるふりをしてきました。

本当に孤独でした。神や運命に疑問を持ち、生きる事に悩み、呪ってきました。

いつも絶望と向きあってきました。そして、何もかもを視力障がいのせいにする狡猾でだらしのない性格になっていったのです。

日々「このままではいけない」と思ってはいましたが脱却する方法が見つけられません。

そんな時にあるヘルパーさんから視覚障がい者マラソンを進められたのです。

自由に外出もできず、体も心も閉じ込められた息苦しい自室から外に出られるのであ ればと言う気持ちでマラソンを始めました。

きっかけはともかく、走りたかった訳じゃなかったんです。

そして走り始めました。

5kmを歩くと変わらないぐらいのスピードで走ってくると膝が痛くて3日間は階段が上がれませんでした。

しかし、その痛みは十数年もの間、運動を忘れてしまっていた、もう二度とできないと思っていた自身にとって、とても新鮮な痛みと刺激だったのです。

大会に出れば、走ると言うよりは痛みに耐えると言う方が適当でした。

苦しくなると自分の声が聞こえてきます。「目が見えないのにここまでよくやった」と。

そして「走る苦しみと見えないとは関係ないじゃないか。何でも目の悪いせいにするのはやめろ」と、もう一人の自分から声 が聞こえたんです。

この声が僕のマラソンをする理由となりました。

今ではそれを乗り越え、絶望しかなかった自分に可能性を見出し、自分に立ち向かう強さと信じる力を得る事ができたと確信しています。

この奇跡も多くのご支援くださった方々のお力があってこそと思って心より感謝いたしております。

人生において感謝を思う人と出会える事の幸せを強く噛みしめている毎日です。

10月20日 円谷幸吉メモリアルマラソンではお世話になります。

和田さんとお会いできます事を心より楽しみにしております。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

本当にありがとうございました。

星 純平

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今後の練習について加藤将士さんは星純平さん に、「私が福島に行きますから心配しないでください。あづま運動公園に適したコースがありますから。そこで練習しましょうと」と話してくれた。
 
星純平さんのサブスリーへの挑戦は、多くの善意に支えら続いている。

感謝ロードにのって。