南相馬市

第308話 今野畜産②

 

 
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2013年4月1日(月曜日)レポート②

南相馬市原町区。
JR 常磐線の磐城太田駅前の精肉店・今野畜産直売店。

ここのメンチカツは、メチャクチャ美味い!

今野畜産は、震災後、地域の為にと、3月20日に店を再開させた。

分厚くジューシーなメンチカツは、なんと1枚75円。

「福島市から来ました」と言うと、「これ持ってきな」と、揚げたての唐揚げをサービスしてくれた。

この熱いメンチや唐揚げが、震災直後の避難者や住民をどれだけ励ましてくれたか。

胸が熱くなる。

第275話 答辞

 

 
3月1日卒業式での、小高工業高校前生徒会長・高野桜さんの答辞です。

高野桜さんは震災後の小高工業高校を、小さな体で懸命に引っ張り、まとめてきました。

また、福島県では唯一の高校生平和大使に選ばれ、核廃絶に向けてのスピーチを、ジュネーブの国連欧州本部で、英語で行いました。

答辞

梅のつぼみもほころび、寒さの中にも春の息吹が感じられるようになりました。
この佳き日に卒業式を迎えられたことは私たちにとってこの上ない喜びです。お忙しい中ご出席くださったご来賓、保護者の皆様に、卒業生一同、心から御礼申し上げます。

真新しい制服を身にまとい、期待と不安を抱えて臨んだ入学式。あれからもう三年が経ちます。あの東日本大震災と原発事故によって毎年ちがう校舎で学ぶことになった私たちの高校生活は予想もしなかったことものになりました。思い起こせば、一言では言い表せない、いろいろなことがありました。多くのものを失いながら、小さな幸せを噛み締めてきました。困難や苦労もみんなで支え合って笑顔に変えてきました。そんな日々を過ごせたことが、私たちにとって最高の宝です。

春は満開の桜、冬には綺麗なイルミネーションが輝く素敵な町にあった見慣れた校舎で多くの仲間と過ごす生活が当たり前で、それがずっと続くと思っていました。その仲間たち全員で行った唯一の行事が工業祭です。あの工業祭と、吉名の丘で学んだ思い出は、今も私たちの心の中で行き続けています。

二年目の高校生活は、何が何だか分からないうちに始まりました。クラスメイトは、五つのサテライトにばらばらになり、転校していった仲間もたくさんいました。他校の校舎を借りたり体育館を仕切ったりしての授業は窮屈で、実習や部活動も十分にできず、それまでどれだけ恵まれていたのかがわかりました。

三年生になると、この南相馬市の仮設校舎にサテライトが集約されました。みんなと一緒の授業や実習は今までよりも何倍も楽しく、自分のクラスで過ごせる安心感がありました。進路実現に向けて遅くまで残って勉強や面接の練習をし、進路が決定した喜びをみんなで分かち合いました。部活動は、十分な練習場所や用具がなくても、みんなで練習ができることが嬉しくて、練習に打ち込むことができました。

震災後もさまざまな行事がありました。二年生のときの愛媛県への修学旅行。ハワイアンズでの全校集会、三年生になってからは体育祭や東京での演劇鑑賞。どれもが私たちの胸に一生残る素敵な思い出です。ですがそれに勝るのは、毎日の学校生活です。友達との登下校、睡魔と戦いながら受けた授業、休み時間の会話。こうしたさりげないひとときが幸せだったことを、今、実感しています。一緒に笑い、一緒に悩み、喜びも悲しみも分かち合った仲間達と小高工業高校生として過ごし、卒業を迎えることができたことを心から感謝しています。

目まぐるしく変化していく生活の中で、私たちは何度も心がくじけそうになりました。そんなとき、私たちを支えてくださったのは、先生方と保護者の皆様でした。

先生方は自分も被災者なのに、家族よりも私たちを優先してくださいました。長距離通勤で大変なのに、疲れた顔も見せずに私たちに全力で向き合ってくださいました。たくさんのことを教えていただき、元気と希望をいただきました。この三年間の愛情あふれるご指導、ありがとうございました。

そして、十八年間私たちを見守り、育ててくださった保護者の皆様。私たちは皆様のたくさんの愛情に包まれ、支えられて、ここまで成長することができました。私たちが何より感謝しているのは、震災による多くの問題を抱えたなかで、この小高工業高校に通わせていただけたことです。本当にありがとうございました。

これからの小高工業高校を担う在校生の皆さん。たとえ本校舎に通うことはできなくても、皆さんはこんなに素晴らしい学校に通っているのです。この学校の生徒であることに誇りを持ち、さらなる高みを目指して頑張ってください。大変な状況はまだまだ続くと思いますが、小高工業高校を支え、明るい未来に向けて新しい歴史を作り上げていってください。

私たちがこうして三年間、小高工業高校生として過ごし、卒業できるのも、多くの人達の応援やご支援があったからです。私たちは本当に多くの方々に支えられてここまで来ることができました。人は支え合うことでものすごく大きな力を発揮できることも分かりました。これからはその感謝の気持ちを忘れずに、恩返しができるような立派な人間に成長することを目標にして生きてゆきます。そして福島の復興を信じ、自分の夢に向かって歩んでいきます。困難に直面したときには、この三年間の経験を思い出し、自分が大きく変われるチャンスだと思って、前に進みます。

最後になりましたが、小高工業高校のますますの発展と、皆様のご多幸をお祈りして、答辞とさせていただきます。

平成25年3月1日
福島県立小高工業高等学校
卒業生代表 高野 桜

第267話 上野さんのお宅

 

3月11日(月曜日)。

家族4人を亡くした、南相馬市萱浜(かいはま)の上野敬幸さん(40)の自宅を訪ねた。
 
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上野さんは、津波で破壊された家の前に、自宅を新築した。

それは上野さんの家族への愛と、男の意地を感じた。

上野さんは2階に、亡くなった長女(8)と長男(3)の部屋を作った。

大好きだった空と雲に囲まれている。

この部屋だけエアコンがつけっぱなしだった。

上野さんにその訳を聞くと「子供達が風邪をひかないため」という答えが返ってきた。

返す言葉がなかった。

上野さんの心の中に、子供達は生きている。

津波に流されずに残った、数少ない姉弟の想いでの品を、この部屋に丁寧に集める事が、今の上野さん が出きる最大の供養だ思った。

「私は子供達を救えなかった、ダメな父親です」

家族を失った遺族には、震災から2年目の節目などあるはずはなかった。

第266話 小高レポート③

 

南相馬市原町区萱浜(かいはま)。

津波による被害が最も大きかった地域。

137人が亡くなり、今も10人が行方不明となっている。
 
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上野敬幸さん(40)を訪ねた。

上野さんは両親と長女(8)と長男(3)の家族4人を津波で亡くしている。

父親と長男はまだ見つかっていない。

上野さんの自宅は海岸から1キロ。そこへ7メートルの津波が襲った。

しかし、奇跡的に家の外観だけが残った。

回りは何も残っていない。結果、自宅はかっこうのカメラポイントとなった。

玄関前には両親と姉弟の写真、焼香台が置かれている。

しかし、手も合わせず、線香も手向けずに、土足で家に入り込んで写真を撮る人達を上 野さんは許さなかった。

「ここは観光地じゃない、被災地だ!お前が立っているその場所に、遺体があったかもしれないんだぞ」。

原発から21キロの上野さんの自宅周辺は、事故発生直後から、遺体捜索が一時的に打ち切られた。

上野さんは言う、「原発事故がなかったら、助かった命があったかもしれない。原発事故さえなかったら、もっと人間らしい最後を迎えられたかもしれない」と。

言葉を失ったカンニング竹山さんがやっと口を開いた。

「上野さんの苦しみを理解したり共有することはできませんが、上野さんのように家族を失った人達に節目が無いことをこれからも伝えていきます」と。

上野さんは津波で破壊された家の前に、自宅を新築した。それは上野さんの家 族を思う強い気持ちと、男の意地のようなものを感じた。

この日は、金魚アートの深堀隆介さんが亡くなった家族の為に、大きな金魚を描いて上野さんに贈った。

生きているようだった。

西陽を浴びて、金魚は確かに游いでいた。

第265話 小高レポート②

 

 
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「菓詩工房わたなべ」を後に、警戒区域解除直後後から、まだ誰もいない小高区で、理容店を再会した「加藤理容店」に向かった。

毎日ポリタンクに100リットルの水を入れて、店まで運ぶ生活が今も続いている。

しかし、ご夫婦はそこ抜けに明るい。「仮設住宅にいると滅入るだけ。仕事が出来るだけで幸せ」と店主の加藤直さんは語る。

「お客さんさんは少しづつ増えてきました。でも、お茶飲みに来てくれるだけでいいんです」と奥さんが微笑む。

「地域コミュニティーのベースキャンプでサロンだなあ」とカンニング竹山さんが頷く。
この日たまたま店に来た主婦は、線量の高い山間で農業を営んでいた。

「我が家は6マイクロシーベルトもある。早く除染しなくちゃ帰れない。加藤さんの所は線量が低いから除染よりも上下水道の復旧整備が先。国も市も、地域によって最優先課題が違うのが全く分かってない」と力説して出されたコーヒーを一気に飲んだ。

加藤理容店の前で記念写真を撮った後、南相馬市合同庁舎で、スクーリニング検査を受けた。

全員、全く問題の無い数値だった。

スクーリニングの時、両手を横に広げる。

いつも思う。

十字架のようだ。