★平成24年10月14日午後4時。
警戒区域の富岡町。
津波の被害をまともに受けた「JR 富岡駅」と生徒の歓声が消えた「県立富岡高校」
ゴーストタウンと化したこの町に、人びとの日常が戻ってくる日が来るのだろうか?
★役場機能が戻った広野町には、人の息づかいが感じられるようになった。
楢葉町の姿は、4月16日に警戒区域が解除された南相馬市小高区と似ている。
そこには、人の気配を感じる事がほとんどない。
それぞれの地域には、住民の帰還を阻むかのように、一面にまっ黄色のセイタカアワダチ草 が生い茂っていた。
2012年10月14日 |
富岡町
津波と火災で多くの被害者を出した。
行方不明者も10人いる
。
その中の1人に当時地元の市会議員、高木芳夫さん65歳がいた。
高木さんは自宅近くの障害者を助けるようとして津波にのまれたという。
避難する人達が海岸方面に向かう高木さんを目撃している。
久の浜第一小学校の校庭に昨年9月、仮設の商店街「浜風商店街」が、オープンした。
10店舗が肩を寄せあって生きてきた。
地元の住民は言う、「ここに来ると元気になれる」
「地域の為に!」を合い言葉に、浜風商店街は復興・復旧のシンボルとして、笑顔と元気を発信している。
浜風商店街会長の遠藤利勝さんに、浜風商店街の名前のいわれを聞いた。
「久の浜の為に頑張ってきた(故)高木芳夫さんの支援組織の名前からとりました。高木さんの意思を継いで故郷を復興させようという、私達の決意です」と話してくれた。
震災から1年7ヶ月、記憶の外に埋もれようとしている町の英雄を忘れてはならない。
2012年10月14日 |
いわき市
愛知県江南市の臨済宗永正寺住職にインタビューした。
住職はこの震災を100年先まで正確に伝える為に、「東日本・津波・原発大震災」と名称を変更しなければダメだと主張、青森、岩手、宮城、福島の四県知事に手紙を出した。
「知事さんたちは忙しいので、返事がこないのは分かっているけど、その分あんたらアナウンサーが率先して名称変更を提案しなさい」と、諭された。
『阪神淡路大震災の「淡路」も後で入れたものだから、皆で声を出していこう』と。
神奈川にいる私の友人の 医者が「福島に支援に行く」と言ったら、仲間の医者から「震災から1年以上も過ぎているのに、何を支援に行くの?」と真顔で言われ、悔しくて涙が出たと話しくれた。
東北の大震災は、過去の出来事になっているようだ。
『東日本・津波・原発大震災』であることを肝に命じて発信していかなければ、福島は忘れられてしまう。
2012年10月13日 |
その他
県が昨日公表した県民健康管理調査検討委員会の内部調査結果では、議事進行表がほぼ毎回作成されていた事が判明しました。
調査委員会は、意見の調整や誘導は無かったと判断しましたが、県の認識の甘さが露呈した結果となりました。
県民の疑念は深まり、県民健康管理調査に対する理解はますます得られない状況になってきました。
県は放射線の不安と懸命に闘っている私達の事など、全く理解していないようです。
県には隠蔽体質からの脱却と、情報公開の徹底を強く望みます。
しかし、県の対応を質すためにある県議会・県議会議員は何をしているのでしょうか。
2012年10月13日 |
その他
秋季高校野球東北大会が終了しました。
我が聖光学院高校は、仙台育英高校に8対4で敗れ、準優勝に終わりました。
試合後斎藤智也監督は、「発展途上のチームで、選手がここまでやってくれたことに感動しました」と話してくれました。
選手の努力を讃える斎藤監督は、準優勝の悔しさよりも、この結果に満足している様子でした。
来年春の選抜出場をほぼ確実にした聖光学院高校野球部。
これからの目標について斎藤智也監督は、「弱さを自覚してから強くなったこのチームだから、冬のトレーニングをしっかり積んで、来るべき日に備えたい」と豊富を語ってくれました。
2012年10月12日 |
福島市
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