第630話 会いたかった

 
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会いたかった人にやっと会えた。

北海道奥尻島出身のトラック運転手・浅利勇二さん41歳。

東日本大震災直後、トラックに支援物資を積んで宮城県沿岸部の避難所を回った。

そして今年4月、今度は会社を辞め、函館のアパートを引き払い、いわき市に移り住んだ。

ミキサー車の運転手を通して、いわき市沿岸部の復興・ 復旧の為に東奔西走している。

一年間の予定で単身赴任で来るはずだったが、介護士の仕事をしていた奥さんも老人ホームを辞めていわきに来てくれた。

浅利勇二さんは20年前の北海道南西沖地震で、父と義理の兄の2人を津波で亡くした。

自宅と経営していた民宿と雑貨店は、津波と火災で跡形も無くなった。

浅利さんは言う。「奥尻も世界中から支援を受けて復興しました。原発問題を抱え苦しんでいる福島の復旧のお手伝いが出来れば幸いです」と。

浅利さんご夫妻には、感謝の言葉もない。

第629話 月命日④~薄磯

 
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平成25年10月11日(金曜日)、東日本津波原発大震災から2年7ヶ月。

福島県いわき市薄磯を訪ねた。

いわき市最大の津波の被災地で、130人が亡くなり、今も10人が行方不明となっている。

いわき市では、小学生が2人津波の犠牲になっている。2人とも、薄磯地区にある豊間小学校の児童。6年生のマリアさんと、4年生の姫花さん。

マリアさんは直ぐに避難したが、愛犬を心配してお母さんと一緒に自宅に戻り、津波に流されたとみられている。

朝9時に自宅前を通った時には、生花は手向けられていなかった。

しかし、午後2時過ぎにマリアさんの自宅を通った時には綺麗な花が供えられていた。

地元出身の友人に聞いたら「マリアさんを心から愛していた、おばあちゃんが来たんだね」と言っていた。

合掌

第628話 月命日③~慰霊洋上供養会

 
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震災から2年7ヶ月が過ぎた10月11日(金曜)いわき市江名港で、洋上供養が行われました。

港から2キロの洋上では、会津薬師寺の筒井叡觀(つついえいかん)住職による読経が流れる中、散華供養(水溶性の紙塔婆3000枚を海に撒く)が行われ犠牲者の霊を悼みました。

津波で家族3人を亡くした地元の50代の男性は「あれから2年7ヶ月が過ぎましたが、心癒される日はありませんでした。あの時、なぜ家族を助けられなかったのか、後悔の念でいっぱいです。でも、いつまでも悲しんでばかりではいられません。妻も両親も自分達の分まで精一杯生きて欲しいと思っているはずです。悲しいけど、前を向いて生きていきます」と。

家族を失った遺族の皆さんには、いつまで経っても節目 はありません。

読経を終えた筒井叡觀住職がおっしゃいました。「最大の供養は忘れない事です。そして、生きている私達が、しっかり生きる事です」と。

第627話 薄磯②

 
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瓦礫の撤去は進んでいる薄磯地区。

基礎しか残っていない沿岸部。

人形と花が手向けらている。ここでは、10歳の少女と祖母が犠牲になった。家族が毎日ここを訪れ、花を供えている。

その中を、観光バスが走り抜けて行く。

ここは観光地でもあるが、被災地だ。

この光景を見たら、バスの中からでも手を合わせて欲しい。

第626話 月命日

 
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震災から2年7ヶ月。いわき市の薄磯にきています。

小雨が降っています。

薄磯で唯一営業を再開した民宿鈴亀のご主人・鈴木幸永さんが慰霊碑と海に向かって手を合わせていました。

鈴木さんは、「辛い苦しい2年7ヶ月でしたが、多くの人に励まされてきました。その支援を力に変えて、これからも塩屋崎灯台と一緒にに頑張っていきます」と静かに語ってくれました。