須賀川インター近くのワンタン麺が美味しい「幸雲」の女将さんと長男の陽真(はるま)くん。
美人女将は神奈川県川崎出身。陽真くんは、待望の赤ちゃん。今年1月に川崎で出産、3月に須賀川に戻ってきた。
「川崎の両親は、福島に帰ることに不安はなかったか」を聞いた。
昨年の10月から、出産さんの為に帰省していた娘と一緒に、両親は放射線について勉強した。
パソコンを使い毎日須賀川の放射線量をチェックした。
その結果、赤ちゃんが須賀川で生活するのには全く問題がないという結論に達した。
安全は、基準にてらせば判断できる、しかし、安心は、化学や医学に判断をもとめても、リスクは0(ゼロ)にはならないことを示すにとどまる。
川崎の両親は、月2回は須賀川を訪れ、孫の成長に目を細める。
そして帰りには、JA農産物直売所「はたけんぼ」で、地元の農産物を山ほど買って帰る。
両親の愛情と福島の自然に育まれて、陽真(はるま)くんは、スクスクと育っている。
福島で生きて行こうと決めた人達の未来に栄光あれ!
2012年9月23日 |
須賀川市
須賀川の専業農家を訪ねた。
ご主人のAさん(64)は、昨年3月24日(木曜)自宅裏の木にロープをかけ自ら命を絶った。
第一原発爆発後、県内で最初の自殺者だった。
A さんは責任感の強い真面目な人だった。
その行動力は誰もが認めるところで、4月からはこの地域の区長になる事が決まっていた。
専業農家七代目のA さんは米、キュウリ、キャベツ、トマト、ピーマンなどを生産し、積極的に有機農法を取り入れ、安全安心を貫いていた。
あれから1年半。
A さんの家族から、何故A さんが死を選んだのかを聞いた。
時間は30分、録音はしないという約束で。
家族によるとA さんは、筋金入りの反原発論者だった。
8月6日には、広島平和記念式典にも出席したこともある。
唯一の被爆国で、核の恐ろしさを十分知っているはずの日本が、原発に頼っていることをいつも憂えていた。
「原発に何か起きたら、農家は食っていけない。そうしたら農業がダメになる。農業は日本の基幹産業。原発事故が起きたら国は滅びる」がA さんの口癖だった。
東京電力福島第一原子力発電所の事故以来、A さんはほとんど眠れなくなっていた。
最も恐れていた事が現実のものとなったからだ。
「空気、水、土地を汚された、このままでは福島の農業がダメになる!」
しだいに家族との会話も減っていった。
高校生の孫娘と交わしていた携帯のメールも途絶えるようになった。
死の前日、2011年3月23日(水曜)、一枚のFax が届いた「明日からキャベツ出荷停止」
それを見てA さんは言った「原発事故さえなかったら」
家族が聞いた最後の言葉だった。
翌朝7時、次男(37)が、変わり果てた父の姿を発見した。
遺書はなかった。
家族も親戚も地域の人達も、A さんの死を受け入れられなかった。
震災直後、斎場は使えなかった。
水も出ない自宅での葬儀となった。
地域の人達の協力で何とか送る事ができた。
「原発事故さえなかったら」
その言葉を国や東電に届ける為に、妻はAさんの遺影を持って、何度も東京を訪れた。
県選出国会議員は誰も会ってくれなかった。
対応した秘書は皆、「必ず議員に伝えます」と回答した。
東京電力の対応の悪さに次男は「ふざけるな!」と声を荒げる場面もあった。
マスコミは、センセーショナルに取り上げた。
A さんの思いを正確に伝えないメディアに、家族は不信感をつのらせていった。
須賀川の自宅に弔問に来た東京電力の社員が言った「A さんの自殺の原因が、原発事故であることは認めます。しかし、損害賠償については法律がないのでお支払いは出来ません」
その頃、A さん家族の陳情に、金が目的だという声がきかれるようになった。
悲しくて、悔しくて、涙が溢れた。
遺影に手を合わせ妻は言った「父ちゃん、すまない」
それを見て次男が言った「俺がこの土地を守る。親父の後は俺が継ぐ」
サラリーマンを辞めて次男が農家を継いだ。
八代目となった。
次男が言った「農家を継いで親父の気持ちが良くわかる。原発事故の影響で苦しむ農家の現状を、国や県や東電にちゃんと伝えないと、福島の農業は崩壊する。
昨年、5キロ1500円だったキュウリが今年は500円。3分の1の値段。1本にすると2円。それをスーパーでは1本30円で売っている。
福島の野菜は競りも最後にかけら、安く買いたたかれ、何倍もの値段で売られる。このシステムを変えないと、福島の農家は食っていけない。
原発事故の放射能では誰も死んでいない。これからも誰も死なないって、誰か言ったよね。
ふざけるな!
うちの親父は原発事故の犠牲者だって事を忘れないで欲しい。
何で親父が自殺したか、忘れちゃいけないんだ」
「原発事故がなかったら」
A さんの妻に聞いた、国や東電に望むことは?
「先ず、原発事故を収束させ、再稼働を止めること。後は農家への補償を速やかに行い、農業に夢と希望を与えること。それができなければ、福島の農業は終わりだ!農家なんか誰も継がない」
「主人は今、死んじまった事を絶対に後悔している。あやまっちまったな、まだ生きてやらなきゃいけないことが沢山あったな~って、だから毎朝線香に火つけて言ってやる、バカやろ・って」
『原発事故さえなかったら』
その言葉が重くのしかかる。
取材時間は2時間を超えていた。
2012年9月23日 |
須賀川市